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昨年12月22日、まちのあちこちにクリスマスツリーやキラキラしたオーナメントが飾られるなか、向かったのは札幌市郊外にある札幌市下水道科学館。1階のホールに入ると、中央に置かれた大きなテーブルの上に、カラフルなおもちゃが所狭しと並んでいる。
音の出る絵本、オルゴール、ワンと鳴く犬のぬいぐるみ、電池式の動く恐竜、ラジコンカー……。これらは、デパートで売られている新品とは違う。どれも「治療」が終わり「退院」を待つおもちゃたちなのだ。
ここでは毎月第2・第4日曜日に、「おもちゃクリニック」が開院する。このクリニックは、おもちゃの無料修理をおこなうボランティア組織で、2002年の発足以来、現在市内に6カ所、23人のお医者さんが在籍する。
お医者さんといっても、白衣ではなくエプロンがユニフォーム。この日は9人のお医者さんが、持ち込まれるおもちゃたちを待っていた。
どんな人がお医者さんになれるのだろうか? 昨年、新院長になったばかりという林隆志さん(77)に話を聞いた。現役の頃、オートメーションやトランジスタなど技術系の仕事に就いていたという本格派だが、「資格は特にないんですよ。強いていえば、ものづくりが好きなことと、子どもと接するのが好きなことでしょうか」と話す。林さんの場合、知人から教えてもらったのがきっかけだったという。「参加して13年になりますが、いろいろなおもちゃがあって飽きることはないですね。故障の原因を探すのには苦労することもありますが、スタッフの知恵を集めて直しています」と林さん。
受付の前には、すでに数組が順番待ちをしている。中央区からやってきた両親と二人の小さな姉弟。「お姉ちゃんに壊されちゃって」とお母さんが見せてくれたのは、ボタンが押せなくなった「たまごっち」。お姉ちゃんは9歳、弟は7歳。二人とも不安気に、お医者さんの診断説明を待っている。
「ああ、これは入院しなくても今日中に直せますよ。少し待っていてください」。それを聞いて、お母さんは「ずっと手元から離さないので、すぐに直って良かったです」とほっとした様子。二人の子どもたちも、お父さんのそばでうれしそうにはにかんだ。
「おもちゃは量販品ですが、もらった本人にとっては、自分だけの特別なものになるんです。同じ種類のおもちゃでも、他のものでは代わりになりません。なかには、今日は直らないから入院ですって言うと、泣き出しちゃうお子さんもいるんですよ」と林さん。
テーブルの端では、退院するおもちゃの引き渡しも行われている。ぬいぐるみの犬の「ワン、ワン」という鳴き声に、40歳代とおぼしき夫婦は、「わー、久しぶりに聞きました。ありがとうございます!」と感激の声をあげた。聞くとこのワンちゃん、84歳になる女性の母親が大切にしているものだという。
「ワンちゃんは、私が小さい頃からわが家にあったものです。いつの間にか声が出なくなっていて、こちらに持ち込みました。これから実家に戻って母とクリスマス会を開くので、最高のプレゼントになります」と顔をほころばせた。
林さんは、「直ったおもちゃを見て喜んでくれる顔を見るのが、何よりもうれしいですね」と目元を緩めた。
このクリニックでは、2011年の東日本大震災の際、避難所の子どもたちにおもちゃを送ったという。その経緯を前院長の柳橋正気さんに教えてもらった。
「避難生活を送る子どもたちに、少しでも元気を取り戻してほしいと思い、地域で使わなくなったおもちゃの寄付を呼びかけました。壊れたものがあれば直して、集めたおもちゃはダンボール14箱分にもなりました」
それらは、現地のボランティアたちの協力を得て、宮城、岩手、埼玉の各避難所へ届けられたという。「避難しているお子さんから、感謝の手紙をもらい感激しました。子どもたちにとって、おもちゃがどれだけ大切なものかを再認識できました」と柳橋さんは振り返る。
「おもちゃクリニック」のように、おもちゃの修理をボランティアで行う団体は、道内に現在14団体ほどある(『日本おもちゃ病院協会』公式Webサイトより)。なかでも札幌での活動は、1984年に白石区役所内の児童室内で開院した、「おもちゃ病院ピーポー」に始まる。おもちゃの修理講座を受講した女性たちが、学んだ知識を生かしたいとボランティア組織を設立したことに端を発するという。
その5年後の1989年、白石区から厚別区が分区した際に、おもちゃ病院ピーポーから独立して誕生したのが「おもちゃQキュー病院」だ。厚別区民センターで毎週水曜日に開院していると聞いて、さっそく訪ねてみた。
出迎えてくれたのは、院長の佐藤勝美さん(78)。現役時代は、遠洋漁業の船長として世界各地を航海したという異色の経歴を持つ。そんな佐藤さんが、おもちゃのお医者さんになったのは、お孫さんのプラレールが壊れて、ここに持ち込んだことがきっかけだった。
「一度航海に出ると、船の上では何でも自分たちでやらなくちゃいけない。それで無線や電気関係なども直していたので、私にも出来るかなと思いまして。それからはや18年です」
おもちゃQキュー病院は、今年で設立36年目を迎える。設立以来、受け付けてきた修理数は、実に12,000件を超えるそうで、そのうち修理できたのは約95%に達するという。
その高い「完治率」を維持するため、ここではある工夫をしている。院内を見渡すと、それぞれのお医者さんの前には、たくさんのネジやバネなどが入った箱がずらりと並んでいる。「どこのおもちゃ病院もやっていることだとは思いますが、日頃から小さな部品を集めておくことが大切なんです」と佐藤さん。
隣の机ではベテランのお医者さんが、小さなネジのたくさん入ったケースから何かを探している。「よく使われるのは4ミリ以下のネジですが、いまでは1ミリ単位で違いが分かるようになりました」と話す。どんな世界にもプロフェッショナルはいるものだ。
そういえば、年末に訪れた「おもちゃクリニック」では、3Dプリンターを個人で購入し、部品作りに利用している凄腕のお医者さんもいた。ボランティア活動ということもあり、規格外の部品は基本的に自分たちで手作りしなければならないのだ。
「使えなくなったおもちゃの部品やプラスチック製品などが宝物」と佐藤さんも言うように、先日は欠けてしまったウルトラマンのフィギュアの足先を、使い捨て用の歯ブラシの柄を削ったもので代用したそうだ。
おもちゃQキュー病院ならではの特色は、女性のお医者さんがいることだ。ぬいぐるみや人形などを、主に針と糸で直す「治療」を担当していて、現在3人が在籍している。
「故障したおしゃべり人形を持ち込まれる高齢の女性も意外に多いですね。私自身もネルルちゃん(コンピュータ内蔵の人形)を、ここで修理してもらいました。皆さん、子どものように大切にされていますから、お話しするのが楽しくて」。
そう話すのは、旧白石区のボランティア時代におもちゃ病院の立ち上げに参加したという川口クニ子さん(78)。
おもちゃは単なる遊び道具ではなく、友であり、家族でもあるのだ。
取材中、二人の女の子を連れたお母さんが、おもちゃを引き取りにやってきた。6歳のお姉ちゃんが大切にしていた子ども用ミシンが動かなくなり、修理をお願いしたのだという。
「直りましたよ。動かしてみましょうね」とお医者さんが声をかけると、お姉ちゃんはうれしそうにテーブルに身を乗り出した。電源をいれると、ミシンがカタカタと動きだした。
毛糸で縫えるミシンは、小学生低学年ぐらいまでの女児の間で人気だそう。「昨年の夏、お姉ちゃんの誕生日にせがまれて買ったんですけど、動かなくなってしまって。すぐに思い出したのがここでした。私も幼いころ、おもちゃを修理してもらったことがあるんです」。そう話す女性は、「親子二代でお世話になって」とほほ笑んだ。
この活動を長く続けてきた二人の院長が共通して語っていたのは、持ち込まれるおもちゃから社会の変化がみえてくるということ。
電話ひとつとっても、ダイヤル式の置き型から、いまではスマートフォン型が普通。ICチップが内蔵されているものも多く、技術の進歩とともにより安価で使い捨てを前提に作られたものが多くなってきたという。
おもちゃは子どもたちに夢を運ぶが、一方では大量に消費する現代社会を色濃く映し出す存在とも言えそうだ。
そうした風潮のなかで、おもちゃ病院は、世界でたったひとつのおもちゃを大切にする心にそっと寄り添ってくれる稀有な場所でもある。おもちゃ病院の先生たちは、今日も大忙しだ。
(文:井上美香 写真:吉村卓也)
※最寄りのおもちゃ病院は「日本おもちゃ病院協会」で検索できます。
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