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今月の投稿テーマ
『ああ、空港。』
旅立ちの場所、帰り着く場所、別れの場所、再会の場所、見送り、見送られ……。かつては海の港にあった風景が、今は空の港「空港」に取って変わられました。特に北海道に住む者にとって、空港は身近な場所。空港に行くだけでなんとなくワクワクするのは、そこが多くの新しい世界とつながっているからでしょうか。
きっと数々のドラマがあることでしょう。人生の中で、空港にまつわる思い出、きっとあると思います。楽しい出会いも、辛い別れも、期待も不安も。どうぞお聞かせください。

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若かりし20代前半。仕事を辞め、念願の初海外で、初のホームステイへ!
空港まで、当然のように両親に送ってもらい、意気揚々と旅立った自分。
今、10日ほどとはいえ、1人・10代の娘を海外に送り出す事になり、あの時の親の気持が痛いほどわかります。
ありがとう!そしてごめんね、お父さんお母さん!(ユリゴーヤさん)

失恋の心の痛みを抱えて夜の国際線で海外旅行に旅立った思い出。(しのっちさん)

久しぶりに2月に飛行機に乗り沖縄へ旅に行きました。那覇空港に降りたとき、暖かい空気とにおい、南国の植物がお出迎えしてくれ
すごくよかったです。またいろいろな空港にお邪魔したいです。(chokoさん)

このコロナ禍久しく出向いては居ませんが、半世紀以前に出張先で足の爪を剥がし下駄履きで、YS-11機に搭乗した事を思い出しました、当時のスチュアデスの方の声かけと笑顔を懐かしく思い出しました(笑)
(yosiiさん)

空港へはあまり行ったことがありませんが、沖縄に行ったとき、那覇か石垣の空港に大きめの水槽があったのを覚えています。
娘が2歳前だったかと思いますが、水槽にへばりついて離れない…。
一歩でも離れようものならギャン泣きするので飛行機の時間を気にしながらどう引きはがすか悩まされました。
お魚とのお別れは娘にとってはつらかったようです。ギャン泣きされて注目を浴びるママもつらかったぞ…。(もも太さん)

そういえば千歳にも水槽がありましたね(Y)

空港は外への出入口。北海道から脱出する場所で、子供の頃は空港に行くとワクワクしました。道内は遊び尽くしたので本州に行くことが楽しみです。(みっちょんさん)

高校を卒業してクラスの仲間がそれぞれ新天地へ旅たって行った。帯広空港が懐かしい。(おっつさん)

丘珠のような小さな地方空港が好きです。飛行機のすぐ横を歩いてタラップを登るのがたまりません。(mzlegmzさん)

飛行機を間近に見れるのもいいですよね(Y)

かつて出張帰りに、お土産を買っていて搭乗に遅れそうになりました。空港の方と走るに走って何とか間に合いました。それいらい、余裕を持つ様にしました。(シュウちゃんさん)

新千歳空港が出来た時に、室蘭から、空港見学に行きました。(ゆきさん)

平成の初めのこと、当時のソ連のエアロフロートの成田発モスクワ経由フランクフルト行きの便でドイツに行ったのが初めての海外旅行でした。成田空港からは指定席でしたが、モスクワでトランジットのため一旦降機後、再び同じ飛行機に乗り込んで自分の席に戻ったら別の人が座っていました。乗務員に話したところ、自由席なのでどこでもお好きな席にどうぞ、との回答。飛行機は指定席が当たり前と思っていましたが、自由席のこともあるというのが驚きでした。(シゲさん)

すみません、飛行機に乗った事がないので…(しゅーくりーむさん)

可愛いですね(笑)
(ネオパラさん)

乗り継ぎの韓国の空港でサテライトターミナルに行く一方通行のアクセス電車に乗ってしまい、同じ境遇の女子大生と係員の案内でなんとか飛行機に間に合いました。(シュガッチさん)

空港には縁がありません。(アルコホリックさん)

お土産がたくさんあるので、迷ってなかなか決まらなかったことがありました。(hosinoyumeさん)

大学院を卒業してイギリスの学校に勤務することになった時のことです。関東の大学だったので、新潟の実家にはまったく寄らずに成田空港に向かいました。後輩の車で送ってもらい、空港に着くと目の前に母が! びっくりして絶句している私に、遅いじゃないのー、と空港にいることが当然のように母は言いました。さりげなく我が子を心配する親の気持ち、私も今ならわかります。忘れられない母との素敵な思い出です。(しなこさん)

行動力のあるお母様、すてきです!(Y)

学生の頃、初めて一人で飛行機に乗り、就職の面接へ行きました。ドキドキとワクワクでいっぱいでしたね。それから飛行機に乗るのが大好きになりました。(くろっぴいさん)

千歳空港に初めて行ったのは、50年ほど前、小学校4年生の見学旅行でした。飛行機を間近にみて、その大きさにすごく驚いたのを覚えています。空港の中も近未来的に見えて別世界のようにワクワクしながら見学しまいした。お金を貯めて、いつか飛行機にのるんだ、と心に誓いました。
(ゆうきの母さん)

大学進学の為、東京に行く息子を女満別空港より見送りました。初めての東京。心配は尽きませんでしたが、今となっては6年過ぎ、少しはしっかりしたかと、東京に出したことは良かったと思えるようになりました。
都会生活、夏の暑さ、など今も心配ですが、遠く離れた北海道より、幸せになって欲しいと願っています。(みつよさん)

たまには里帰りされているのでしょうか・・・寂しくもあり誇らしくもありますね(H)

札幌市内で病気入院中の義母を見舞うため、千葉県の自宅から羽田空港へ向かった。空港に到着し、チェックインしようとしたまさにその時、容態が急変し、死去との電話が入った。急いで自宅に取って返し、喪服などを手に再度羽田へ。同じ空港へ一日に二度行ったのは、生まれて初めてでした。
(あざらしくんさん)

平成元年に4度目の転勤先として札幌に命ぜられました。関東産まれ関東育ち、初めての北海道で土地勘もなく不安いっぱいの中、千歳空港(新千歳空港)着きました。空港から札幌までの距離が本当に長く感じたことを今でも時々思い出します。
(セイジさん)

千歳空港の温泉施設はいいですね。町内会のレクリエーションで行きました。皆さん普段の空港利用と違う利用で喜ばれていましたよ。(ヒロシさん)

国交回復前、北京空港で給油中に警備隊員に銃を向けられいたのが凄かった。そんな時代があったのよ。(チロさん)

昔のソ連も空港には自動小銃を構えた警官がうろうろしていたそうです・・・(H)

関東に住んでいた時、札幌の実家に帰省するため羽田空港にいました。娘がまだ1歳でトイレでおむつ交換をし、チェックインして中で待っていた時に気づきました。娘、靴を履いてない。おむつ交換でベビーベッドに寝かす時に靴を脱がして床に置いたけど、履かせないでそのまま連れてきてしまった。急いで係の人に事情を言い、私一人トイレまで行きましたが、その時に限って、かなり離れたトイレだったので、猛ダッシュ。なんとか出発時間に間に合いましたが、嫌な思い出です。(ましゃゆきさん)

初海外出張はチェックインからドキドキものでした(しょっちゅうさん)

あれは5年前、中部空港からの直行便で千歳空港に帰る時だった。なんと飛行機の手配が付かないため約2時間の遅延に遭遇した。「え、千歳23時頃、JRの最終に間に合うの?」。あの時の不安と苛立ちは忘れない。千歳に着いた。JRの最終まで数分。機内から焦った。皆さんも走った。人気の無かった空港内は騒然となった。「あっ、電車が待ってくれていた」。JR職員が叫ぶ「切符は買わないでご乗車を」。救われた。

(ちっちゃんさん)

大雪の日に羽田空港で10時間以上過ごしたことがありました.辛かった.(キョウゴさん)

転勤、旅行、出張で千歳、羽田空港を中心に何度利用したことか。道内外の地方空港も、地域の特徴があって好きです。(やすしさん)

大学受験の時、初めて飛行機に乗りました。行き先は函館。出発は今は懐しい(旧)千歳空港。一浪の末、二浪はできぬと覚悟を決めての旅立ち。出発前、喫茶店に入って間もなく、テレビで見覚えがある女性が隣席に。当時人気のNHKの朝ドラのヒロイン・女優の紺野美沙子さんでした。同行した友と勇気を出してサインをもらいに行くと快く応じてくれました。結果、受験にも成功し、こりゃー春から縁起がいいわいと思った思い出です。(みうらっちさん)

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