さて、現代。2003年、日高山脈の西側にある穂別町(現むかわ町穂別)の山の中で、1人の男性がある化石の入った石を見つける。元郵便局員で化石の採集を趣味としていた堀田良幸さんだ。堀田さんはこれまでも、多くの化石を見つけて穂別博物館に持ち込んでいた。この地域では、海に住む大きな首長竜、アンモナイト、カメなどの化石が多数発掘されていた。
堀田さんからの連絡を受けて現場に向かったのは、現館長で当時学芸員だった櫻井和彦さんら博物館のスタッフ。化石はだいたいが「ノジュール」といわれる硬い石に覆われている。その中に黒っぽいものが入っていたら、化石の可能性が高い。よほどの愛好家か専門家でない限り、素人にはその区別は難しい。堀田さんの見つけた、化石が含まれるであろう石を全て掘り出して博物館に運んだ。7200万年の眠りから、人の手によって化石が動いた瞬間だ。
そんな石が博物館にはたくさん持ち込まれ、学術的重要度が高いと思われるものから優先的に化石の削り出し作業が行われる。これを「クリーニング」といい、小さな削岩機のような機械で、石を削って化石を出して行く。一日に進めるのは数ミリということもある地道な作業だ。クリーニング作業を待つ化石を含んだ石は、今も収蔵庫に山のようにある。
櫻井さんはこの石の中に、後に日本を揺るがす大発見となる「カムイサウルス」(通称むかわ竜)の化石が入っているとは露程も思わなかった。よく出る首長竜ではないかと思い、そのまま収蔵庫で保管されることになる。この標本はここでさらに7年間眠る。
カムイサウルスが発見されるまで、同博物館に恐竜化石はなかった。町のシンボルとしてよく描かれているのは「ホベツアラキリュウ(通称ホッピー)」と呼ばれる首長竜。これは海にいる大型爬虫類で恐竜ではない。
実はそれまでにも一度、「恐竜ではないか」と思われる化石が発見されたことがあったが、調査の結果「ハズレ」だった経緯があった。「直立歩行する爬虫類」「脚が胴体から地面に垂直に降りている」「陸上で生活する」といいった要素を満たさないと「恐竜」とはいえず、日本では部分的に骨の一部が見つかるのがせいぜいだった。中生代の生物を扱う博物館にとって「恐竜」というのはスーパースター級の扱いなのだ。博物館には「ホベツアラキリュウ」全身実物大骨格標本がドンと鎮座している。その大きさでも十分迫力がある。「あ、恐竜だ!」と喜ぶ人に、「実はこれは恐竜じゃないんですと説明するたびに、悔しい思いをしたもんです」と、櫻井さんは振り返る。
そして2010年、博物館に首長竜の専門家である佐藤たまき先生(東京学芸大准教授)が訪れる。珍しい種類の首長竜かもと、いくつか「気になる」石を見つけ、博物館にクリーニングを依頼した。その中にカムイサウルスの化石が、実はあった。
1年後、佐藤先生が再び同館を訪れる。依頼していたクリーニングはだいぶ進んでいた。そのうちの一つがどうも首長竜のものには見えず、たまたまクリーニング技師が不在で、気になった佐藤先生は自分でクリーニングを始めた。その結果わかったのは、「これは首長竜ではない」ということ。そして「どうやら恐竜らしい」ということだった。佐藤先生にとっては「ハズレ」、だが博物館にとっては「大当たり」だ。
「聞いたときは頭が真っ白になりました」と櫻井さん。同時に「これは大変なことになる」と直感したという。
櫻井さんは、恐竜の研究者として世界的にも知られる小林快次(よしつぐ)先生(現北海道大学総合博物館教授)にメールで連絡。小林先生はすぐに穂別博物館を訪れ、実物を見て「間違いなく恐竜、尾の部分の椎骨」だと断定した。
尾の椎骨が連続した状態で発見されたことから、、どうやらこれに続く化石がさらに見つかりそうであること、それも全身が埋まっている可能性が高いことが示唆される。そのころ、穂別町は南隣の鵡川町と合併して「むかわ町」となっており、櫻井さんは町や発掘現場の土地所有者である道と根強く交渉し、大規模発掘計画を作りあげることに奔走する。
2012年から発掘計画を策定し、現場の道有地の発掘許可、立木の伐採、現場までの林道整備の準備が進められていった。冬の季節は作業を休み、1年毎に少しずつ掘り起こし、持ち帰ってはクリーニングを進める、という気の長い作業。
詳細は省くが、骨の一部が見つかった早い段階から、全身が埋まっている可能性を指摘し、大規模発掘に導いた小林先生の眼力はさすが恐竜研究の第一人者とうならざるを得ない。
2013年、第一次発掘に先立つ記者会見には小林先生と発見者の堀田さんが並んで登場。壇上には、最初に発見された尾の部分の化石がずらりと並べられた。
むかわ町も発掘作業を全面的にバックアップ、2016年、町は「むかわ町恐竜ワールド戦略室」を立ち上げた。小林先生の見立て通り、最終的に全身の化石約8割が見つかり、体長約8メートル、体重約4〜5.3トンと思われる日本初の全身骨格化石が穂別の体育館に並べられたのは2017年のことだった。恐竜はハドロサウルス科に属し、さらに新種であることがわかり2019年には「カムイサウルス・ジャポニクス」という学名も確定した。
地元の化石愛好家の手で見つけられてから16年の年月が経っていた。カムイサウルスが眠っていた7200万年間に比べれば、あっという間に有名になったと言っていいだろう。
恐竜は特に脚光をあびがちだが、日高山脈付近の地層は多くの化石を産する地域が多い。
三笠市立博物館は日本一のアンモナイトのコレクションを誇り、世界中から研究者が訪れる場所でもある。館に入ると、直径1メートル以上の大きなものから、指先にのるような小さなものまで、さまざまなアンモナイトが整然と並べられている。
生息当時は、巻き貝のような体からタコやイカのような体を出して海を泳いでいたとみられ、恐竜と同時代を生きていた。
アンモナイトは丸い、と思われがちだが、一角に不思議なコーナーがある。チョココロネのパンを引っ張って伸ばしたようなもの、複雑に絡まったようなもの、長い棒のようなもの。どれも丸くないが、これらは「異常巻きアンモナイト」と呼ばれる。同館学芸員の相場大佑さんは、この「異常巻きアンモナイト」を専門としている研究者だ。「異常」という言葉は誤解を生みやすいが、これは奇形ではなく、アンモナイトの種類なのだそうだ。北海道では特にこの種のアンモナイトが発見される度合いが高く、その理由は「謎」である。その造形の不思議さに魅せられる。その中の一つ、相場さんの発見した新種は2021年1月、「エゾセラス・エレガンス」という優美な名前を付けられ展示されている。
カムイサウルスという日本最大級の発見により、恐竜や化石の見つかる場所として、北海道は一躍脚光を浴びることになった。北海道庁もこれを地域おこしに役立てようと、関係自治体等とともに構成する「北海道恐竜・化石ネットワーク研究会」を設立。「恐竜・化石大陸 北海道」をキャッチフレーズとして、道内5カ所の博物館等を巡ることでコレクションできる「恐竜・化石カード」を配布するなど、その取組は好評を博している。2021年にはクラウドファンディングで「ほっかいどう恐竜・化石マップ」(※写真右下)を制作。このマップには穂別博物館や三笠市立博物館、小平町、中川町、足寄町などの各施設で展示されている恐竜・化石なども紹介されている。今夏にも、北海道の恐竜・化石をテーマとした企画を検討中。カードやマップをゲットできるチャンスもありそうだ。
穂別博物館に戻る。カムイサウルスの実物化石は、最初に発見された尾の部分と大腿骨がガラスケースの中に展示されている。体を支えた大腿骨の大きさや、その状態のよさに改めて驚く。
同博物館は、手狭なこともあって建て替えが予定されていたが、2018年の胆振東部地震によって計画が延期されたままになっている。入口横の部屋にカムイサウルスの全身骨格模型が展示されている。部屋が狭くて尾の部分が収まらず「省略」されているが、標本の前に立ち、体を想像で肉付けしながら、この恐竜が動き回っていた時代に思いを馳せる。
「よく出てきてくれたな」と声をかけたくなる。隕石が衝突しなかったら、恐竜は今も生きていたのだろうか。人類が生まれ、恐竜と共存できていたのだろうか、それとも文明が栄える前に、恐竜たちに捕食されていただろうか。
そんなことを考えながら、芽吹きがはじまった野山に人家が点在する穂別の町を後にする。空飛ぶ鳥に「君らの祖先は恐竜らしいぜ」と、車の中からつぶやいてみた。
(文・写真 :吉村卓也)
● むかわ町立穂別博物館 むかわ町穂別80-6 tel. 0145-45-3141 月曜休館 (学校の夏休み期間は無休) ● 三笠市立博物館 三笠市幾春別錦町1丁目212-1 tel. 01267-6-7545 月曜休館 (祝日の場合は翌日) ※詳しい開館日、時間は各館ホームページで。または事前にお問い合わせ下さい。
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