このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。

画像:AFC アサヒファミリークラブのロゴマーク

>HOME >特集一覧 >VOL.246「よみがえれ、おもちゃ」(2025年2月17日)

特集Vol.246
『よみがえれ、おもちゃ』

特集「よみがえれ、おもちゃ」の表紙の写真です
公開:2025年2月17日 ※記事の内容は取材当時のものです。
子ども用ミシンの故障原因を熱心に聞くお母さんと6歳のお姉ちゃん

  昨年12月22日、まちのあちこちにクリスマスツリーやキラキラしたオーナメントが飾られるなか、向かったのは札幌市郊外にある札幌市下水道科学館。1階のホールに入ると、中央に置かれた大きなテーブルの上に、カラフルなおもちゃが所狭しと並んでいる。
 音の出る絵本、オルゴール、ワンと鳴く犬のぬいぐるみ、電池式の動く恐竜、ラジコンカー……。これらは、デパートで売られている新品とは違う。どれも「治療」が終わり「退院」を待つおもちゃたちなのだ。
 ここでは毎月第2・第4日曜日に、「おもちゃクリニック」が開院する。このクリニックは、おもちゃの無料修理をおこなうボランティア組織で、2002年の発足以来、現在市内に6カ所、23人のお医者さんが在籍する。
 お医者さんといっても、白衣ではなくエプロンがユニフォーム。この日は9人のお医者さんが、持ち込まれるおもちゃたちを待っていた。

おもちゃのお医者さん

  どんな人がお医者さんになれるのだろうか? 昨年、新院長になったばかりという林隆志さん(77)に話を聞いた。現役の頃、オートメーションやトランジスタなど技術系の仕事に就いていたという本格派だが、「資格は特にないんですよ。強いていえば、ものづくりが好きなことと、子どもと接するのが好きなことでしょうか」と話す。林さんの場合、知人から教えてもらったのがきっかけだったという。「参加して13年になりますが、いろいろなおもちゃがあって飽きることはないですね。故障の原因を探すのには苦労することもありますが、スタッフの知恵を集めて直しています」と林さん。

修理にはおもちゃドクターのチームワークが欠かせない。右が「おもちゃQキュー病院」佐藤勝美院長。

自分だけの特別なもの

  受付の前には、すでに数組が順番待ちをしている。中央区からやってきた両親と二人の小さな姉弟。「お姉ちゃんに壊されちゃって」とお母さんが見せてくれたのは、ボタンが押せなくなった「たまごっち」。お姉ちゃんは9歳、弟は7歳。二人とも不安気に、お医者さんの診断説明を待っている。
 「ああ、これは入院しなくても今日中に直せますよ。少し待っていてください」。それを聞いて、お母さんは「ずっと手元から離さないので、すぐに直って良かったです」とほっとした様子。二人の子どもたちも、お父さんのそばでうれしそうにはにかんだ。
 「おもちゃは量販品ですが、もらった本人にとっては、自分だけの特別なものになるんです。同じ種類のおもちゃでも、他のものでは代わりになりません。なかには、今日は直らないから入院ですって言うと、泣き出しちゃうお子さんもいるんですよ」と林さん。

最高のクリスマスプレゼント

  テーブルの端では、退院するおもちゃの引き渡しも行われている。ぬいぐるみの犬の「ワン、ワン」という鳴き声に、40歳代とおぼしき夫婦は、「わー、久しぶりに聞きました。ありがとうございます!」と感激の声をあげた。聞くとこのワンちゃん、84歳になる女性の母親が大切にしているものだという。
 「ワンちゃんは、私が小さい頃からわが家にあったものです。いつの間にか声が出なくなっていて、こちらに持ち込みました。これから実家に戻って母とクリスマス会を開くので、最高のプレゼントになります」と顔をほころばせた。
 林さんは、「直ったおもちゃを見て喜んでくれる顔を見るのが、何よりもうれしいですね」と目元を緩めた。

被災地に送った14箱分のおもちゃ

 このクリニックでは、2011年の東日本大震災の際、避難所の子どもたちにおもちゃを送ったという。その経緯を前院長の柳橋正気さんに教えてもらった。
 「避難生活を送る子どもたちに、少しでも元気を取り戻してほしいと思い、地域で使わなくなったおもちゃの寄付を呼びかけました。壊れたものがあれば直して、集めたおもちゃはダンボール14箱分にもなりました」
 それらは、現地のボランティアたちの協力を得て、宮城、岩手、埼玉の各避難所へ届けられたという。「避難しているお子さんから、感謝の手紙をもらい感激しました。子どもたちにとって、おもちゃがどれだけ大切なものかを再認識できました」と柳橋さんは振り返る。

被災地に送った14箱分のおもちゃ

 「おもちゃクリニック」のように、おもちゃの修理をボランティアで行う団体は、道内に現在14団体ほどある(『日本おもちゃ病院協会』公式Webサイトより)。なかでも札幌での活動は、1984年に白石区役所内の児童室内で開院した、「おもちゃ病院ピーポー」に始まる。おもちゃの修理講座を受講した女性たちが、学んだ知識を生かしたいとボランティア組織を設立したことに端を発するという。

老舗「おもちゃQキュー病院」

   その5年後の1989年、白石区から厚別区が分区した際に、おもちゃ病院ピーポーから独立して誕生したのが「おもちゃQキュー病院」だ。厚別区民センターで毎週水曜日に開院していると聞いて、さっそく訪ねてみた。
 出迎えてくれたのは、院長の佐藤勝美さん(78)。現役時代は、遠洋漁業の船長として世界各地を航海したという異色の経歴を持つ。そんな佐藤さんが、おもちゃのお医者さんになったのは、お孫さんのプラレールが壊れて、ここに持ち込んだことがきっかけだった。
 「一度航海に出ると、船の上では何でも自分たちでやらなくちゃいけない。それで無線や電気関係なども直していたので、私にも出来るかなと思いまして。それからはや18年です」
 おもちゃQキュー病院は、今年で設立36年目を迎える。設立以来、受け付けてきた修理数は、実に12,000件を超えるそうで、そのうち修理できたのは約95%に達するという。

完治を支える身近な宝物

 その高い「完治率」を維持するため、ここではある工夫をしている。院内を見渡すと、それぞれのお医者さんの前には、たくさんのネジやバネなどが入った箱がずらりと並んでいる。「どこのおもちゃ病院もやっていることだとは思いますが、日頃から小さな部品を集めておくことが大切なんです」と佐藤さん。
 隣の机ではベテランのお医者さんが、小さなネジのたくさん入ったケースから何かを探している。「よく使われるのは4ミリ以下のネジですが、いまでは1ミリ単位で違いが分かるようになりました」と話す。どんな世界にもプロフェッショナルはいるものだ。
 そういえば、年末に訪れた「おもちゃクリニック」では、3Dプリンターを個人で購入し、部品作りに利用している凄腕のお医者さんもいた。ボランティア活動ということもあり、規格外の部品は基本的に自分たちで手作りしなければならないのだ。
 「使えなくなったおもちゃの部品やプラスチック製品などが宝物」と佐藤さんも言うように、先日は欠けてしまったウルトラマンのフィギュアの足先を、使い捨て用の歯ブラシの柄を削ったもので代用したそうだ。

おもちゃは友であり家族

  おもちゃQキュー病院ならではの特色は、女性のお医者さんがいることだ。ぬいぐるみや人形などを、主に針と糸で直す「治療」を担当していて、現在3人が在籍している。
 「故障したおしゃべり人形を持ち込まれる高齢の女性も意外に多いですね。私自身もネルルちゃん(コンピュータ内蔵の人形)を、ここで修理してもらいました。皆さん、子どものように大切にされていますから、お話しするのが楽しくて」。
 そう話すのは、旧白石区のボランティア時代におもちゃ病院の立ち上げに参加したという川口クニ子さん(78)。
 おもちゃは単なる遊び道具ではなく、友であり、家族でもあるのだ。

親子二代にわたってお世話に

 取材中、二人の女の子を連れたお母さんが、おもちゃを引き取りにやってきた。6歳のお姉ちゃんが大切にしていた子ども用ミシンが動かなくなり、修理をお願いしたのだという。
 「直りましたよ。動かしてみましょうね」とお医者さんが声をかけると、お姉ちゃんはうれしそうにテーブルに身を乗り出した。電源をいれると、ミシンがカタカタと動きだした。
 毛糸で縫えるミシンは、小学生低学年ぐらいまでの女児の間で人気だそう。「昨年の夏、お姉ちゃんの誕生日にせがまれて買ったんですけど、動かなくなってしまって。すぐに思い出したのがここでした。私も幼いころ、おもちゃを修理してもらったことがあるんです」。そう話す女性は、「親子二代でお世話になって」とほほ笑んだ。

おもちゃは時代を写す鏡

 この活動を長く続けてきた二人の院長が共通して語っていたのは、持ち込まれるおもちゃから社会の変化がみえてくるということ。
 電話ひとつとっても、ダイヤル式の置き型から、いまではスマートフォン型が普通。ICチップが内蔵されているものも多く、技術の進歩とともにより安価で使い捨てを前提に作られたものが多くなってきたという。
 おもちゃは子どもたちに夢を運ぶが、一方では大量に消費する現代社会を色濃く映し出す存在とも言えそうだ。
 そうした風潮のなかで、おもちゃ病院は、世界でたったひとつのおもちゃを大切にする心にそっと寄り添ってくれる稀有な場所でもある。おもちゃ病院の先生たちは、今日も大忙しだ。

おもちゃの病院を支えるお医者さんたち(「おもちゃクリニック」、前列右から二人目が林院長)

(文:井上美香 写真:吉村卓也)

※最寄りのおもちゃ病院は「日本おもちゃ病院協会」で検索できます。

全文を読むにはログインしてください。

ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ
『おもちゃ』
幼少のころ、どんなおもちゃで遊びましたか?
どんなおもちゃに心を奪われましたか?大切な人から贈られた特別な一品、友達と共に遊んだ時間、ひとり静かに夢中になったおもちゃ……。
そのおもちゃが紡いだ物語を、ぜひ共有してください。
私は男子だったので、もうそれは自動車のおもちゃ!好きでした〜。

21ページ中1ページ目

40代の男子としてはミニ四駆に小学生時夢中になり学校の校庭で自作のレースをしていましたが何回かのブームもあり今小学生の息子も夢中になりミニ四駆グランプリも子供も大人も参加できる大会で今はブームも落ち着いたとはいえ自作でマシンを作るのもお金も時間も掛かりますが親子で出来るコミニケーションツールとしてスポーツできない親子でもあるので最高のおもちゃでこれからも大会参加していきます。(KANTON$さん)

トミカで遊んでました!(こういちさん)

昔すぎてあんまり覚えていないです。すみません。(みゆきさん)

そう云えばベーゴマやめんこぐらいしか入手できる玩具はなく、いかに相手に勝つかを競って遊んでいましたね。
後は鬼ごっこやかくれんぼ、私は草野球と云ったところですね。なんかとても懐かしく思います。(Yoshiさん)

おもちゃ・・・なかなか思い出せません。かくれんぼ、鬼ごっこ、ゴム跳び、お母さんごっこ、ケンケンパーなんてよくやっていました。(カボチャさん)

やっぱりトランプかな?家族でババ抜きとか大富豪をやって年越しとかやっていた事を思い出しました。(のりこさん)

チョロQで良く遊びました!(ぽんちゃんさん)

タカラ(現タカラトミー)のミクロマン、ポピー(現バンダイ)のマジンガーZなどロボットの超合金などで遊んでいました。
キャラクター物のおもちゃがお店に沢山陳列されていて、子供にとってはそれはもう町の玩具店などは子供にとって正に夢の世界でしたね。
(keikei丸さん)

缶蹴り、あやとり、ゴムとび、は身近にある物を使って遊んでました
お正月等はトランプ、かるたが定番でしたね

今は全くしませんがフラフープは良く遊んでました(えびさん)

兄の影響でミニ四駆 に夢中になりました。友達と一緒にコースを作り、カスタマイズしたマシンで競争。モーターを変えてみたり、重りをつけてバランスを調整したりと、改造の楽しさにどっぷりハマりました。「どのギアを選ぶか」「どうしたらコースアウトしないか」なんて、夢中になって研究していたあの頃は、まるで小さなエンジニアでした!(cervejaさん)

伯母に買ってもらったリカちゃん人形。自分て服を縫い、セーターを編み着せていました。半世紀以上前の物なので初代リカちゃんではないかと思います。住民票は今も我が家です。(おそのさん)

特にないけどよろしく あえていえば貧乏でおもちゃはなかったかなあ 自然のなかで空想遊びだったかな(masaさん)

キン肉マン消しゴムです!正規のものから、偽物コピー品まで集めてたなー。(よつしーさん)

おもちゃ、というよりぬいぐるみと一緒のオママゴトが1番の楽しみだったと思います。そのぬいぐるみは、私の幼い頃から一緒にいて、今でもだいぶくたびれた体で私に寄り添ってくれています。(すずめさん)

おもちゃを買ってもらえなかったので、ビー玉やパッチ(めんこ)で遊んでいました。

(Os-sanさん)

50年以上前の事なので、おもちゃで遊んだ記憶はありませんが、冬は裏の山に行き隣の子とスキーを滑ったり雪だるま作ったり、遊んでいました。夏場は縄跳びとか手遊びの紐で橋を作ったり、などしてました。今はスイッチなんかありいいですね。携帯のゲームも楽しいですね♪(としこさん)

たまごっち
子供の頃、ペットが飼えなかったので、仮想ですが、たまごっちを育てるのがペットを育てているみたいで、とても楽しかった思い出があります。(けいこさん)

幼稚園のころはモンチッチ、小学生になってリリアンでしょうか
カーペットを汚して怒られたスライム。。。
年齢がバレバレですw(ゆずむぎさん)

リカちゃんで遊んでた(ちひろさん)

リカちゃん人形で、姉と一緒に遊んでました!(チョコ星人さん)

シルバニアファミリーが大好きでした。母や母の友達が、人形に服を作ってくれていました。良い思い出です。(あきさん)

鉄腕アトムのブリキのおもちゃ
今も残っていたらものすごい価格になっているのかな?(Satさん)

リカちゃん人形がお気に入りで、友達とお人形さんごっこをしてよく遊んでいました。(うさぴょんさん)

幼少のころ、どんなおもちゃで遊びましたか?→私は今65歳ですので、覚えているのは、最初に「鉄人28号」のおもちゃ、少したってロゴの前となったブロック系のおもちゃで遊びましたね、子どもが小学生になってからはミニ四駆に一緒に夢中になった思い出があります。(ユウジさん)

リカちゃん人形で遊びました。着せ替えするのがとても楽しかった。小さくても自分なりのファッションセンスでいろいろ遊んだ記憶があります。(なみさん)

さんすーピューターという計算したりゲームしたりするもので、小学校2年の時にサンタさんにもらいました。占いの機能もあったと思います。(りなさん)

姉とリカちゃん人形で遊びました。(ヒロコさん)

私は、ままごと遊びのおもちゃが当たらなかったので、新聞の広告や記事の中から、お鍋やお皿やを切り取って、それで満足して遊んでいました。十分楽しかったこと覚えています。(えつこさん)

子どもの頃は小児喘息で、いつも室内での遊びが中心だった、お気に入りはブリキ製の自動車でした。(satoruさん)

犬のぬいぐるみです。
今ではチワワを飼っています(おっとうさん)

21ページ中1ページ目(614コメント中の30コメント)

先頭へ戻る