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特集「栗山町に住んでみた」の表紙の写真です

特集Vol.221
『栗山町に住んでみた』

公開:2023年1月16日 ※記事の内容は取材当時のものです。
シリーズ「住めば都」夕張郡栗山町編 地方移住を考える

シリーズ「住めば都」夕張郡栗山町編
地方移住を考える

 2022年8月末日現在、北海道庁のデータによれば北海道には約515万人が暮らす。人口のピークは1997年の約570万人で、以降人口は減り続けている。全国の人口のピークは2008年だったので、北海道は時代に10年先駆けて人口減少局面に入ったと言える。同時に進むのが札幌圏への人口集中だ。1970年には北海道の人口の約5分の1が札幌圏に集中していたが、現在はそれが4割を超え2分の1に迫ろうという勢いだ。

 だが、人口減に悩む道内の自治体も手をこまねいているだけではない。多くの市町村が移住に向けての施策を行い、専門の窓口を置いているところも多い。そんな市町村を、ぶらりと訪れてみようと思う。まずは空知地方の南にある栗山町から始めよう。

若者定住推進課のある町

 新千歳空港から車で約45分、札幌から約60分。北に岩見沢市、東に夕張市、西に長沼町と由仁町に接する。人口約12,000人。ご多分に漏れず人口は減少しており、2015年に同町が作成し2021年に改訂された「栗山町人口ビジョン」によれば、このままの状況だと2060年に人口は5,000人を切ると予想されている。同ビジョンの中で、町が重点を置く決意をしたのがUターンやIターンを含めた若者の定着だ。同町ではビジョン策定の一年前に、「若者定住推進室」(現在は推進課)を設け、移住者に向けたさまざまなPRを行ってきた。

 2022年12月のある日、「移住」をキーワードに、移住した人、そのサポートをした人、7人の関係者に集まってもらった。場所は、町内に2021年8月に移住者がオープンしたレストラン「サメオト」。イタリアンを中心としたボーダレスな料理の店で、予約で満席になることも多い人気店。オーナーシェフは苫小牧出身の早乙女充さん。苫小牧から京都の大学に進み、その後料理の道へ。京都、イタリア、東京で修業し、自分の店を出す際に選んだのは、縁もゆかりもない栗山町だった。

 生まれ育った苫小牧で開業を考えていたが、大阪で大学教員をしている早乙女さんの弟が自身の研究テーマでもある地域活性化の観点からアドバイスをしてくれた。「もっと地方の方が面白いのでは」といろいろと調べてくれてリストに上がった自治体のひとつが栗山町だった。

 実際にいろいろと連絡を取ってみて、いちばん親身になって相談に乗ってくれたのが栗山町だったという。2017年には、同町が行っているお試し移住「ちょっと暮らし」の制度を利用して3週間ほど栗山町に住んでみた。

 「知らない土地、どんな人がいるんだろうとちょっと心配したのですが、最初に対応してくれた役場の若い男性の対応がとてもフレンドリーで、一気にその不安が消えました」と当時を振り返る。わからないことはすぐに相談に乗ってくれ、店舗の物件の土地や、開業までの仕事も町が紹介してくれた。

 2018年に実際に移住したら、すぐに役場の若者定住推進課から「こういう人がいるので会ってみませんか」とのメッセージが来たりした。「率先してコミュニケーションの場を設けてくれたのは本当にありがたかった」と話す。

 「店を作るに当たっても、私と妻の感性にきっと合うからと役場が紹介してくれた工務店が大当たり。古民家の素材を大切に使うコンセプトを妻がすっかり気に入り、思い通りのスタイルになりました」という。

 「街中で戦っていくのは妻と私のスタイルには合っていない」と早乙女さん。「ここに来たのは大正解。小さい町なので、自分の存在が町に影響を与えることができるのもいいところです」と語ってくれた。

栗山町若者定住推進課・金丸佳代さん(左)と、同町移住コーディネーターの腰本江里沙さん
栗山町若者定住推進課・金丸佳代さん(左)と、同町移住コーディネーターの腰本江里沙さん。 若者に限らず、移住の相談ならどんなことにも答える。移住後も相談に乗ることもある。

役場のサポートが移住決断の決め手

 早乙女さんに連絡をしたのは、同町の若者定住推進課の金丸佳代さん。栗山生まれだ。

 「移住者の希望に合うようにサポートの仕方を工夫しています。早乙女さんの場合はレストランの開業が前提だったので、いろいろなネットワークがあった方がよいと思い、農家さんや地域活動をしている町民も紹介しました」という。

 同町でマルハチいけだ農園を営む池田昌史さんは13年前に札幌から移住した新規就農者だ。もともと音楽関係の仕事をしていたが、メロン農家を経て、今は栗とホーリーバジル(バジルの一種)を作る。池田さんも役場の対応によって移住を決意した一人だ。

 「移住するにあたり、他の地域にも問い合わせたのですが、いちばん親身に世話してくれたのが栗山町でした」と話す。

 「農家をやりたいという希望に向き合ってくれました。当時、町には今と違って専門の窓口もなかったのですが、私の話を聞いてくれた。それがなかったら今ここにはいません」という。やぶを切り開いて整備した栗の観光農園とハーブの商品がメイン。「ここを選んでよかった。終の住み家にしたい」と話す。

 池田さんの栗農園を描いたパステル画がある。作者は札幌から移住した木坂洋平さん。生まれてからずっと札幌。介護の仕事をしていたが、知り合いが栗山に移住し、見に行ってみたら気に入った。「環境を変えたい」のも理由のひとつだったという。今はパステルアートや音楽の仕事をしている。「人の距離感が近いのがいい」という。

 「地域おこし協力隊」の制度を使って移り住んだのは、大阪出身の北山沙也加さん。大学のゼミで栗山を訪れたのがきっかけだったが、4月にキッチンカーで起業する計画だ。「都会過ぎず、田舎過ぎず、みんなが暖かいところ」と栗山を評する。

木坂洋平さんの描いた池田さんの栗農園
木坂洋平さんの描いた池田さんの栗農園。木坂さんは札幌で介護の仕事をしていたが、2022年の夏に移住。パステルアート作家 yoheikisakaとして北海道の自然の風景を描き、町で展示会も行った。

移住者は世代を超えて

 栗山町の移住相談窓口は若者定住推進課だが、サポートを若者に限っている訳では無い。どんな世代の希望もこの課で対応している。

 八巻秀州(やまきひでくに)さん、かよ子さん夫妻は、定年を機に7年前に移住した。かよ子さんは岩見沢出身だが秀州さんは北海道には無縁。妻の実家への帰省に付き合っているうちに、北海道に馴染みが深まった。約30年間の東京勤めを経て北海道暮らしを決意。同町の分譲する「エコビレッジ」の立地に一目ぼれしたのも大きな理由だ。町を見下ろす丘の上にある新しい住宅地。一年を通じて二人で近くの遊歩道を歩き、自然を愛でる。早乙女さんのレストランも近所なので、山で集めた植物を店に飾ったりしている。秀州さんが趣味で撮った野鳥の写真も店内の壁に掛けられている。世代は親子ほどに違うが、友達付き合いだ。

 首都圏で15年間暮らし、移り住んだ熊谷繁幸さんも定年後移住組だ。生まれは夕張。栗山町に来たのは小学校5年生以来だったが、町がきれいになっているのに驚いたという。東京での説明会で金丸さんと腰本さんに会い情報交換が始まり、移住に到った。「ここで仲間ができるのが楽しい。とても楽しい」と語る。

移住コーディネーターを配置

 栗山町が人口の社会増を目指すために、ワークショップをしながら方向性を定め、「くりエイトするまち栗山町」というキャッチフレーズができたのが2017年。栗山駅前の空き店舗を改装して「くりやまクリエイターズマーケット」を作り、クラフト作品等の商品を販売している。ものづくり工房「ファブラボ栗山」も作り、3Dプリンターやレーザー加工機などを備える。

 クリエイターズマーケットの出展には料金がかからない代わりに、月に2回店番をするのがルール。そこに商品を出品したのが縁で栗山町の移住コーディネーターとなったのが腰本江里沙さんだ。雄武町出身だが、結婚を機に栗山に来た。

 「直感的に、こういうことに関わりたいと思った」という腰本さん。ここに住んで15年となった。移住コーディネーターも2019年に募集があって自ら手を上げた。道外で行われる移住相談会にもよく出かけ、栗山のよさをPRする。

道も移住促進に本腰

 北海道も移住促進に向けて、いろいろな施策を行っている。担当部署は道総合政策部地域創生局地域政策課だ。移住交流担当の関上友季子課長補佐に話を聞いた。

 道が移住政策に本腰を入れ始めたのは2004年度くらいから。当時は、定年後のセカンドライフを送るシニア世代を主なターゲットにしたものだったという。2005年に「北海道移住交流促進協議会」が任意団体として設立され、道と市町村が協力して移住者を北海道に呼び込もうという動きが出てきた。2020年3月に同協議会は一般社団法人となり、現在は道内179自治体のうち153の市町村と、各地の商工会など147の民間団体が加盟する組織になっている。ターゲットは高齢者から若者世代に移り、仕事や教育の相談にも対応できるよう、移住に関する情報を集めている。

八巻秀州さんとかよ子さん夫妻
八巻秀州さんとかよ子さん夫妻は定年後の移住組。栗山町の分譲地「エコビレッジ」に住む。片道約2時間かけて通勤する東京での生活を長く続けた後、移住。一年中、家の近くを散歩するのが日課。レストラン「サメオト」の店内飾り付けも手伝うなど、コミュニティでの交流も多い。

東京窓口も活躍

 首都圏での窓口になっているのが、東京・有楽町の東京交通会館にある「認定NPO法人ふるさと回帰支援センター」だ。ここには全国の自治体が移住相談窓口を設置し、44都道府県1政令市が専任相談員を置いている。北海道の移住相談員の一人が、2016年の窓口開設以来のスタッフの大貫絵梨さんだ。東京の大学に在学中、学内の地方留学制度を利用して札幌に半年間在住したのをきっかけに北海道に惹かれるようになり、この仕事に就いた。

 「最初の頃と比べてずいぶん自治体も積極的になってきました」と、その変化を語る。現役で仕事をしている世代の相談が多く、転職を伴う移住相談が多くなってきたのも最近の特徴だという。対面、メール、電話、オンラインといろいろな方法で相談を受けるが、毎日何かしらの問い合わせがある状況だそうだ。今のところ、道内への移住希望は札幌が人気だ。地方暮らしの場合、「移住先で仕事があるかどうかが相談者のいちばんの心配」とのことで、就業のサポートはますます重要になっていくことだろう。

 全国に先駆けて人口減の進む北海道だが、道、自治体、民間団体が緊密に連携を取りながら首都圏等での移住イベントの開催をはじめ、地域の魅力と暮らしのPRや移住相談など、オンラインも活用しながら、北海道への人の呼び込みに力を入れている。

 2022年7月にまとめられた内閣府の第5回生活意識調査では、東京圏(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)の居住者の半数近くが地方移住に「関心がある」と答え、東京23区の20歳代に限れば、その数が初めて半数を超えた。コロナ禍で生活スタイルが大きく変わろうとしている中、「災い転じて福となす」チャンスが北海道に訪れているのかもしれない。
(文・写真:吉村卓也、表紙写真:能登匡洋)

スタッフ大貫絵梨さん
東京にある「ふるさと回帰支援センター」は全国の市町村の移住情報が集まる。「北海道ふるさと移住定住推進センターどさんこ交流テラス」の最古参スタッフ、大貫絵梨さん。道内のどんな市町村への移住相談も受け付ける。あと二人の相談員は北海道出身。(写真提供・認定NPO法人ふるさと回帰支援センター)

※支援に取り組む道内自治体の事例を今後も不定期に、シリーズ「住めば都」として紹介していく予定です。

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投稿テーマ
『住めば都』
みなさま、どんなところにお住まいでしょうか?
街ですか、郊外ですか、田舎ですか、山奥ですか、海辺ですか?
どんなところに住んでも、体がその土地に馴染んでいくのか、場所の空気が自分の中に入ってくるのか、だんだんと居心地がよくなってくるような気がします。
ここが終の住み家になるのか、またどこか違うところに住むのか。人生何があるかはわかりませんが、「ここに住もう!」と決めたのはどんな理由だったのでしょう。みなさまの「都」自慢、ぜひお聞かせください。

え、私ですか?
ではお正月も近いので、百人一首から。こんな心境でしょうか。
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」
〜喜撰法師

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自然の豊かさと水のおいしさで選びました。(うさこさん)

現在は結局実家です。郊外です。(のるんさん)

子どもが産まれたのをきっかけに引っ越しました。郊外で静かなところが気に入っています。(いちもくさん)

郊外です。ほどよく自然があって街中へのアクセスも良くて気に入ってます(パンナさん)

10年前に生まれ育った町から違う町に引っ越しをしました。
生まれ育った町は大きな町(市)なので色々と便利も良く好きだったのですが、結婚を機に引っ越すことに。
夫の仕事の都合に合わせて(通勤しやすい・仕事の対応がしやすい)今の場所を選びましたが、私は生まれ育った町を離れることが嫌で嫌で…泣いたこともありました。
ですが、大きな町(市)だと賃貸にしろ購入にしろ高いし、ネコを飼っているのでそのことも考えると夫の都合に合わせるしかありませんでした。
最初はどんなに嫌でも何年か経てば慣れますし、やっぱり『住めば都』となるものですね。(ぴのこだっくさん)

今のところは職場に近いからということで引っ越ししたんですが最初以前住んでた都会から離れたので不便かと思ってたのですが近くに大型ショッピングモールもありなんだかんだ便利です。また都会よりも静かですし、やはり家から職場が近いとすぐ家に帰れて子供と遊べるので最高です!(せいやさん)

博多ー都会と田舎が隣り合わせの街(sabu46さん)

都会です(ユカさん)

色んな方が住んだ後、リフォーム前だから安く借りれた場所。お風呂やトイレもカビが生えてるし、床、ギシギシいいますが、市内の最も中心地で、引っ越したくないです。(まるさん)

ずっと地元に住んでいますが、生まれはもっと山の近くだったのが、花粉症になって山から離れたところに転居しました。同じ町でも環境が変わると風景も変わるし人も違うし、面白いですね。(アズサさん)

転勤で全国各地を数か所住みましたが、どの地でも思い出が沢山できました。人・食・空気・酒、どれも心に沁みて残っています。(あおいうみさん)

単純に駅が近かったので。(山菜うどん092さん)

仕事の都合で移住してきた町だが、以前住んでいたところよりも商業施設が充実しており、かつ、自然も豊かで子育てしやすい環境であることが魅力です。
寒い地域ではあるものの、雪も少なく、夏も暑すぎず快適に過ごすことができます。海の幸も豊富で常に新鮮なものを食べることができ、衣食住の充実が1番住みやすい条件だと私は感じています。(今川さん)

生まれてからずっと住んでますけど、都会と自然のバランスが凄くよくて静かだし好きな場所です。(まるさん)

山川が近くにあるので散策等ができ、山菜も取れ快適(kkesaさん)

温暖で海が見えるから(きゃまさん)

今住んでいるところは駅からは少し遠いですが、電車も複数路線があり、スーパーも複数あって住みやすいです。(とらぴいさん)

食べすぎ(ronさん)

人も優しいし、自然豊かで暮らしやすいです(Kさん)

亡くなったおばあちゃんの家に住んでいます。築60年ですが、住んでいると、だんだん柱の傷や古びた畳にさえ愛着が湧いてきます。何より、幼少期にここで過ごした思い出がふと思い出されたり、どこかで亡くなった祖父母が見守ってくれているかのような気持ちになります。遺言が「この家は絶対に売らないで」ということで、僕がたまたま住むことになったのですが、これから先もこの家を守っていくことがこれからの僕の使命です。(くまたによしみつさん)

郊外であるものの交通の便が良く都心にアクセスしやすいのが自慢です!緑が多く帰ってくると安心できる街。(このあーさん)

田舎(ヒデ55さん)

山が近くにある田舎に暮らしています
畑で野菜やみかん、柿などを作って自給自足をなるべくしています
ここは生まれ育った所で知り合いがいっぱいですね(みちさん)

私は、函館生まれの函館育ち、夫と結婚して夫の転勤で初めて函館を出ました。それまでは「井の中の蛙」函館以外わかりませんでした。函館から最初は北見市(場所が判らず地図で確認)次が帯広市、そして札幌市と居住を変えて暮らしてきました。それぞれの街の良さ、短期間住んだ土地もありましたが、「住めば都」気候はなれなくても、本当だと思いました。住んで生活して感じました。(ヨコ母さんさん)

東京都(とらさん)

郊外に住んでます。都会とは言えず、田舎ともいえない土地ですが、落ち着いて暮らすのにちょうどいいと思い選びました。ご飯屋さんが沢山あるので、休日はお店めぐりするのが楽しいです。(あみぽんさん)

主人と学生時代から付き合っていて、主人が大阪に就職をしたので、遠距離恋愛の末、大阪に嫁ぐことになりました。最初は電車に乗ると全員が漫才師に見えました(笑)住めば都で私もすっかり馴染んでいて、地方から出てきた人が私を見ると、私自身が漫才師に見えるのではないでしょうか(笑)この土地でとても楽しく毎日を過ごしています。(うさぴょんさん)

住めば都だなんて 今は、どこも地獄ですよ 物価高 ウィルスのない所なし 生活もままならない 都なんて昔の話(やすこさん)

子どもの頃は、公務員だった父の転勤のため、函館、釧路、江別、札幌に暮らしましたが、すぐに友だちもでき、楽しい思い出がいっぱいです。道東の自然の豊かさに魅了され、今も釧路に旅行します。現在、札幌が終の住処だと思っています。実家近くが決め手。相互に助け合えるのが良いところ。趣味の合唱仲間、ボランティア仲間もおり、人の繋がりがあってこその、終の住処ですね。(北斗七星さん)

程よい田舎です。
最寄り駅は急行が停まるし、都会までは電車で15分。近所には大きな公園があり、買い物にも困らず子育てにはピッタリの土地なので、ここで長くすみたいです。(まもるさん)

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