そこかしこにある大きな樽の上に、漬物石がドンと置かれている。創業時に海から拾ってきたものだそう。
かつて北海道ではニシンが大量に獲れた。日本海に面する留萌も、もちろん例外ではない。
留萌にある田中青果は、今はニシン漬けを始めとする漬物類が主力商品となっているが、元々八百屋と花屋だった。現社長は二代目の田中欽也さん。妻の美智子さんも「統括本部長」として、営業や商品の開発を担当する。
昭和30年代前半まで、海を埋めるように押し寄せたニシンの大群は、ある時期を境にすっかり北海道の海から姿を消してしまった。2人が生まれた時代、もう海からニシンは消えていたが、ニシンの子、数の子の加工業は今でも留萌を代表する産業となっている。
欽也さんの父、常男さんは元々山形から北海道に行商に来ていたが、昭和33年に留萌で田中青果を創業した。ニシンはいなくなっていたが、高度成長期、商売はそれなりに繁盛した。妻の和子さんは増毛町出身。現在は田中青果の会長を務める和子さんの母は地元で「漬物名人」として知られていた。
欽也さんは、その祖母の漬物を食べて育った。父は故人となったが、野菜を売るだけでなく、北海道の伝統の食文化を全国に広めたいと常々夢を語っていた。
人口減、大型スーパーの台頭と、個人商店の八百屋を取り巻く環境は厳しくなっていった。余った野菜で漬物を作って、商品にしてみよう、と欽也さんの挑戦が始まる。
最初は浅漬けをつくっていたが、次第に「北海道の漬物」、ニシン漬けに思いが傾いていった。ニシン漬けは家庭の漬物。正しいレシピはなく、どこの家庭でも思い思いの方法で、当たり前のように漬けていた。初冬にはダイコンを干す風景が家の軒先にも見られた。目指したのは、漬物名人の祖母の味である。
「寒い、重い、地味。仕事としての漬物づくりのイメージはこんなものでしたね」と欽也さんは言う。「だからみんなやりたがらない。おのずとライバルは少ないだろうと思いました」と、今は笑いながら当時を振り返る。だが商品化への道はそれほど平坦なものではなかった。
色とりどりのピクルスは妻の美智子さんの担当。タマネギ、長イモ、トマト、豆、ジャガイモ、キノコ等、使う素材もさまざまだ。
妻の美智子さんも留萌出身。銀行員として8年間働いた。結婚するまで漬物など漬けたこともなかったが、漬物は常に身近にあった。冬場、家の外に保管してある漬物を取ってくることをよくやらされた。木の樽に入れてあっても、冬場は表面が凍る。張った氷をトンカチで割って、シャリシャリした漬物を取り出して、丼に盛って食卓に出す。
「そうやって一冬かけて食べてましたね」と美智子さん。その後、八百屋に嫁いだものの、まさか自分が漬物屋になるとは思いもよらなかったという。
「漬物の話しかしない夫」に毎日付き合わされ、「すっかり洗脳されました」と笑う。
その後、野菜ソムリエの資格を取り、新商品としてピクルスの開発も担当するようになった。
自ら書いた「一」の字の前の田中欽也さんと、美智子さん。「一」の下には小さく「歩」の字が。「一歩一歩進む」を表しているという。商品名の「やん衆にしんづけ」の「やん衆」はニシンが大漁に獲れた時代に、漁場で働いていた季節労働者のことだ。
ニシン漬けという北海道の伝統食を何とか全国に広めたいという父の思いを欽也さんは受け継いだ。だが、家庭で冬場に作っていたニシン漬けを、通年生産して全国発送できるまでになるには、長い試行錯誤が待っていた。
ニシン漬けは発酵食品。ダイコン、キャベツ、ニンジン、身欠きニシンに米麹を加え、発酵させる。野菜も季節で状態が変わり、温度管理も微妙に変わる。温度が何より重要で、発酵をうまくコントロールするのに季節ごとの多くのデータが必要だったという。舌が覚えていた祖母のニシン漬けの味に近づけるため、データを数値化して蓄積し、商品として通年で流通できるようになるまで約15年間かかった。到着したら発酵が進み過ぎて袋がぱんぱんに膨らみ、返品の山、そんなことが何度もあったという。到着してから、1週間から10日で食べ切るのが一番おいしいように作る。
「漬物を生き物とし扱います。樽のフタを開けて発酵の具合を確かめながら、漬物と対話する。チーズと似ているかもしれません」と欽也さんは語る。塩分が低くても保存食になるのは、低温と乳酸菌が守っているからだ。
「『売っているニシン漬けはおいしくない』という考えを覆したい」と欽也さん。
北海道の漬物、「ニシン漬け」の本当の味を全国の人に知ってもらうため、自ら道外の物産展にはひんぱんに出展する。対面販売が基本。説明を厭わない。
商品を売るだけではない。田中青果は、毎年「ニシン漬け教室」を開いていて、その作り方を教えている。また、すぐに食べられる商品の他に「ニシン漬けキット」という材料と漬け樽のセットも販売している。
自分の開発した商品は最後まで面倒を見るのが会社の方針。漬物のパッケージには欽也さんが自ら書いた筆文字が踊る。書道の経験はない。ピクルス担当の美智子さんは、ジャガイモ、キノコ、タマネギ、等の斬新な素材をピクルスにし瓶の中にディスプレーする。
「漬物という食文化を絶やしたくない。この伝統を紡いでいくのも大事な仕事と思ってます」と欽也さんは語る。二人が漬物と対話する日々はこれからも続きそうだ。(文・写真:吉村卓也)
田中青果 留萌本店
(留萌市栄町2丁目3-21)
0164-42-0858
10:00~18:00
不定休
http://www.yanshu-tanaka.co.jp/
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