恵庭市にあるすずらん乗馬クラブは今年で創設43年目を迎える。積もった雪の向こうに、乗馬を楽しむ人の姿が見える。数頭の馬が規則正しく円形の馬場を回っている。リアルなメリーゴーラウンドみたいだ。例年にない大雪で、遠くからは鞍に乗った人と馬の頭しか見えないほど雪は深い。聴こえるのはリズミカルな馬の足音と、指導員の声、馬の呼吸。周りには平原が広がる。JR恵み野駅から徒歩10分のところにあるとは信じられない。
すずらん乗馬クラブは、現代表の濱田桂子さんが設立した。濱田さんの馬との出会いは10代のころに遡る。
父の知り合いが日高にいて、牛の牧場に連れていってもらった。そこに馬がいた。思わず「触っていい?」と聞くと「いいよ」と言われて、抱きついてみたらものすごく暖かかった。「またがって歩いてみるかい?」と言われ、鞍もなしで馬に乗った。「何歩か歩いただけなのに、その暖かさにすごく感動してしまって」と濱田さんは当時を振り返る。牛乳を運ぶために飼われていた馬だと後で知った。
本人いわく「スキーもスケートも鉄棒も縄跳びもできない運動音痴」が馬に魅せられた運命的な出会いだった。その後、自分でも乗馬クラブに通うようになり、東京に出て乗馬の学校に通うまで夢中になった。
そこで出会ったのは、今すずらん乗馬クラブで調教師、指導員を務める川端鎮明(まさあき)さん(表紙写真)だ。初めて川端さんの調教した馬に乗ったときのことを濱田さんはこう語る。
「またがってみたけど、全然思うように動かないんですよ。でも川端先生が乗ると馬が回転木馬のように動く。ああいう風に乗れるようになりたい、川端先生の作った馬に乗りたい、と思いましたね」。
濱田さんは川端さんのことを今でも「先生」と呼ぶ。その思いは叶い、東京出身だった川端さんは、結局クラブの開設時から関わることになり、北海道に移住する。
「乗り手の指示に従って馬が躍る」。川端さんはよく言われる「人馬一体」という言葉をこう表現した。東京の乗馬クラブに10年ほど在籍し、調教や指導員の資格を取った。「馬を作る」と川端さんは言う。「小学生に大学生なみのことをさせるようなもんです」と言い、それには最低でも半年、馬術競技用の馬では数年かかることもあるという。馬が乗り手を受け入れる信頼関係を構築しないと、それはできない。競技用の馬も何頭も育て、自身も競技に出場していた。
「ええ、ここにいる馬の性格は知り尽くしていますよ」と笑う。
馬にも性格のいい悪いはあるのだろうか?
「もちろん。性格は目を見るとだいたいわかりますね。でもやっぱり乗ってみること」と川端さん。
「それはもう芸術作品を作るにも等しい仕事。深すぎます」と語る。
すずらん乗馬クラブにいるのは引退した競走馬が多い。これまで早く走ることを教えられてきた馬に、違う世界を教えるのも腕の見せ所だ。
濱田さんが馬と一緒にいたいと思って場所を物色していたとき、たまたまある牧場で3頭の馬に出会った。買ってくれないか、と持ちかけられる。
「私が買わなかったらどうなります?」と聞くと、「ああ、肉になるよ」とそっけない答え。
すぐ購入を決意。牧場の周りは原野。当時は駅も近くに無く、どうやって事業をするのかの計画もなかった。
「結局あの馬たちを助けたかったのですね。あの3頭がいなかったらどうなっていなかったかわからない」と濱田さん。馬に会いたい、一緒にいたい、いろいろな人にその素晴らしさを知ってもらいたい、との思いは今も変わらない。馬は24頭になったが、利用料金は40年以上変えていない。
最初は趣味で始めたようなもの、というクラブもだんだんと口コミで客が来るようになる。当時はまだ高尚な趣味というイメージが強かったこともあり、顧客はもっぱら富裕層。財界人などが知り合いを連れて訪れるようになり、事業化のアドバイスをくれるようになった。
時は流れ、クラブの客層は昔とは大きく変わった。馬に乗りたい、とやってくるのは、会社員、学生、定年後の人などで、女性の多さが目立つ。首都圏のクラブに比べたら料金はかなり安いので、東京から日帰りで乗りに来る人もいるし、悩みや生きにくさを抱えた人が、馬に癒やされることもあるという。
札幌市の江口千豆子さんは33年間クラブに通っている。最初は当時小学生だった子どもが馬に乗りたくて連れてきたが、自分が楽しさにはまった。10年ほど前からは定年退職した夫と一緒に楽しむようになったが、それまでは25年間JRで通った。「単なる乗馬を越えた馬とのつながりでしょうか。うまく動かないときには、馬に取って受け入れられないことがあるということ。人間に原因があるということもだんだん分かってきました」と語る。
さて、ここまで話を聞いたら、筆者もぜひ馬に乗ってみたくなった。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」だ。馬は小さいときに引き馬に乗ったくらいの経験しかない。
「できるだけ性格のいい馬で」とお願いしておいた。やってきたのは「セレスエンブレム」号。20歳になるオスの栗毛。優しくておとなしそう。
「では乗ってみましょうか」という指導員の指示に従って、木製の二段ほどのステップから馬にまたがる。「乗るときはたてがみをぎゅっとつかんでね」と。馬が痛がるのじゃないかと思ったが大丈夫らしい。
鞍にまたがる。あぶみに足を入れるのも指導員さん任せ。ああ、視線が高い。目に入るのは馬の長い首とたてがみ、ぴんと立った耳。
乗馬姿勢、手綱の持ち方等を教わり、円形の馬場へ。指導員さんが手綱を持っていてくれるので安心だ。「じゃあ、自分で動かしてみましょう。かかとで馬のお腹を蹴ってください」。
え?蹴っていいのかな?
ドン。動かない……。「まだまだ弱いですね〜」。
ドン!ドン!反応なし……。「まだまだ!」と言われるものの、痛くないのだろうかと思ってしまう。そうとう強く合図してようやく動きだした。
「歩いているときも蹴っていいですよ」と言われる。蹴るとちょっと馬の動きに勢いがついて軽快になるように感じる。「じゃあ、止まってみましょう。手綱を手前にゆっくり引いてみてください。上に引かず水平に」。
ぐぐぐっ、とブレーキがかかったように馬が止まった。表情は見えないけれど、何かコミュニケーションしている気分になる。「じゃあ、お尻を浮かせて立ってみましょうか」と次のステップ。これがいちばん難しかった。あぶみはゆらゆらするし、どうしても馬の首あたりに手をついてしまう。慣れると脚の動作だけでうまくできるようになるらしい。濱田さんが言っていた「股関節を使うから運動としてもとてもいいんですよ」という言葉を思い出す。
「ほれ、起きろ!」と指導員の声。どうやら退屈になった馬がうつらうつら眠ってしまったらしい。ヘタな乗り手でごめんね。でも最後までおとなしく付き合ってくれた馬に感謝。
後で調べてみたら、このセレスエンブレム、競走馬としても三勝をあげていた。あんなスピードで走っていた馬だったことにちょっと驚く。今はゆっくりと余生を過ごしている。
すずらん乗馬クラブにいる馬の中には、競馬ファンなら誰でも知っているような馬もいる。見に来るファンも多いという。最近入ってきたばかりというちょっと細めの馬が馬場を走っていた。まだ調教前というこの馬は「サナティオ」号。あの「ディープインパクト」の子どもだ。6戦1勝して競馬を引退した。
厩舎ではベテランの厩務員が馬をていねいに手入れしている。引き取った馬は最後まで面倒を見るのがこのクラブの方針。処分した馬は1頭もいないのが自慢だ。
「24頭みんな、死ぬまでここで暮らします。せっかく縁があって来た生き物ですから」と濱田さん。
「緑の中で、馬に触れて、息抜きする人たちを見るのがいい。ようやくそんなクラブになれた気がします」。
(文・写真:吉村卓也)
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