AFC アサヒファミリークラブ

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お正月メモリー


あんなさん この数年はお正月休みは3日程度しかなかったので、普段の休日とあまり変わらないですが!今年は2月に13年間 勤めた会社を退職して、今までゆっくり過ごしているので、1月5日から新しい仕事が決まっているので、来年のお正月は去年とは違った気持ちで迎えるかも?!
まんたさん 初めてのアルバイトは年賀状の仕分けでした。高校生がたくさん採用されていました。朝は職員さんたちとラジオ体操、15時にはおやつが出て、ほっこりする楽しい仕事でした。
今は、民営化をされたので、あんなにほっこりな感じではないかな。。。
仕事は立ち仕事で全て手作業で、仕分けしましたが、友達をどちらが早く仕分けられるかなど、競争したりして真剣に働きました。頂いたお給料は、嬉しすぎて使えず、郵便局に貯金しました。自分名義での通帳を作ったのも初めてのお正月の思い出です。
その頃は、まだお正月も静かでした。1月1日もバイトで出かけましたが、人通りも少なくお店もしまっていました。元旦に一人で出かけたのも初めてでした。大人になれた気がした高校1年生のお正月でした。
ほわさん 学生時代、最後のお正月に駅ビルに入っている四川料理店でアルバイト。
仙台の名物初売りはたくさんの人でごったがえし、前夜から並んでいた人たちは午前中に家に帰る。にぎわいのなかで、店もお昼は客がいっぱい!大忙しの厨房のなかでたいへんでした。
潤子さん 毎年実家で寝正月です。
すとれいしーぷさん 札幌で生まれ育ち、横浜で暮らした後、熊本に引っ越して最初のお正月、丸いお餅を見た時の驚きは忘れられません。
シルバーサンさん 特に印象的なこともなく、毎年、おせちを作って年越し蕎麦を食べて、同じことの繰り返し。でもこれが、変わらず新年を迎えられているということでいいんです。
のんちゃんさん 主人の実家の新年会に行くと、そこは「◯◯道場」という体育館で、親戚が50人ぐらい集まっていました。子供たちはドタバタ好きなだけ駆け回っていて圧倒されました。
ユキさん お正月の思い出といったら、親戚中集まって大晦日からの年越し( *´艸`)そして元旦に皆で御節食べて、おとそ飲んで、着物着て初詣に行くのが毎年の行事でした!今は遠い北海道に嫁にきてしまい、そんなお正月も過ごせてませんが、懐かしく楽しい思い出です(*^^*)
ひいらぎるいさん 自宅での大掃除と、実家に帰省するので、二箇所の大掃除を20年間続けました。
はっきり言って、疲れてしまいとてもしんどい20年間でしたが、実家の母の喜ぶ顔を今でも思い浮かべます!ひいらぎるい
maさん やはり雑煮ですね。博多から少し離れた田舎に生家がありました。博多と同じように豪華雑煮です。具が多いので前の晩に味付けした具を種類ごとに串に刺していました。手伝いながらちょっとつまみ食いなどして正月を迎える心の準備をしていました。 
つうたんさん 韓国のリッツカールトンホテルでカウントダウンをしました。息子は40℃の熱でしたが、無理やり起こして、素敵な思い出を焼き付けました。
メロンさん 子供時代の元旦に転んでケガして婆さんから「それは神様が1年間気をつけなさいとお告げだよ」言われドキドキして過ごしました。迷信だとあとから気づきました。
ムーミンさん 元旦が母の誕生日なので、お仕事で関東に行った年も何とか最終便で実家に戻り元旦の母の誕生日を祝いました。最近は子供も小さいので家で過ごすことが多いのでゆっくりとした正月と母の誕生日を祝っています。
ちさ子さん 家族が祖母の家に帰省する中で、私だけ実家に残り受験勉強してました。辛かった〜。今思えば、そんなに頑張らなくてもよかったのでは⁈と思ってしまいます。
ルナルナさん 子供の頃は、1月1日に親戚の家にそれぞれ一品ずつ持ち寄ってみんなで集まり、映画を観たりして過ごすのが、恒例でした。いとこ達と半日楽しく過ごし、帰る時は少し物悲しくなったものです。
ハルさん 年末年始、私と弟でおばあちゃんの家に泊まりに行ったとき、昔の人なので、歯を磨きたいと言ったら「ガムかんだからもういい」と言われ、子ども心にビックリしたのを覚えています。
まささん 年末は、家族みんなが揃って年越しをするのが例年の行事でしたが、父が亡くなって、母が入院すると、年越しは自分の家族だけで過ごすようになりました。正直例年の行事は、行っている両親も大変そうでしたし、自分たち子供も家庭を持つと面倒くさいかなと思っていましたが・・・亡くなって3年、全く自分の親戚たちとは顔は合わせません。大変だったけど家族が1年に1度ぐらい顔を合わせる日があっても良かったと思い。今年は、妻の親を自分の家庭の年越しに招待しました。どのような年越しになるのか今から楽しみです。
yapooさん 子供の頃は従兄弟の家にいつも行っていました
花札やトランプオセロなどゲームをしたり
お年玉をもらったり楽しかったです
富士山さん 60年も前の学生時代、年末のアルバイトで稼ごうと暖房の泊まった学生寮で年末年始を過ごしたが、風邪にかかって1週間寝込むことに。折角稼いだアルバイト代も風邪の治療費に消えてしまい悔しい想い出になりました。
YSHRさん 初めて新聞配達をしたとき、元日の特別号を配達してから銭湯に行って、いつの間にか日付けが変わっていました。郵便局のアルバイトはもちろん年賀状なので、元日出勤!時代は変わって、子供がアルバイトをし、終電に間に合わないから迎えに行くと車の中で元日を迎えました。
ジョニーさん 竹富島の民宿でのんびり過ごしたことが一番です。大晦日の紅白歌合戦に中島みゆきが出演した年のことです。
satonekoさん NYのカウントダウン 寒かったです
そらてりさん 私が住んでいた地域では二年参りという、大晦日から1日にかけて
年越ししながら初詣をするという習慣があり、
子どもの頃は家族で夜出かけ大混雑の神社でお参りをしました。
雪国なので雪が降りびしょ濡れになりながら寒さに震え
お参りをしたという過酷な記憶があります。
キラリさん 大学生時代友人からバイトの鬼と言われるほどバイトばかりしてました。家庭教師や塾、カラオケ店とかけもち。年越しはカラオケ店で働いてる時忙しくバタバタして年越してたという感じ。年始もカラオケ店。おかげで車や教習所代は自分で支払いました。
ゆうこ87さん 社会人になって初めてのお正月、大みそかから遊びすぎて親戚の家でいびきをかきながらねてしまいました!みんなには笑いを提供できたようです・・・
junrenapapaさん 丁度22年前の1/1 突発性顔面麻痺にかかって76日入院しました。現在、同じ右側
で発症。今年の正月はなしです。正月はよい思い出はありません。
decakoujiさん  2014年のお正月は、今まで生きてきた中で『最も寂しいもの』でした。何が寂しかったかというと、それはお正月に食べた『お餅の数』がわずか1個ということです。三度の食事は支給されるのですが、お雑煮で出された餅が、わずか1個、しかも、大好きな本当の餅ではなく、韓国モチがたった1個。何度かスーパーで売っている餅を見ましたが、手が出ませんでした。というのも、現在怪我療養中・無職・無収入のため、更生施設暮らしで、経済的余裕がなく手が出なかったのです来年こそは、本当の餅が食べれるように、今から小銭をためてスーパーの餅が買えるように、生活必需品の支出を切り詰めています。
ごとうえさん 先日古い写真が出てきました。友人と20歳のころ伊良子岬に初日の出を見に行きました。楽しかったです。
ナルさん 子ども達が生まれる前は、アルバイトで年末年始関係なく働いていました。家族と休みに出かけるのはなかったです。
グーミックスさん 2年前のお正月が思い出深いです。結婚して数年たち、なかなか子宝に恵まれなかったのですが、ひょいとその年末妊娠発覚!!毎年恒例だった実家の四国帰省もキャンセル。初めて夫婦二人きりのお正月。私の実家のお雑煮を作った事がなかったのですが、体調も良かったので、初めて挑戦!!二人で偶然であった縁起物の獅子舞に頭を噛んでもらったり、結婚して初めてゆっくり、また幸せなお正月を過ごしました。
きょこたんさん 学生の頃、お正月に帰省すると高校や中学時代の仲の良かった友人達が集まりワイワイと同窓会もどきをしていたのが凄く楽しかったです。今ではそれぞれ家族があり、結婚もし、仕事も有りと、全く集まる事がなくなりましたが、いつか皆で又集まれるといいなと思ってます!
ちーちゃんさん お正月は毎年デパートの初売りへ行きます。
食品の福袋を購入するのが楽しみです。
ペガチャンさん 看護師だった頃は、30日から2日まで夜勤を自ら希望していました
自宅に帰れない患者さんや急病の方まで様々
日常とは違う業務にお正月を感じていました
皆さんが正月明けで忙しくなる頃、のんびり休んでいました
あちこち混んでなくて行きたいところもスムーズで、しっかり楽しめました
いちごみるくさん お正月は祖母の家へ泊まりに行き、おせち料理を食べるのが恒例でした。いつまでもお元気でいて欲しい。
ちりんさん 今回は家族で温泉にいきます。
ぜろぴーさん 初日の出を見るために,愛犬と一緒に朝5:30頃から藻岩山に登ったのが懐かしい思い出です。初日の出はとてもきれいでした。
山頂は人で人で…びっくりしました。おまけに犬も何匹かいて,さらにびっくり!
愛犬はもう12歳・・・もう藻岩山には登れないかもしれませんが・・・,今度は夫婦2人で初日の出登頂実現するつもりです。
かえるさん 旦那の実家は麻雀をしながら年越しするのが定番です。
31日だけではなく、元旦も家族で徹マンしてます。
自分の実家ではありえないので、びっくりです!!
HIDAMARIさん 子供の頃のお正月は、両親が長男・長女であったため叔父さん、叔母さんその子供たちと20人くらいの来客がありとても賑やかでした。お年玉もたくさん頂き、
待ち遠しくもあったお正月でした。
pug8000jpさん 学生時代にスーパーのレジ係や郵便局の年賀状仕分けのアルバイトをしたことがあります。大晦日も元旦もなく働いた時に「社会人になったら国民の休日には休める仕事に就きたい」と心に誓ったことを思い出します。
ヒロポンさん 30年以上、大晦日まで仕事で、正月は休みが一日と二日だけなので、成人してからは特に印象深い思い出というのがありません。
pinkyさん お正月には小学生でも縁起物ということで「赤玉ワイン」飲ませてくれました。今、酒豪なのはこのおかげなのかも・・・
世界平和さん スーパーに勤めていた時、年末閉店してから深夜最後に店内を見回りました。
あんなにお客様がいたのにお化けがでそうなくらい静寂な中で新年を迎えました。
会社で新年とは侘しかったなあと思い出しますね。
yukihime123さん 2年連続、年末に38度超えの熱を出し風邪をひき、寝正月が続いているので今年こそは!!と10月からマスク常備で会社へ出勤しています(^-^)/
くりさん 正月三が日は、多少ずぼらなことをしてもいくらか許される貴重な日だった。トランプぐらいしかできなかったがそれでもとても幸せな日だったのを思い出す。
くまのプーさんさん 神社に行って除夜の鐘を聞きながらお参り、お神酒をいただき新年への思いを新たにしています。
豊青さん 父が元気だったころ,今から10年くらい前までは,大晦日の夜,日付が変わってから,家族揃って神社にお参りに行くのが恒例でした。寒い中夜店が並んでいて新しい年を感じました。
ゆいさん お正月はいつもお家で家族4人で過ごしてます。母と一緒のおせちを作り...。母と一緒に簡単のですがおせちを作ります。北海道では年越し前に食べてしまうとが定番ですが本当は1月1日に食べるんですよね(笑)年明けは初詣に行き、おばあちゃん家に行ってお年玉をもらい2度目のおせちをたらふく食べます。今年は父が単身赴任で3人で過ごすのですこし寂しいですがいつかまた4人で過ごせればと思っています。将来的には自分の旦那さんと子供と...なんて思ってます。お正月は美味しい思い出がたくさんです
erizabes14さん お正月は祖父母の家に皆で集まり12月31日の大晦日からご馳走を食べて、カルタをしたり、すごろをしたりして親戚やいとこなども来て楽しく過ごしました。
みっちさん 定番の両親の実家行き いとこたちに会えるのが嬉しかった
一二三だんさん お正月は親戚一同が集まる大事なイベントです。毎年二日酔いです
かぱたさん 子供の頃は集まった親戚と一緒に百人一首をするのが楽しみでした。
まあちっちさん 幼い頃、家族、近所の家族総出の楽しかったお餅つき。ただ臼の横にいて笑って、熱々のお餅を頬張っていました。お正月の準備がとても忙しくたいへんなんて考えたこともなかった50年以上前の思いでです。
マラガさん 子供の頃、お年玉をもらうとケーキを買いに行きました。小さなショートケーキで
生クリームではなくバタークリーム。毎年それがお年玉をもらったときに楽しみでした。今はバタークリームのショートケーキってあるんだろうか。
ごおさん お正月は仕事ばかりです
豚バラ串さん 10年前はじめて海外で一人過ごしたお正月、どんなにお正月っぽく料理をそろえても やっぱり日本にいないとお正月を感じることができなくて悲しいお正月でした
まりりんさん 大みそかは、みんなで支度でも、三姉妹で映画を観にいてました。
ハリーポッターみんなが楽しめれる映画そして、一緒に暮らしている祖父母と
楽しいお正月を迎えて祖父が酔っ払って楽しいお話をみんなできくお正月
なくなって5年目とてもさびしいけど、とても楽しかった思い出です。
ムサシウニウニさん 『お正月メモリー』
いつも実家に集まりますが、兄家族(子1人)、妹家族(子2人)と愛犬ミニチュアダックスフンドオス&私(独女)です。毎年お年玉包みながら次のお正月までには誰かいい人を紹介できるように!と悲しい気持ちでいっぱいです(泣)今年も相変わらずひとりで参戦することになりそうです(笑)
多伽さん 子どもの頃のお正月は本家に集まるのが恒例でした。
昔の作りの農家で、土間があり、縁側があり、各部屋は戸を開け放つと大広間になります。二階もありました。父は兄弟が多いので、いとこたちも多く、年の近いいとこたちと家の中でかくれんぼをしたり、カルタ取りやトランプをして遊ぶのがとても楽しみでした。
私の父はサラリーマンでしたので、当然、お正月はお休みでしたが、本家は牛や馬、にわとりなどを飼っていたので叔父はお正月も早朝から乳搾りなどの仕事があり、子供心にも「大変だなー」と思いました。でも、朝食に出された搾りたての牛乳はとても美味しかったな~
ぶたごんさん ここ数年は1月1日は仕事で正月気分を味わってないです。1日の福袋買いに行きたいな♪
しゅんたろうさん 大学受験の年の元日。前日までは塾の講習、翌日は模擬試験があったので、この日だけは勉強もせずに、家族とぐだぐだ過ごしました。今思えば、辛い受験生活の中でのよい息抜きだったかもしれません。
あさうささん ここ七年ぐらいは、ダブルワークで、カウントダウンはバイト先のファーストフードです!一人親で、二人の子供を人並みに学校に通わせてあげたいから頑張っています。カウントダウンして、それから子供達と初詣に行くのが、恒例となっていて、深夜に初詣に行くので、結構駐車場が空いていて、得した気分になります。今年の年末も張り切って働くつもりです。こんなに働け、助けていただけるのも、周りの人たちおかげです。本当に良い子に育っています。
ガーコさん 中学生の時は部活の休みは元旦だけ。でも大晦日みんなで神社で初詣!部活にどっぷりつかった日々でした
かいくんママさん 正月と言えば、福笑い!今の子は存在自体知らないんだろうな~
まさひろさん 郵便局でアルバイトをしていた大学生時代の暮れ。小包の中からシャケがヌルッと出てきて驚いて小包を補修しました。
fukutanさん 学生時代に帰省した折に母親が「清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったよ」と見せてくれた車エビの大きさが忘れられません!!
willさん 2014年のお正月は、世界に散らばっていた家族が奇跡的に実家に集合しました!
総勢22名、賑やかに過ごしました。
タウンゼントさん ニュージーランドに滞在していた20代の頃、農園で働いていた仲間総勢20名でヒッチハイクで街に向かいました。(クライストチャーチ)
道のいたるところ缶ビールが落ちて(置いて)あります。地元の恒例の儀式だと聞きました。
その缶ビールを拾いながら、皆で、歌いながら、新年を迎えました。最高の体験でした。
黄色い薔薇さん 私が中学の頃は家族全員が揃い、お節を頂いた後百人一首をするのが楽しみでした。下の句の板がるたですから、元気いっぱい大暴れしました。母が読み、父と一番幼い妹のチームに子供たち4人が挑戦しました。留守の多い父と遊べるのは、お正月だけでした。いまでも、忘れられない大切な思い出です。
こなつさん 社会人になってからは、家族と過ごさず旅、スノーボードにと遊びに行ってました。振り返ると地方にお嫁に行くのならもう少しお正月は、家族と一緒に過ごせば良かったなぁーと思います!あの頃は、実家から離れるなんて考えてなかったです
イタグレさん お正月といえば家族でトランプをした思い出です。普段は仕事や家事が忙しく遊んでくれない両親が、お正月だけはおせちを作ってあるし、仕事も休みなので、トランプや人生ゲームなど遊んでくれて嬉しかったです。
和さん 年末から初の雪山登山に出かけました。準備万端、防寒具万全で出かけたのですが、大雪で現地にたどり着けず、途中の公園でテントを張って年越し。虚しい年越し、お正月でした。
クロ-バ-さん 手が黄色になるほどミカンを食べ親戚の来るのを楽しみにしてた小学校時代 な-んにも考えてなかったなあ 
魚好きさん 元日に近くの神社に交通安全のお参りに行き、そのあと家までの帰路で事故にあった。あの神社はダメだと思った。
Hannaさん 韓国など海外やディズニーで年明けを過ごすことが多いです!その国ごとに違うお祝い方法があって、すごく刺激を受けます!お祭り騒ぎみたいに皆で騒ぐ国もあれば、おうちで家族とゆっくり過ごすところもあり、
すごく刺激になります!
ぱらりんさん 子供の頃、父の部下が大勢新年のあいさつで集まり、みんなで百人一首をしたのは、楽しい思い出です。結構、みんな熱が入って、子供と言えども手加減がなかったのもよかったです。
ときめきさん 学生時代、年末は郵便局でアルバイト、親元を離れて少しでも節約するため走って郵便局に通った。体力・気力があったなと思います。
niniさん 昨年の正月は、主人の実家での親戚一同が集まる餅つきに参加しました。途中、年代物のかまどの煙突が倒れたりのハプニングもありましたが、わいわい賑やかな会でした。ついたお餅を一升分量って、もうすぐ一歳になる息子に一升餅を背負わせてくれ、思い出に残るお正月でした。
くらげさん 子供のころは祖父の家で餅つき大会を毎年やっていました。親戚一同30人ほどが集まって行われる餅つきはとても楽しかった思い出です。
ラベコさん 私が小さいころ、紅白歌合戦が終わったと同時に家族で近くの神社におまいりにいきました。七つしたの妹は、父がおんぶして、いなかの暗いみちがゆきあかりと星で輝いていたこと。まだ目にうかびます。
えりゅうさん とにかく寝正月でゆっくり休む
satoruさん 学生時代帰省せず、年末大晦日を新宿のデパートでアルバイトで終え、その後友達と電車で横浜の「港の見える公園」へ、12時を過ぎ新年を迎えると港内に停泊中の外国船から一斉に汽笛が鳴り、中には甲板から花火や爆竹を鳴らす船もあり、これまで経験したことのない新年を迎えることができました。
とらふくさん この頃は一人で酒を飲んで過ごしている。
ふくさん 子供の頃は、父方母方の祖母の家に集まってましたね。父の兄弟は7人だし、従妹も集まり、ドタバタ遊んで、たくさんの人とごはん食べて楽しかったですね。お年玉もたくさんいただきました。今から思えば、長男のお嫁さんはこの日が来るのは嫌だったでしょうねぇ。大人になってわかるコトです。
桃太郎さん 子供の頃の話。正月三が日は、デパートを含め、回りの商店街もやっていない。神社に行くくらいで、3日間は家族と家で過ごす。退屈だったが、今考えると、貴重な時間だったのかも知れない。
momijiさん 大好きな男性と年が明ける瞬間一緒にいられたこと。
michioさん 中学生くらいまでは母方の祖父母のところで過ごしてました。正月と言っても、親戚中が集まるなんてこともなくこじんまりと年越しをするなか、楽しみは甘ーい口取りとそのあとに食べる蕎麦、そして、年明けはお雑煮と前日の残った口取りでした。甘い物としょっぱい物を交互に食べる…エンドレスにだらだらと食べる習慣は、そのころから身についてしまったかも・・・
Pえにさん だいぶ前には毎年沖縄で年を越していたので、最近行ってないなあ、と少し悲しくなります。
memeちゃんさん 何十年も昔、大晦日はバイト先のファーストフード屋さんがオールナイト営業ということで、女子高生が寝ずのバイト。今なら事件ですね。
omiyu34さん 毎年お正月前におせちを食べてしまいます。
これって北海道のあるあるネタらしいです。
Kazuさん 毎年3日は、私と息子の誕生日(^^)
mokoさん お正月で思い出すのは、母がお正月に倒れ、病院に運ばれ緊急手術、半年で亡くなりました。それ以来お正月は嫌いです。
れみすけさん 子供達も独立で巣立ち、亭主は単身赴任でお正月も仕事で、一人きりの年末年始あの時は一人でのんびりおせちも作らなくて良いしなどと考え好き放題とは思っていましたが、周りの楽しそうな家族団らんの様子を見ていると急に一人での寂しさと侘びしさがこみ上げてきました。お正月ぐらい家族水入らずが一番であることを実感しました。みんな長生きしてほしいです。
あぁさん 祖父の誕生日のお祝いもするので、賑やかでおめでたい雰囲気も倍増です♪
ペンタさん 実家の「お砂糖をかける御雑煮」・・・昔の四国の御雑煮らしいのですが、皆に驚かれました。
ペンマンさん 学生時代、徹夜で明治神宮に初詣して新年を迎えました。
まいいさん 兄弟と従兄弟で初詣に行った事が、お正月の一番の幼い時の思い出です。特にハプニングは起きなかったのですが、眠たいのを我慢して行ったのを覚えてます。初詣は、その時以来、一度も行ってないので、よけいに忘れられないのかもしれません。
asaさん やっぱり大好きなハワイで迎えたお正月。
一気に和風モードに切り替わる日本と違ってクリスマスからそのまま続く感じが素敵でした。
ゆいさん 母とおせち作りであっという間に年が明けてしまいます。
麻生人さん 一人暮らしが長いですが、両親が健在の間は、年末年始実家で過ごしていました。
お客様を迎えるたびに、お料理を盛り付け、後片付けと忙しく過ぎました。
今は一人静かに、読書の夜を楽しんでいます。
ふふさん 年末の「紅白歌合戦」を、家族そろってお蕎麦を食べながら見るのが恒例でした。
けれどある年、彼とふたりで大みそかの深夜、神社へ初もうでへ行ったのですが、
寒くて、寒くて、ひたすら寒くて
あれ以来、夜中の外出は避けています。
そしていつしか「紅白歌合戦」も見なくなりました。
あさひこさん 特になしです.今年も義実家で過ごすのでしょう.
札幌のマッペさん 今年の暮れから正月にかけて、島根県の離島に住む娘夫婦が、孫を連れて初めての正月を迎えます。今までは、私たち夫婦が向うに行っていましたが、孫に北海道の雪を体験させたいとの思いで来ます。
みゆさん 毎年おばあちゃんの家に行き、紅白を見ながらのんびりと過ごしています。
ゆーままさん 四十年も前は今ほど外食する場所も余裕も無い時代、徒歩二十分位の所に画期的な焼肉バイキングのお店ができました。年一回お正月頃家族で出かけたのがとても嬉しかったです。その頃は三が日はどこも休み、何していたんでしょう。
あっしゅさん 10代の頃、友人と初日の出を見にバイクで福岡から鹿児島まで行ったのですが、疲れて結局、初日の出どころではなかったことがあります。
マイル0327さん どこかに出かけた記憶より、自宅で家族と過ごした記憶の方が強いです。よく麻雀や花札をしていましたね。夜遅くまでやっていました。両親ともすでに亡くなってしまいましたが・・・。
ぴのこだっくさん 昨年の年末年始で主人と結婚後初の旅行へ行きました。行先は、これまた初の沖縄。12月31日の日は一日シーサー作りに明け暮れ、当初は「沖縄そばで年を越すぞ!」と予定していたのですが、大晦日とあってお店も早く閉まってしまい、結局年越しそばは食べそこなってしまいました。で、年越しそばならぬ年越しバーガーで新年を迎えました。まぁ、美味しかったですけどね、ハンバーガー(苦笑)
さるさん 12月31日の大晦日にニセコの温泉を予約し、紅白歌合戦を観た後、雪景色の初日の出を拝むはず・・・・吹雪で宿にたどり着けず、家族3人車中で一夜を明かしました。当時は携帯の電波が弱く、宿へ電話も出来ず・・・、ですが命拾いしたので、今ではいい思い出です。
チロルさん 私のお正月のエピソードといえば、もう10年以上続けていますが、年越しの瞬間は母と手をつないでジャンプをすることです。そうすれば、ほんとに一瞬ですけど、地球から離れていることになると前にテレビでやっていたのを毎年続けています。
take3qさん 小学校、国民学校の生徒の6年、正月二日は書き初めの日で朝食後から墨をすって習字、書き方の練習をし午後からは冬休みの宿題の題字を筆で何枚も何枚も、これで良いか、これでどうかと夕方近くまで書いて母親の認めてくれる書がなかなか書けなくてつらい正月二日の書き初めの日でした。 凧あげやコマ回しは三が日以降だったですね。
むら5さん 2014年は熱を出して3日間寝込んだ、今年は遊ぶぞ
AAAさん 実家でおこなう「ほうびき」です。5円玉が付いているのが当たりです。一人づつ外れのロープが放たれ、当たりが出るまでの駆け引きが最高でした。
NNNさん お正月といえば、毎年1月3日が父親の親戚宅で開催される新年会が恒例でした。毎年持ち回り開催で家族全員で参加したものです。お年玉を沢山もらい、いとこ同士も大勢集まり、そりゃもう楽しかったです。
こむぎちゃん☆さん 子供の時に家族でコタツを囲んで、蜜柑食べながら
夜中までUNOをしてました。
今だったらもう出来ない思い出です。
とても忘れられない貴重な思い出です。
Yossyさん 福袋 同じ店で二袋買ったら同じものが入っていた
ヒロさん お正月は、父と姉とみかんを食べながら、花札で盛り上がりました。
うぃんさん 私の母が作るおしるこはとっても美味しく、お正月になるといつも食べています。そのおしるこを私がよく作れとうるさいので、たくさん継ぎ足しで作ってくうちに4月まで、おしるこが常に家にあるという毎回のお決まりが我が家にはあります。
キンキン江森さん 特にありませんが、息子夫婦と家で食事をとりました。
ダークサイドさん 15年位前、健康診断で肺の異常が見つかり、呼吸器科に通い強く禁煙を指導されたものの、なかなか禁煙できなかったけれど、意を決して1月1日から禁煙をして成功できたことが思い出されます。禁断症状も思ったより少なくもっと早く禁煙してれば良かったと思います。
yumaminoさん 40年程昔ですが、ミカンを食べ過ぎておなかをこわし、その後の御馳走を何も食べられなかった小学一年生の自分…。
当時は大みそか~お正月は一大イベントでしたが、近頃はさらっと流れている感じも…。
塚大好きさん お正月といえば、子供の時もらったお年玉かな。だんだんと千円札が増えていくのが楽しみでした。でも、何に使ったのかなあ。今はあげるばかりの年になりました。
あさひさん 大みそかから子どもが吐き続け、胃腸炎で元旦は救急病院で点滴の付き添い・・・。健康第一です。
くるみさん ホテル勤務をしていた際は、夜中の業務中に気が付いたら年越ししている毎年でした・・・。今はのんびり、過ごせています♪
kanさん 昨年の元旦は、アルバイトで福袋の販売をしました。スタッフみんなで頑張って売ったので、午前中で売り切れ!…になったのですが、喜んだ店長が他店から福袋をもってきて、結局午後も福袋を売ることになりました。それでもなんとか1日中に完売してホッとしました。
HとMさん 子ども時代(昭和25年~30年代)近所の遊び仲間が我が家に5~10人程集まっての百人一首が楽しく今でも鮮明に思い出します。
yukkeymouseさん 新聞配達のバイトをしていたころ大晦日に配っていた元旦号。みんなが家族団らんしているのが楽しそうで羨ましかったです。
ゆきだるまさん 子供のころお正月に祖父の家に行くのが楽しみ お年玉 いとこ20人と大騒ぎ 楽しかったな
naokiさん 長女が生まれてすぐの正月、実家へ里帰り。普段以上に嬉しそうな両親が今でも良い思い出です。
akiさん 年末に母親が、救急車で運ばれ、父親の作ったお雑煮を二人で食べた思い出。
ボランティアさん 田舎だったので野原で凧揚げをしたことを思い出します。
スズランさん 青春時代、百人一首で大騒ぎしました。職場の人や家族が大勢参加して、読む人、取る人、後方支援で甘酒を作ったり、食べ物の準備をする人。とても楽しくて懐かしいお正月のメモリー!!
あおきこうさん 去年のお正月は胃腸風邪になって大変でした
るみ衛門さん 子供のころ、お正月は待ちに待った稼ぎ時。毎年もらったお年玉を高校卒業までため込んで20万になった時は本当にうれしかったです。
ジャッキーさん 高校生の時年賀はがきのく分けのバイトをしていて、集配順序に分ける時たまたま自分の住居地域になり、元旦になる前に我が家に来る予定の年賀状を見てしまったこと。
小学生の時ちょっと気になっていた男の子の年賀状も見つけ、思わず読んじゃった。(時効ですね)
KOTOHAさん 年末年始には本州から息子一家が来る。孫を囲んでの新年は「嬉しくもあり楽しくもあり、また格別気分」しかしながら「別れはつらい・・・」
ヒロミさん 大晦日まで仕事し、元旦の朝実家へ帰るとき、一緒に年越してくれた友人の旦那さんがおにぎりをにぎって持たせてくれたこと。
ちょんさん 福袋のために朝から並んだね。
じゅんにーさん 昨年、家族みんなで年越しグアム旅行に行きました!
sapporozooさん 終戦後間もない頃のお正月は お雑煮を食べて 寝ているだけでした
クマさんさん シンガポールでお正月と空港に向かったが、途中で不幸の連絡。そのまま引き返して帰ってきました。お正月の準備も買い物もしていなく、コンビニ弁当で正月を迎えました。
tetsuさん 1946年ころ、戦争の恐怖からはやっと解放されたが、最下級生jの身で先輩のの目をかすめて女学生に声をかけるなどは夢のまた夢。正月の板かるただけが一瞬の幸せ。するめの脚と幸せを噛みしめたのが忘れられません。今はその憧れの君とほろ苦いビターチョコを楽しんでいます。80歳を超えた正月も素敵です。
うすたさん 父は公務員だったのですが、魚好きが嵩じて、何かあるといつも鮨を握ってくれました。毎年お正月はお鮨屋さんのカウンターよろしく家族をテーブルの前に座らせ、お好みの鮨を振舞ってくれました。数年前に亡くなりましたが、大人になってからお店で鮨を食べるようになって、あらためて父の鮨はお店に負けず劣らず美味しかったんだと思いました。
kosukosuさん 年賀はがきの仕分けアルバイト。時給が360円だったかなぁ
ダルセツさん 小学3年生のお正月に父親とおじさんと一緒にかまくらを作って、中でおもちを食べた時の美味しさを今でも忘れません。
katokiraさん 正月といえば、家族や親戚が集まり、カルタ取りに花札、トランプをしています。お節料理は大晦日の晩から食べるのは北海道ならではみたいです(笑)駅伝は毎年TVにかけていますね。
koyukiさん クリスマスから正月7日までヨーロッパ旅行に行ってきました。お正月のミサはパリのノートルダム寺院でしたがおごそかで素敵でした。ヨーロッパは良かったのですが日本を離れてみて日本の良さを痛感しました。
のんちゃんさん 家族全員がそろったお正月は10年まえに一回あっただけ、またあのときのように楽しいお正月を迎える日がくることを願ってます。
ayaさん 高校生のとき、夜遅くには外出できなかったため
当時の彼氏と年が変わった瞬間に
「明けましておめでとう!」と言おうと約束をしていましたが、
同じことを考えた人が多くいたため、
電話線がパンクし、電話できず反省しました…
ほろ苦い思い出です。
みのりさん 子供達が育ったので、思い出といえば、家族そろっての神社へのお参りと、生鮮食料品の商売をしている家内の実家に行って、配達や、オードブル用のエビの皮むきを手伝ったことです。
あさん 特別なことはとくに何もなく、受験生時代はひたすら勉強だった。といっても、あまり捗りもせず。ごろごろして1日を過ごせば、自己嫌悪に陥り、1日を後悔。
ひろチンさん 20代後半の頃、友人と二人でグアムに行き、年始は東京の友人のアパートで一緒に過ごした事を思い出します。
天茶布さん 大掃除が終らずお正月からトイレ掃除をした切なさ、です。
猫のみーぼさん 年末の出来事で、必ず思い出される出来事。それは、40数年前、紅白を家族で見ていたときのことです。男性アイドルが出て、歌い出した途端、父が「こんな奴が紅白に出るなんて」と、突然テレビを消ししまったことです。それは、当時高校生の私が大好きだったアイドルで、紅白出場を楽しみにしていた歌手でした。当時の大晦日は、紅白を見る以外楽しい番組もなく、テレビを消されたら大好きなアイドルを見ることも出来ず、父と私は大げんかになりました。母が仲介に入り、父は茶の間の横の寝室で布団に入って寝てしまい、私はテレビの音量を小さくして紅白を見ていました。あれから、父と紅白を一緒に見ることはなくなりました。娘が男性アイドルに熱をあげているのがいやだったのでしょう。今でも母が、年末になると「あの紅白の時ねぇ」と話題にします。私はあれ以降アイドルから一線をおいていましたが、ここ数年前、40代を過ぎてから、いわゆる”ジャニオタ”になった事を打ち明けられずにいます。
ショウジさん 大晦日に風邪を引き、今年のお正月は寝込んでいました…
来年こそ楽しいお正月にしたいものです!
みのんさん 子供の頃、お正月には必ず高熱を出していました。
jasmacさん バンコクの川沿いのホテルで見た、新年を祝う花火がとても綺麗だった。
エイちゃんさん 毎年家族で大晦日は紅白を見て過ごし、初詣もせず寝正月です。
雪が積もると雪掻きに外にでるぐらいです。
mikannさん  長年の東京暮らしに終止符を打ち、退職を機に札幌での生活を始めました。
雪景色を眺めながらの年末年始。北の味覚に舌鼓をうちながら、家族で過ごす幸せを噛みしめています。
ちいちゃんさん 学生時代は 大晦日の夜 初詣にオールナイトで出かけたものだった。今はそんな元気もなく 寝ている方が良い・・
かっぱさん 小学生のころ 祖父に 花札と麻雀を教えてもらいました
かなさんさん  現役時にペルーの日本大使館主催の「恒例年始パーティー」に招待されたときの豪華な日本食(握り鮨その他豪華絢爛)に舌づつみ、素っ気ない海外の正月風景にあって遠い日本の正月が懐かしかった。
ちぃさん 今年は得意の焼き豚を作ろうと思います。おせちは何年前からか既製品になってます。昔は全部作ったものですけど、年々手抜きになりましたね。子供や孫も来てにぎやかになると思いますが、かわいがってた猫が天国に旅立ってちょっと寂しいお正月かもです・・・
rumiikoさん お正月は家族でスキーに行くことが多かったです。若い頃は友人たちと過ごす年末年始が楽しかったのですが、だんだんまた家族ですごすことが増えました。最近の年末年始の楽しみは母と姉と私の三人で丸一日かけて御節を作り、それをそれぞれの家に持っていって食べることです。豪華な御節も良いですが、手作りの美味しさにかなうものはありませんね。
ぽこおばさんさん 小さい頃のお正月の思い出は食べ物。今のように冷蔵庫も無く隙間風の入る台所に塩引き鮭がぶら下がり、お餅は一斗缶に入れ凍らせて保存、豚肉は近所共同で1頭を買って分け合い味噌漬け 粕漬け、他雪の中で冷凍保存。お雑煮にはイクラが煮えて入ってて・・・今は元旦からスーパーで新鮮な物が手に入り「ごちそう」と云う言葉も死語になりつつありますね。
はなちゃんさん 中学生の頃の話です。
毎年、仲良しの友達と北海道神宮に初詣に行きました。
大晦日から出かけ、年が明けたら、みんなで祝杯をあげたことが思い出です。
今は、家族とゆっくり迎える正月に幸せを感じます。
すーらいるさん 年末年始は郵便局でハガキの仕分けのバイトしてました。
近くにバイト出来るコンビニなど当時無かったので…
はらぽちゃ君さん 年末に吹雪で飛行機が飛ばず予定通り帰られなくなったこともあります。
みーちゃん11さん 実家に帰って朝からビール!!最高ですね!!
北北親父さん 大雪で元旦空、雪掻きで大変だった年があったなあ。
ライオン丸さん 私が小さい頃の正月は、各自にそれぞれお膳に料理が用意されていた。
ちゃたさん 年末は高校山岳部OBの集まりで山小屋に集合。
昼は山歩きと山スキー、夜は酒盛りに明け暮れ、
年を越してから里に下りてきたものでした。
いつしかその集まりから外れてしまいました。
プー母さん 地味な正月です。
なっこさん 普段は夫婦ともとても忙しかったため、新婚旅行は年末年始の休みを利用するしかなく、2011年のお正月は旅行先の西表島で迎えました。
日本なんですが、さすが南国の地、少し肌寒いものの雰囲気は冬とはほど遠く、離島のリゾートホテルで迎えたお正月はとても暖かくかんじ、ホテル内で年末年始を祝うため催されたエイサーの踊りや、日本的な書き初め、ロビーで振る舞われた新春のお酒などとっても楽しいイベントが盛りだくさんでした。
ロマンチックな新婚旅行とは少し違いましたが(笑)、日常の忙しさや緊張の日々から解き放たれ、二人思う存分南国のイベントを楽しんだお正月でした。
hanaさん 子供の時の思い出は、正月親戚が集まり、お酒が入ってくると、トランプで賭けごとをしたことです。大人と子供が2人1組になり、小額のお金をかけるのですが、残ったお金は子供たちがもらえます。お年玉以外の臨時収入でした。違法(?)かどうかわかりませんが、楽しい思い出です。
帰ってきた遊び人さん 子供時代は、実家が八百屋でしたので、大晦日も商売をしており、その手伝いをしていました。当日は母親が早めに家に帰って年取りの準備をして、父親と店を閉めて家に帰り、急いで銭湯に行って、帰ってから準備をして年取りを迎えました。慌ただしい中にも、嬉しいひと時でした。
すいれんさん 毎年祖母からお年玉を貰った記憶です。
jack10さん 子供が中学生までは、ニセコで松明滑走をして新年を迎えていました。抽選会でも当たることはありませんでしたが、楽しい思い出です。ある年は、NHKの行く年来る年の中継対象となったとの説明があり、家に連絡して録画してもらいましたが、自分達の後方は映っていましたが、結局雰囲気を感じただけの映像になってしまって寂しかった記憶があります。
ミラクルさん いつもは料理をしない私(夫・父)ですが、お雑煮だけは必ず作ります。我が家のお正月の味なのです。
さんびきのははさん  故郷の地区の長だった義父と家族と共に、
12月31日の夜中から、神社の冷たい板敷に座って、
新年を迎える儀式に参加し、新春のめでたさや厳かさなど感じる余裕もなく、
ただただ「寒さとのたたかい!」だったのを、
今では懐かしい思い出です。
 
 今でもあの習慣は続けられているのでしょうか?

故郷には地縁もなくなりましたが、毎年新年に思い出す一コマです。



よっちゃんさん 最近の正月は、成田空港でのお屠蘇の振る舞い位でしか感じることができない。目的地がオーストラリアだったり、UAEだったりしても、クリスマスの名残りの飾り付けが取り忘れられている位で、お供えもお雑煮も旨煮もない。子供が小さかった頃には、妻が重箱に料理を詰めて、一家みんなで着物姿で年越しに実家に集まって飲んだり、食べたりしたものです。父も母も弟も亡くなった今は、妻と一緒に孫に会いに出掛ける日に変わっています。

AKS51さん 青森県に住んでいた小学生の頃、父の友人が東京から、同県の馬門(まかど)温泉に遊びによく来ていました。電話がかかって来て我々家族も合流することに。ボーイスカウトの隊長をしていた父の友人から簡単なロープワークやロープを使った遊び、また、知らなかったトランプゲームなどを教わり、二家族で楽しく過ごしました。
ダチョウのたまごさん 今でも 子供の頃のお正月が 一番 楽しかった! 祖父母の家に 叔父 叔母 従兄弟が集まり 百人一首 花札 クジを引いたり 祖父の手作りの大きな凧をあげたり 凧には長い縄でしっぽが付いていました。 寝る時が またまた楽しかった。
tomさん お正月は、毎年、おせち料理をたべてテレビをみてだらだらすごしています。。。。
ねこママさん 私が小学生の時の母の実家でのお正月風景。母は5人兄弟でしたが、祖父母の家に毎年元旦にそれぞれの家族が集合して総勢24人になりました。従妹との会話も弾み、料理好きなおばさんのたくさんのご馳走にもお腹がいっぱいでした。当時の集合写真を社会人になった時、作文と共に会社での広報に載せられ、それがきっかけで投稿が趣味になり今もしています。子供の頃の懐かしい一場面です。
雪桜さん 仕事の関係で、救急車の中で新年を迎えたこともあります。
年賀状を書く暇なく、紅白を見ながら書き上げて、出しに行ったら、ドカ雪で家に入れなくなったことも…
おしゃれな正月は、友人が宝塚の初日の招待券を当てて、観劇後に京都に…あの雑煮の味は忘れられません!
みっちゃんさん 初めて、温泉でお正月を迎えた時。最高でした
No888さん 正月は毎年近くの親戚が集まりワイワイと賑やかに過ごします。年々子供たちが大きくなっているのに驚かされます。
ヤマガラさん 私が小学生だった頃、正月には必ず、父が用意してくれた駄菓子を景品にした
トランプゲームで遊びました。点数に応じてお菓子を配分するので、妹には負けまいと必死でゲームに取り組みました。
takuさん お雑煮
とらじろうさん システムエンジニアのため毎年お正月はシステム変更作業で出勤しています。
ただ今年はたまたま作業がないため5連休となりますが、経験がないのでどう過ごそうか考え中です。
hmwestさん 小学生の時、正月は父の勤めている会社の人が挨拶に来て、酔っ払いがたくさん!私たち子どもは奥の部屋でトランプのドーナツゲームをして大いに盛り上がり、笑いすぎてうるさいと怒られました。今は家族でテレビを見ながらの静かな正月です。
ちゃいさん 必ず紅白みていた年末年始。いまはまったく見ていないです。
イーヨーさん 家族全員が次次々インフルエンザにかかり大変なお正月を迎えた事があります。主人が年末から1番最初で体調が悪いまま海外へ出張、子供達はAとBにかかり入院、そして最後に私がAB両方にかかるけど、ベッドが足りずに入院は出来ませんでした。家に帰って寝ていたら5歳と10歳の子供達が2人で私のお世話を一生懸命してくれてとても助かり感謝した事を思い出しましたよ。あの時はありがとうね。
まりもさん うま煮と茶碗蒸しが恒例です。
gachapinさん 子供のころの思い出は、ほとんど初詣に行ったことがなかった、という事です。
pureさん 年末から家族でスキー場近くの民宿で泊まりお正月はずっとスキーをしていました。
おせち料理を作らなくて済むし息子二人も喜ぶし楽でした。
熊五郎さん 私立大学四年の直前が父親が倒れ、家業が途絶えてしまった事実と借金の不安を抱え、母親と交代で東室蘭の病院で付き添いをしていました。たまに学校に向かうと友の「決まったさぁ」明るい声が恨めしく想い、おのずと足も札幌から遠のき、やっと札幌の学習塾で面接までこぎつけても「、貴方は田舎に帰って、お母さんを支えないと・・・」との不採用通知。人口五千人程度の田舎に就職がある訳はなく、父親のベットの横で『焼きそば弁当』ばかり食べていました(お蔭でトラウマになって今は食べれません。)。でも「あと、一年、あと、一年、」と決めて生活費と学費の捻出の為にバイト、バイトの毎日でした。薄野でのバイトでは酔っ払いに絡まれ、背中に吐瀉物を流された事もありました。卒業が見えかけた大晦日も手稲のスーパーで蜜柑を売っていたら別の大学の二回生に「(就職も決まっていないのに)こんな事をして良いんんですか?」とまで言われ、初詣列車で札幌駅に向かい、始発列車を待って東室蘭に向かって母親と病院のロビーで、互いに疲労と不安で黙り込んでいた元旦の事が今でも鮮明に思い出されます。
northcarrotさん 今から30年以上も前、大学時代、関東近隣の国公立大学に北海道から単身生活をしていました。親からも貴重な仕送りをしてもらいましたが、授業料や小遣いなどいろいろなバイトをしながら苦学生として勉学に励んでいました。中でも思いで深いのは、冬休み北海道の実家には帰らず、1か月程、12月下旬から1月中旬まで正月返上で、山梨県の御坂峠にあった民宿で住み込みで部屋の清掃・調理場の手伝い・風呂場の清掃などをして働きました。民宿先のご家族は、とても優しい方たちで、バイト学生は私一人でしたが、朝・昼・夕食を一緒に分け隔て無く接してくださり、接客業の勉強をさせていただきました。今はもうその民宿は無くなってしまいましたが人の温かさを教えていただき、また、河口湖や富士山の絶景を望むことができ生涯忘れる事ができない思い出です。
ぱくぱくさん 突然入院して大晦日、お正月を病院で過ごした
病室は一人きり。今、思い返しても悲しい思い出です。
あおいうみさん 子供のころ、元旦には一族郎党二十数名が参集し祖父のもとにワイワイと賑やかでした。孫も子供も芸を披露したり、皆で歌を歌ったり、百人一首やゲームをしたり、楽しい想い出です。普段では出ないご馳走も沢山ありましたが、その頃は、サイダー・リボンシトロンことにオレンジリボンシトロンが大好きでした。
りゅうちゃんさん 数年前に大病を患ってからすべからく減塩生活を送っています。正月料理は濃い目の味付けになってしまいますので、目だけで楽しみたいと思っています。薄味も慣れるといいものですよ。
はーちゃんさん 子供たちを連れ私の実家に2日に、妻の実家に3日に行くのが恒例でした。今は両親が亡くなり、三が日家にいます。楽は楽ですが、寂しいものです。
ばいそんずさん 4年前家族でハワイへ行きました
samaruさん 煮しめを食べました
こしあんぱんださん 子供の頃は、朝方届く年賀状が楽しみで、届くまで起きていようと誓うのに、気づくとコタツで寝てしまっていて布団まで運ばれている...そんな大みそかでした。最近は年賀状を貰う機会も減って寂しいなぁ。
じゅんさん 独身のときは病棟勤務で、年末年始必ず夜勤をしていました。患者者さんと今年はいい年でありますようにと新年の挨拶をしていました。
エロダスノッコさん 社会人1年目、会社の先輩から最北端はどこかと聞かれ、暮れに礼文島のスコトン岬を見に行き、正月を稚内で迎えましたのが懐かしい思い出です。因みに、会社は名古屋でh仕事納めの翌日から移動しました。。
とらうまさん お年玉を皆さんからいただいたこと。
ちゃんさん 昭和は遠くなりにけりで、子供の頃のお正月の雰囲気を思い出し懐かしさでせつなくなります。それだけ自分が年をとったのも、せつなくなりますね~
としちゃんさん 久しぶりに札幌に戻ってきたので、子供や孫と過ごすお正月になるのが楽しみです。
うさぎさん 子供のころは、親戚宅に集まっていました。おせちに欠かせないのは、道南名物「くじら汁」です!
りんごパイさん 私が子供のころは、親戚が集まると、必ず百人一首をしていました。
3人1チームを作り、何度も対戦していました。
にゃんにゃんにゃんこさん 大晦日に「良いお年を~」と言って会社を退出し、その数時間後に「あけおめ~」と出勤の毎年。
休憩室でニューイヤー駅伝と箱根駅伝を見るのが、正月の過ごし方ですW
Asukaさん おせち料理はいつも母と作っていました。ただならぬ砂糖の量に驚いたり、つまみ食いしすぎて食傷したり。今でも黒豆は必ず自分で作ります。
タカヨッコさん 余命が言い渡され、亡くなった妻の父と最後に楽しんだ正月が忘れられません。
りっかさん お正月はスキー場でおもちつき。
ちびさん 埼玉県へ嫁いだ娘が、孫を3人連れて10年ぶりに正月に帰る予定です。
じじ、ばば楽しみにしています。
みやさん 地方の都市に住んでいた子どもの頃、初詣のために深夜家族で毎年出かけたことを覚えています。夜の町並みは普段とは別の顔で、息を白くしながら長い時間歩いて神社に着くと、灯篭の明りが迎えてくれました。大勢の人たちの後ろに並んで御賽銭を投げ入れました。一番古い新年の思い出です。
ホワイト ソックスさん 学生の頃年賀状配達のアルバイトやっていましたw
けいこちゃんさん お正月といえば、家族で2泊3日・登別温泉第一滝本館に泊まり、決まって私が体調を壊し医者にかかった幼い頃を思い出します。
賢吉さん お正月というと、家族で初詣に出かけ、帰宅後、長姉の友達を呼び、ともに百人一首を楽しんだ小学生の頃が忘れられません。今は、長姉は亡くなり、次姉、長兄とは、縁切り・音信不通の状態・・・・・・。
リラクマ男さん 仕事の関係で、、大晦日から元旦まで泊まり勤務で、仕事中に新年を迎えた悔しさ(笑)
サイコロカバさん イライラして、いつもの自分と違ったことを言ったとき、後から子供にお父さんと違うと言われた。反省したが、自分の考えが伝わっていることがわかり嬉しかった。
inaさん お正月は、海外で過ごすことが多く、ホテルでのんびり紅白歌合戦の再放送を見て楽しんでいます。
みうらっちさん 正月といえば、家族でトランプをしたり、『人生ゲーム』をしたりと年に1回の家族団欒の時だった。今の時代、少なくとも自分の周りではそういうのがなくなってしまった感がある。
ごんさん 東京に単身赴任していたとき仕事の関係で正月自宅に帰れなくなり1月3日まで毎日仕事をしていました、一人さびしい正月でした
kagawaさん  子どもの頃、大阪で育ちました。当時、正月には「よそ行き用」といって、歳末に買ってもらった新品の下駄、下着、上下の服を着て、友達と近所のお宮さんへ初詣に。
 帰りには境内の露店で買った綿菓子食べながら、ワイワイガヤガヤと帰ったものです。65年以上も昔のことになりますが、今も心に残る「正月の思い出」です。
たまちゃんさん 子供たちが就職してこの街を離れて行き、一堂に会する機会は減ってしまいました。しかし、年末には子供達から好物のリクエストがあるので送っています。それぞれの食卓で昔と同じ新年を祝ってくれていることと思っています。
zaitonさん 5年前は、アルゼンチンで新年を迎えました。年末年始は日本と同じで、家族と過ごし新年を迎えます。若者は、同じように、外で大騒ぎ。違いは、夏で雪がないこと。熱い正月でした。
raiさん 岩見沢市では夜中の初売りがありました。確か二日の未明だったと思います。
家族で眠気をこらえ 行ったのを 思い出します。驚くほど賑やかでした。
今でも続いているのかな?

こむぎさん もう、15年ぐらい前ですが、インフルエンザで家族全員、当番病院へ行き、年末から3日間寝込み、おせちもお雑煮もなし、ひたすら熱が下がるのをまち続けた。
懐かしい思い出です。
けいたさん 実家では、御膳で年越しをしていました。
子供を連れて帰省した時 御膳での年越しが珍しくて在宅中ずーっと御膳でご飯食べてました。
ふーこさん 50年以上も前、小学校低学年の頃、お正月に手作業の豆選別作業の手伝いで親にもらったお金で姉妹3人で、6キロ以上歩いてお店に行ってチョコレートかったときのうれしい思い出、この年齢になっても思い出します。
いつになっても、この気持ちを忘れないようにしています。と同時に早くに相次いで去った両親に感謝もね.........。
やまじゅんさん いとこと、百人一首したなぁ
きょーこFさん San Franciscoの友人宅で家族で迎えたお正月が楽しい思い出です。
tokoさん お正月は初詣以外行くところもなく、混んでいるのも嫌だし、のんびりというより時間を持て余す事がほとんどでした。子供たちが高校生の頃(東京に住んでいました)一度だけ元日夜中に出発し、鎌倉八幡、箱根の芦ノ湖まで行って2日に走る箱根駅伝のゴールを見た年をよく覚えています。
ヨッチーさん 高3の冬休み、推薦での大学進学も決まり、冬休みに初めてのバイトを経験しました。仕出し屋でのバイトでしたが、ほとんど立ちっぱなしで、腰が苦しかったのを、今でも覚えています。
ゆきおばばさん 結婚して初めてのお正月。大みそかは夫の家で、新潟の酒やイクラの入った具だくさんのお雑煮にびっくり!うちのお雑煮は鶏肉出しの三つ葉が香るあっさり味!今度は夫がびっくりでした。
大学院さん お正月は、長沼と札幌の親戚めぐりをして、たくさんお年玉をもらいました。
シモンズさん 学生時代、大晦日から三が日までの地元の神社の夕方から早朝までの警備のバイトをしました。エンジンをかけたままの車に待機し、神社の裏に不審者が侵入してこないか見張るのですが、ボーイスカウトの少年が材木を取りに一回来ただけでした。とても楽なバイトでしたが、働いた時間帯のせいで、少し「時差ボケ」状態になりました。
ppさん 子供の時は親戚一同で集まり、いとこたちと遊ぶのが楽しみでした。今、お正月は遠方に住んでいるいとこたちを思い出す機会となっています。
ありゃまさん 子どもの頃、お店なんかどこも開いてないけど
何か、ものすごく特別だったお正月。
40年以上前のお正月が、なぜが鮮明に思い出されました。
sinさん 横浜でのカウントダウンライブで迎えた正月が楽しかった・・・のですが、帰りが3時頃だったので、眠くて仕方なかったのが印象的でした。
むっくりんこさん 既に亡くなりましたが、両親が生きていた頃は、実家に子供たちが集まり、食べたり飲んだり。
そして、トランプや花札に興じ、締めは孫も楽しみにしていた「ほうびき」の時間。
ひもの先に当たりを記す5円玉を結び、みんなで引き当うゲーム。年金暮らしの両親が当たりの景品を用意していました。(現金も含めて) 本当に懐かしく楽しい時間でした。
pasoさん お正月は夫の親も来て子供たちも混ざってマージャンをしました。皆勝負事を真剣にやるタイプなので面白かったです。ずーっと前の想い出です。
スエさんさん 正月に送る年賀状には、毎年家族の写真を付けています。いまでは、みなさん普通に行われていますが、我が家では、53年前から実施して二世代に渡っています。父親がマスコミ関係で写真の扱いに慣れていたかもしれません。
irohaさん 麻雀で年越しした学生時代
ruhaさん 実家に帰っての正月、父親と飲むのが楽しみでした。
mikiさん 帰省する子供たちを地元の駅で見送り、休みが終わるのが我が家恒例の正月休みでした。ある年、猛吹雪で交通機関がストップし、6時間以上かけてその吹雪の中を空港まで車で送って行ったことがあります。大変でしたが親のありがたみがつくづくわかったと、子ども達に感謝されました。若かったからできたのでしょうね。それ以来、年1回の帰省は夏にしてもらっています。
str777さん 毎年、実家に帰って、弟の家族と久しぶりに会います
もう゛ぃさん 私は大晦日が誕生日で子供の頃は誕生日と正月が続き、とっても楽しい思い出なのですが、大人になってみると親にしてみれば結構これって楽だなあと思ったりして・・・。
matuさん 某ドーナツショップでひたすらバイトをしていた3年間は正月の実感が全くなかったです。三が日は時給がアップするので世間のめでたさとは無縁でやっていました。
akishuuさん 田舎で凧上げや福笑いなど、今はあまり見かけない遊びをした。最近は、サッカー、駅伝、アメフトが正月の楽しみです。

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