温泉地から緩やかな斜面を登った丘の中腹に、真新しい建物がある。「十勝ラクレット モールウォッシュ」チーズの熟成庫だ。2016年に国の補助を得て、翌年竣工した建物の中には、地元の7つのチーズ工房から運び込まれた大きな丸いチーズが、厳重に衛生管理された熟成庫の棚に整然と並べられている。直径は26〜30センチ、重さ約4キロ。完全防備の白衣のスタッフが、チーズを丁寧にひとつずつ棚から取り出し、プラスチック容器の中に蓄えられた液体を表皮に手早く塗り付けていく。「洗う」というより「磨く」に近い。実はこの液体が十勝川温泉水なのだ。
「ウォッシュチーズ」とはチーズの表面を塩水や酒で文字通り「洗って」熟成させる製法で作られるチーズのことで「ラクレット」とは違う。「ラクレット」はセミハードタイプのチーズの一種で、切り口を熱で温め、溶けたところをパンやジャガイモにかけて食べるのが一般的食べ方だ。「ウォッシュ」して、雑菌の繁殖を抑える働きをするリネンス菌を助けるところは共通している。
運び込まれたばかりのチーズはまだ色が白く、熟成するにしたがって表面がきれいなオレンジ色になっていく。庫内の温度は約10度、湿度はほぼ100%。チーズはここで2〜3ヶ月熟成され、30〜40回の「磨く」作業を経て、「十勝ラクレット モールウォッシュ」として現在年間約6000玉が出荷されるという。
熟成庫を管理するのは、「十勝品質事業協同組合」。その前身は、今もある「十勝品質の会」。元々は十勝のよい食材を使った食品を世に送り出そうと地元有志による組織だった。「十勝プライド」がその商標。モールウォッシュ ラクレットはその第1号商品だ。同組合の中林司事務局長によれば、チーズ工房の代表者が集まって話しているうちに、誰からともなく「ここの温泉水で磨いてみたら」というアイデアが出たという。やってみたらこれがぴったり。「何といっても温泉水がアルカリ性だったことが決め手でしょう」と中林さん。共通のブランドとしてラクレットチーズを作るに当たって、熟成庫の狭い工房も多かったため共同の施設を建てるに到ったという。
そもそもこのチーズの元となったラクレットチーズはどこから来たのか。
ラクレットを日本で最初に作ったのが、同じ十勝の新得町にある「共働学舎」だ。このチーズ工房が十勝に、いや日本のチーズ造りに果たした役割は計り知れない。ここからはちょっと十勝のチーズ造りの歴史を遡る。共働学舎新得農場の創設者であり代表の宮嶋望さんに話を聞きに行った。
宮嶋さんは1951年群馬県生まれ。東京でキリスト教精神に基づく教育を行っている「自由学園」の教員だった父の影響下で育ち、最初の共働学舎は父の真一郎さんが1974年に長野県で始めた。自閉症、躁鬱、引きこもり、アスペルガー、ホームレス等、さまざまな理由で社会での生きづらさを抱えた人たちが自活できることを目的に、病気で縦割りにする教育とは違った場所を作ろうと、働き、生活する場を長野県に作ったのが始まりだ。
宮嶋さん自身も大学までを自由学園で過ごす。当時は父や自由学園の影響の届かないところに出たい気持ちもあり、知人の勧めもあってアメリカのウィスコンシン州に農業研修に行く。牧場で研修しながらウィスコンシン大学の酪農学部に通い。そこで得た酪農やチーズ造りの知識や人脈は帰国後に大いに役に立つ事になる。
帰国したとき、父が始めた共働学舎は4年が経ち、全国で3カ所に広がっていた。新得町との出会いも偶然だ。「共働学舎が北海道で土地を探している」という話を聞いた新得町が土地を提供するという話になり、送られてきた写真を見た父が気に入った。これが縁で、若い宮嶋さん一家が家族で新得に移り住むことになる。1978年、26歳のときだった。住む場所を確保し、水の手配まで、すべて自分たちで行った。その大変さを「『北の国から』で田中邦衛が演じた黒板五郎よりもちょっときつかった」と後に著書の中で語っているから、相当なものだったに違いない。
牛を飼い、牛乳を採る生活の中で、牛乳が余る、ということに気づく。酪農家が価格維持のために牛乳を廃棄するというのがニュースになったような時期だった。せっかく搾った牛乳を無駄にしたくないという気持ちからチーズを作るという発想に到る。
1988年、ヨーロッパに行く機会を得て、チーズ造りの現場を見て回った。そこでフランスのチーズ造りの権威であるジャン・ユベール氏に出会う。「日本には発酵文化があるだろう、日本のチーズを作れ」と啓示を受ける。微生物の力が食品を安全にする。当時日本では誰も行っていなかった無殺菌牛乳でチーズを作るアイデアももらった。
「生まれたときは人間は母乳で育つ。母乳は無殺菌です。そして母乳には免疫力がある。牛乳ももちろん母乳なので、わざわざ殺菌する必要があるのか、と」
ユベール氏から言われた事の中に「牛乳を運ぶな」というアドバイスがあった。牧場で搾乳された牛乳はパイプを通したり、ポンプで大きなタンクに貯められたり、トラックで運ばれたりするのが普通だ。その過程では殺菌することが必要となるが、「牛乳が持っている本来の力、微生物の働きがその過程で失われる」と宮嶋さんは言う。
新得農場は斜面にあり、高いところに牛舎、その下にチーズ工場がある。土地の傾斜を利用してポンプを使わず、自然に乳が流れる設計にした。「運ばない」ので、共働学舎のチーズの原料は自分たちの牛から搾る乳だ。牛は放牧で牧場の草を食べて育つ。牛はブラウンスイス種のみ。白黒のホルスタインより乳量は少ないが、たんぱくの比率が高いため、多くのチーズが採れるのだという。
「微生物が気持ちよく仕事をしてくれる環境を作ってあげることがいちばん大事なんです」と宮嶋さん。そのために、建物はすべて木造。建物の下には「マイナス電子を引っ張り込むため」炭を敷いている。共働学舎の熟成庫は木造で、壁はレンガと札幌軟石で作られている。「軟石やレンガの中に微生物が入り込み、いい仕事をしてくれる」と宮嶋さん。
時には零下30度に達する冬の厳しさ。ユベール氏に「ここで作るならラクレットがいい」と即答されたのがラクレットを作るきっかけだった。
1992年からラクレットを作り始め、1998年「ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト」でラクレットがグランプリを獲得。2004年にはフレッシュチーズの「桜」がスイスの「山のチーズオリンピック」で金賞とグランプリを取るなど、世界に認められるチーズとなり、今作っているチーズは約10種に及ぶ。
共働学舎には、当初の父の理念の通り、現代社会に適応できない理由を抱えた人たちが多く働く。ふらりとやって来ていつの間にか去っていく人も多いが、チーズ造りを学びたくて農場の門を叩く人も多い。ここで学んだチーズ職人たちが独立し、北海道各地に工房を開いている。
「微生物が働きやすい環境を作る」という宮嶋さんの言葉は、共働学舎の人の活かし方につながるように感じる。農場の一日は、みんなに「今日は何をしますか?」と問いかけることから始まるという。自分のやることを自分で決めて、それをやる。そしてできたチーズは世界で認められるものととなった。
宮嶋さんが始めたラクレットは当初は普通に塩水で磨いていた。今もその製法で作るものもあるが、共同の熟成庫に送られるものもある。
「モールというのは、植物が堆積し発酵した層を通ってきた温泉水です。チーズを磨くのにぴったりのものが足元にありました。モールウォッシュはオール十勝産です」と宮嶋さん。
地元の素材で美味しいチーズを作る。チーズと温泉、この驚くべき組み合わせにはわくわくせずにいられない。
(文・写真 :吉村卓也)
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
15ページ中1ページ目
15ページ中1ページ目(445コメント中の30コメント)