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今月の投稿テーマ
『お正月メモリー』
2014年もいよいよ歳末!そこで今回のテーマは『お正月の思い出』です。家族や親せきとワイワイ過ごした子どもの頃のお正月、ひたすらアルバイトに明け暮れた学生時代の年末年始、国内・海外の旅行先で迎えた印象的なニューイヤー……など、皆さんのお正月エピソードや思い出を教えてください。

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20代後半の頃、友人と二人でグアムに行き、年始は東京の友人のアパートで一緒に過ごした事を思い出します。(ひろチンさん)

大掃除が終らずお正月からトイレ掃除をした切なさ、です。(天茶布さん)

年末の出来事で、必ず思い出される出来事。それは、40数年前、紅白を家族で見ていたときのことです。男性アイドルが出て、歌い出した途端、父が「こんな奴が紅白に出るなんて」と、突然テレビを消ししまったことです。それは、当時高校生の私が大好きだったアイドルで、紅白出場を楽しみにしていた歌手でした。当時の大晦日は、紅白を見る以外楽しい番組もなく、テレビを消されたら大好きなアイドルを見ることも出来ず、父と私は大げんかになりました。母が仲介に入り、父は茶の間の横の寝室で布団に入って寝てしまい、私はテレビの音量を小さくして紅白を見ていました。あれから、父と紅白を一緒に見ることはなくなりました。娘が男性アイドルに熱をあげているのがいやだったのでしょう。今でも母が、年末になると「あの紅白の時ねぇ」と話題にします。私はあれ以降アイドルから一線をおいていましたが、ここ数年前、40代を過ぎてから、いわゆる”ジャニオタ”になった事を打ち明けられずにいます。(猫のみーぼさん)

大晦日に風邪を引き、今年のお正月は寝込んでいました…
来年こそ楽しいお正月にしたいものです!(ショウジさん)

子供の頃、お正月には必ず高熱を出していました。(みのんさん)

バンコクの川沿いのホテルで見た、新年を祝う花火がとても綺麗だった。
(jasmacさん)

毎年家族で大晦日は紅白を見て過ごし、初詣もせず寝正月です。
雪が積もると雪掻きに外にでるぐらいです。(エイちゃんさん)

 長年の東京暮らしに終止符を打ち、退職を機に札幌での生活を始めました。
雪景色を眺めながらの年末年始。北の味覚に舌鼓をうちながら、家族で過ごす幸せを噛みしめています。(mikannさん)

学生時代は 大晦日の夜 初詣にオールナイトで出かけたものだった。今はそんな元気もなく 寝ている方が良い・・(ちいちゃんさん)

小学生のころ 祖父に 花札と麻雀を教えてもらいました(かっぱさん)

 現役時にペルーの日本大使館主催の「恒例年始パーティー」に招待されたときの豪華な日本食(握り鮨その他豪華絢爛)に舌づつみ、素っ気ない海外の正月風景にあって遠い日本の正月が懐かしかった。
(かなさんさん)

今年は得意の焼き豚を作ろうと思います。おせちは何年前からか既製品になってます。昔は全部作ったものですけど、年々手抜きになりましたね。子供や孫も来てにぎやかになると思いますが、かわいがってた猫が天国に旅立ってちょっと寂しいお正月かもです・・・(ちぃさん)

お正月は家族でスキーに行くことが多かったです。若い頃は友人たちと過ごす年末年始が楽しかったのですが、だんだんまた家族ですごすことが増えました。最近の年末年始の楽しみは母と姉と私の三人で丸一日かけて御節を作り、それをそれぞれの家に持っていって食べることです。豪華な御節も良いですが、手作りの美味しさにかなうものはありませんね。(rumiikoさん)

小さい頃のお正月の思い出は食べ物。今のように冷蔵庫も無く隙間風の入る台所に塩引き鮭がぶら下がり、お餅は一斗缶に入れ凍らせて保存、豚肉は近所共同で1頭を買って分け合い味噌漬け 粕漬け、他雪の中で冷凍保存。お雑煮にはイクラが煮えて入ってて・・・今は元旦からスーパーで新鮮な物が手に入り「ごちそう」と云う言葉も死語になりつつありますね。(ぽこおばさんさん)

中学生の頃の話です。
毎年、仲良しの友達と北海道神宮に初詣に行きました。
大晦日から出かけ、年が明けたら、みんなで祝杯をあげたことが思い出です。
今は、家族とゆっくり迎える正月に幸せを感じます。(はなちゃんさん)

年末年始は郵便局でハガキの仕分けのバイトしてました。
近くにバイト出来るコンビニなど当時無かったので…(すーらいるさん)

年末に吹雪で飛行機が飛ばず予定通り帰られなくなったこともあります。(はらぽちゃ君さん)

実家に帰って朝からビール!!最高ですね!!(みーちゃん11さん)

大雪で元旦空、雪掻きで大変だった年があったなあ。(北北親父さん)

私が小さい頃の正月は、各自にそれぞれお膳に料理が用意されていた。(ライオン丸さん)

年末は高校山岳部OBの集まりで山小屋に集合。
昼は山歩きと山スキー、夜は酒盛りに明け暮れ、
年を越してから里に下りてきたものでした。
いつしかその集まりから外れてしまいました。(ちゃたさん)

地味な正月です。(プー母さん)

普段は夫婦ともとても忙しかったため、新婚旅行は年末年始の休みを利用するしかなく、2011年のお正月は旅行先の西表島で迎えました。
日本なんですが、さすが南国の地、少し肌寒いものの雰囲気は冬とはほど遠く、離島のリゾートホテルで迎えたお正月はとても暖かくかんじ、ホテル内で年末年始を祝うため催されたエイサーの踊りや、日本的な書き初め、ロビーで振る舞われた新春のお酒などとっても楽しいイベントが盛りだくさんでした。
ロマンチックな新婚旅行とは少し違いましたが(笑)、日常の忙しさや緊張の日々から解き放たれ、二人思う存分南国のイベントを楽しんだお正月でした。
(なっこさん)

子供の時の思い出は、正月親戚が集まり、お酒が入ってくると、トランプで賭けごとをしたことです。大人と子供が2人1組になり、小額のお金をかけるのですが、残ったお金は子供たちがもらえます。お年玉以外の臨時収入でした。違法(?)かどうかわかりませんが、楽しい思い出です。(hanaさん)

子供時代は、実家が八百屋でしたので、大晦日も商売をしており、その手伝いをしていました。当日は母親が早めに家に帰って年取りの準備をして、父親と店を閉めて家に帰り、急いで銭湯に行って、帰ってから準備をして年取りを迎えました。慌ただしい中にも、嬉しいひと時でした。(帰ってきた遊び人さん)

毎年祖母からお年玉を貰った記憶です。(すいれんさん)

子供が中学生までは、ニセコで松明滑走をして新年を迎えていました。抽選会でも当たることはありませんでしたが、楽しい思い出です。ある年は、NHKの行く年来る年の中継対象となったとの説明があり、家に連絡して録画してもらいましたが、自分達の後方は映っていましたが、結局雰囲気を感じただけの映像になってしまって寂しかった記憶があります。(jack10さん)

いつもは料理をしない私(夫・父)ですが、お雑煮だけは必ず作ります。我が家のお正月の味なのです。(ミラクルさん)

 故郷の地区の長だった義父と家族と共に、
12月31日の夜中から、神社の冷たい板敷に座って、
新年を迎える儀式に参加し、新春のめでたさや厳かさなど感じる余裕もなく、
ただただ「寒さとのたたかい!」だったのを、
今では懐かしい思い出です。
 
 今でもあの習慣は続けられているのでしょうか?

故郷には地縁もなくなりましたが、毎年新年に思い出す一コマです。



(さんびきのははさん)

最近の正月は、成田空港でのお屠蘇の振る舞い位でしか感じることができない。目的地がオーストラリアだったり、UAEだったりしても、クリスマスの名残りの飾り付けが取り忘れられている位で、お供えもお雑煮も旨煮もない。子供が小さかった頃には、妻が重箱に料理を詰めて、一家みんなで着物姿で年越しに実家に集まって飲んだり、食べたりしたものです。父も母も弟も亡くなった今は、妻と一緒に孫に会いに出掛ける日に変わっています。

(よっちゃんさん)

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