朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから(朝日IDの登録ページが開きます)
とかち帯広空港から南へ、畑の中のまっすぐな道を車で走ると遠くに山が見え始めた。日高山脈だ。峻険な峰々が畑の向こうにせり上がり、大地を見下ろすように左右に連なっている。中央に位置するのが十勝幌尻(ポロシリ)岳(1846メートル)。アイヌ語で「大きい山」を意味する地名だそうだ。周囲の山々を従えて堂々とそびえている。
日高山脈襟裳十勝国立公園が今年6月に誕生した。「ふるさとの山を国立公園へ」を合言葉に様々な活動をしてきたボランティアたちが中札内村にいると聞いてやってきた。日高山脈国立公園化PR事業実行委員会。十勝幌尻岳、ペテガリ岳など日高の秀峰を村のどこからでも望める住民たちが、国立公園化を目指した3年余りの活動とは。
実行委員長の須賀裕一さんは、中札内村生まれの元消防士だ。旅行でいろいろな場所に出掛けて帰ってきても日高山脈を見るとふるさとに帰ってきたと実感するという。一番好きな山は十勝幌尻岳。冬の早朝に燃えるように真っ赤に染まるこの山がお気に入りで、自宅は「カチポロ」が一番良く見える場所に建てた。
2021年に村からの呼びかけで実行委員会が立ち上がった。20代から70代までの、農業、主婦、自営業、定年退職した人など9人が応募(現在17人)。移住者も大勢いた。年に7、8回程度集まって日高山脈を理解してもらうための講演会や写真展を開催してきた。村の全戸に日高山脈のカレンダーも配布した。
たとえば講演会では地学の先生に日高山脈の成り立ちから話してもらった。プレート同士がぶつかったことにより急峻な山脈ができたとか、スプーンで削ったようなカール地形がなぜ見られるのか、日高山脈があることで「十勝晴れ」ができるなどの話をしてもらった。また普段登山している北大山岳部の部員に山の特徴や自然の厳しさなどを語ってもらった。
またヒグマの生態や共存のための注意点を知床財団の職員に話してもらった。ヒグマの毛皮や骨に触るなど親子で楽しみながら学ぶ機会も作った。
「長年ここに住んでいる人には、日高山脈の素晴らしさをなかなか分かってもらえない。自分たちが普段見ている山が、日本で一番大きい国立公園になる。こんな誇らしいことはない。まず村民に日高山脈のファンになってもらいたい」という思いで、須賀さんたち実行委のメンバーたちはさまざまな活動を進めてきた。
そのメンバーたちを紹介すると--。
横浜から6年前に移住してきた自営業・梶山智大(ともひろ)さんと妻の千裕(ちひろ)さんも実行委に加わった。智大さんは、信州大の工学部大学院で機械システム工学を修了し、JR東海に入社。エンジニアとしてリニア新幹線の開発に従事した。時代の最先端の仕事をしているという自覚はあった。しかし「この仕事を定年まで続けるのか」という疑問がわき上がった。
もっといろいろなことをしてみたいという気持ち、会社員という安定を捨てても何かにかけてみたいという熱情を抑えることができなくなった。大学院生の時、夏休みに北海道を旅行した際の十勝の美しい景色が忘れられなかった。
その思いは絶ち難く妻にも相談し、夫婦で地域おこし協力隊として中札内村への移住を決断した。村に夫妻で観光振興プロデューサーとして採用された。その後、智大さんは会社を立ち上げ、札内川園地の管理を任されて、サイクリングツアーや札内川親子釣り教室などの企画、運営に当たっている。妻の千裕さんはソムリエとチーズプロフェッショナルの資格を取得、ワインとチーズの店を経営している。
智大さんは日高山脈を模した雪山にアイスキャンドルを点灯するイベントに参加したのが印象的だった。「仕事を辞めてこちらに来て良かった。しばられるものが減り、自由になった」と日々の暮らしに充実感を感じている。
高橋智子さんは指導実習助手として中札内高等養護学校に勤務している。地元のコーヒー工房に協力してもらい、普通科の生徒たちと一緒に新しいブレンドコーヒーを開発した。生徒たちが意見を言い、工房の経営者がそのアドバイスを基に新しい味のコーヒーを作り上げた。名付けて「日高山脈コーヒー」。山脈のイメージ通りすっきり爽やかな味が自慢だ。いまでも学校の展示即売会などで販売され好評を博している。
高橋さんの出身地は標津町だ。初めて中札内村に赴任してきた時、日高山脈がきれいに見える風景が、故郷の知床連山と重なって見えた。「山に登るのは難しいですが、裾野から眺める楽しみもあります」と十勝の景色に満足している。
定年後に中札内村にUターンしてきた夫婦もいる。久保田義則さんと妻の美智子さんだ。義則さんは名古屋空港や仙台空港など全国の空港で総務や会計の仕事をしてきたが、故郷に戻ってきた。日高山脈の素晴らしい景色を子どもの頃から毎日見て育った。「本当のことを言うと都会で暮らすのはいやでした。好きな中札内に戻ってきたのだから、なにかに貢献したい」という思いで実行委の活動に夫婦で参加した。50代から夫婦で日高の山に登り始め、十勝幌尻岳、芽室岳、剣山などに登った。「ずっと地元だけにいたらきっと中札内村の自然の素晴らしさは分からなかった」と話す。実行委の仕事は、多くの人に中札内村を知ってもらうことなので、「楽しくて仕方がなかった」と振り返る。
奈良県から移住してきた木村千秋さん、三重県からきた入交(いりまじり)裕子さんは、いずれも娘が帯広畜産大に入学したことなどがきっかけで、約20年前に中札内村に家を購入した。どちらも時間的に余裕ができたことで実行委に参加した。「人とのつながりができて、楽しかった。日高山脈が国立公園になり、豊かな自然が保護されるのは喜ばしい」と入交さん。
また北大山岳部も実行委員会の活動に協力してきた。部員が日高山脈に登る際、360度カメラをつけて風景を撮影した。その映像は村の観光協会のホームページにアップされている。また村の子どもたち向けにキャンプ教室も開いてきた。
今年8月に村で開かれた国立公園化のお祝いイベントでは、今年の春、日高山脈を19日間かけて一人で全山縦走した山岳部OBの中川凌佑(りょうすけ)さんが講演した。日高山脈の魅力について「稜線が果てしなく続き、人を寄せつけない山の奥深さがあるところ」と話す。「自然が自然のまま残っているところが素晴らしいので、国立公園化しても過度な開発はしないようにしてほしい」と願っている。
実行委の活動は報酬が支払われないボランティアだ。「お金をもらわないからこそ自由にできる。もし有償だとしたらいろいろ算盤をはじかなくてはならない」と須賀委員長は強調する。「日高山脈の当たり前の景色が素晴らしい。そこが国立公園になるのだから、全国にPRするのは当たり前。子どもたちにここに住んで良かったと思われる地域作りを続けていきたい」と話している。
村では今年8月を「特別な1カ月」として、中札内文化創造センターで日高山脈関連の写真やパネルを展示、村民祝賀会も開いた。
森田匡彦村長は、日高山脈が国立公園になったということは「ここに宝があると認められたということ」と強調する。実行委の活動について、「たいへん有り難い。住民のがんばりを応援する村でありたい」と話している。
(文・写真:朝日教之)
日高山脈襟裳十勝国立公園とは
日高、十勝の13市町村にまたがる日高山脈襟裳十勝国立公園が今年6月に誕生した。公園区域は日高山脈と襟裳岬周辺までの24万5千ヘクタールあまりで国内最大。北海道の背骨といわれる山々が南北140キロに渡って連なる。氷河に削られ、U字形の谷になった「カール」地形など独特の景観があり、国の天然記念物シマフクロウをはじめ希少な動植物の宝庫として知られる。国立公園の指定は全国で35カ所目、道内では7カ所目。日高山脈の山は険しく、一般の登山客が登るには難易度が高い。国立公園に指定されたからといって、初心者が観光目的で安易に入山するのは危険だ。
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
17ページ中1ページ目
17ページ中1ページ目(508コメント中の30コメント)