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>HOME >特集一覧 >VOL.236「ムックリ、トンコリ」(2024年4月16日)
特集「ムックリ、トンコリ」の表紙の写真です

特集Vol.236
『ムックリ、トンコリ』

公開:2024年4月16日 ※記事の内容は取材当時のものです。
ムックリ制作者の鈴木紀美代さんの小刀さばきは素早い。 削り出したあとは、音を出して仕上がりを確かめる。

アイヌの楽器
ムックリ、トンコリ

きれいな音を出すには練習が必要

 びよよーん、と響く独特の音色。アイヌ民族の特徴的な楽器として真っ先に思い浮かぶのが、竹製の楽器「ムックリ」だ。弁の振動を口腔で響かせる「口琴」と言われる楽器だ。全長約15センチ、幅は太いところで約2センチ、途中から1センチほどに細くなる。真ん中に切れ目が入っていて、これが動いて弁となる。

 滑らかな表面側を口につけ、細い方を左にしてヒモを小指にかけてしっかり押さえる。右手人さし指と中指で持ち手をひっかけ、素早く引っ張る。運がよければ弁が振動して音が出る。コツをつかむには練習が必要だ。

 うまく音が出るようになったら口に当ててみよう。さっきの音が口の中で増幅され、ぐっと大きくなる。よく聞くおなじみの音だ。

祖父、父が作っていたムックリ

 ムックリの作り手が釧路にいると聞いて訪ねた。ムックリの製作工房を営む鈴木紀美代さんだ。道内の土産物店や、白老の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の売店で売っているムックリは、ほぼ鈴木さんの工房のものだ。手伝いの人を入れて5〜6人でムックリを作り、月に約3000本を出荷しているが、最近はなかなか注文に追いつかないこともあるという。この規模で作れるところは他になく、北海道でのムックリ作りを一手に担っているといっても過言ではない。

 鈴木さんは標茶町に生まれ、千島アイヌをルーツを持つ。父、秋辺福太郎さんや祖父が作っていたムックリに子どものころに触れた。父や祖父はアイヌの舞踏の名手とも言われていた。

 「昔、父や祖父が、マキリ(小刀)一本で竹を削って、何かを作っていたんですよね。そのころはただ自分たちで音を出して楽しむだけのためにやっていましたね。それが何とも不思議で、楽しそうで」と言う。

 ムックリの材料になる竹はモウソウ竹や真竹だ。北海道にこれらの竹はない。

 「昔は竹ぼうきの柄から竹を取って作っていたようですよ」と鈴木さん。

 ムックリがどのように広まっていったのかは定かでない。「ムックリ」「ムックル」「ムック」などと表記されることもある。樺太では「ムフクン」などと呼ばれるが素材は金属に変わる。口琴は世界各地に様々な種類がある楽器だ。金属製のものが多く、竹や木のものはアジアに多いという。

ムックリを作って55年の鈴木紀美代さん。北海道ムックリ演奏大会優勝のある弾き手でもある。
削られる前のムックリ。

ムックリを作って55年

 鈴木さんはムックリを作って55年になる。かつては介護の現場で働きながら、仕事が終わってから作っていたが、1988年に製作者として独立した。2019年12月には、「長年にわたりムックリの製作や演奏に関わりアイヌ文化の普及や発展に貢献した」として、文化庁長官表彰を受けた。

 世界から口琴の演奏者や製作者が集まる「国際口琴大会」も定期的に開かれている。2011年にロシアのサハで開かれた大会に参加した鈴木さんは、製作部門の最優秀賞を受賞した。ノルウェー、オランダ、ドイツの大会にも参加した。

 世界から集まる口琴の名手たちの演奏にも感銘を受けたが、「いろいろな国の人たちの前で表彰されて拍手をもらって、本当に涙が出るほどうれしかったです」とそのときを振り返る。

竹を油で揚げて乾燥させる

 竹は道外から仕入れたり、正月の門松の残りを入手したりしている。乾燥させた青竹をナタで割り、ムックリの形を書いてヒモを通す穴を空け、切り抜く。さらにしっかりと乾燥させるため、竹を油で揚げる手法は鈴木さんが編み出した。新聞紙で油抜きをし、荒削りをして紙やすりをかける。ヒモは、切れにくい物を探してたどり着いた漁業用の綿糸を函館から取り寄せている。最後に音の調整をして完成だ。

 マキリを扱う鈴木さんの動作は手早い。「これだけ長い間やってきて、刃物で手を切ったことは一度もないんですよ。先祖に守られてるのかなぁ、って感じますね」という。

 本当は昨年引退する予定だったが、他に作れる人がいないので困るという声に応えて、今も製作を続けている。だが、今度こそ本当に引退を考えているという。今は技術の伝承のため、阿寒や「ウポポイ」などで指導も行っている。

樺太アイヌの楽器、トンコリを演奏する楢木貴美子さん。トンコリは二宮規一さん作。着物は樺太アイヌだった母から譲り受けたものに、自分で刺繍を施した。

トンコリに魅せらhれて

 アイヌ民族を代表するもう1つの楽器はトンコリだろう。ギターを細長くしたような弦楽器で5本の弦が張られている。人間の形を模したものと言われており、縦に抱くようにして抱え、指で弦をはじく。すべて開放弦なので指押さえはなく、つまり音階は5つしかない。このコンビネーションで音楽を奏でる。

 トンコリはもともと樺太アイヌの楽器だ。そのトンコリに魅せられてしまった人がいる。長沼町に住む二宮規一さんだ。アイヌのルーツは持たない和人である。トンコリ製作を本業とし、「トンコリ工房inonno」を営む。この楽器との出会いは突然だった。

 約20年前、サラリーマンを辞めて家具を作る工房を営んでいた。そこにふらりとやってきたのが、トンコリ奏者でありミュージシャンのOKIさんだった。

 「こんな田舎で何やってるの?」

 OKIさんのそんな質問から、「家具作ってます」「へぇ、オレはミュージシャンなんだ」「どんな音楽やってるんですか」「聴いてみる?」という流れになった。

 夏の日のテラスでOKIさんが奏でるトンコリの音に初めて触れた。アイヌのことも、トンコリのことも、OKIさんのことも全く知らなかった。

 風にのって届くトンコリの音が体の内側にどんどん入ってきて、何ともいえずかっこよく、興奮のあまりその日と次の日の夜は眠れなかったのを強烈に覚えている。

 それからOKIさんは何度か訪ねてくれ、「木工やってるならトンコリ作ってみたら?」と言われたのが製作を始めるきっかけとなる。「アイヌの楽器」という遠慮もあり、「自分が作るわけにはいかない」とも思っていたが、作らずにはいられない気持ちになってきた。

遠慮しながら作っていたが

 OKIさんからもらったトンコリのCDのジャケットにあった写真を真似ながら、まずは作ってみた。伝統的なトンコリとはちょっと違った形にした。「当時の自分の遠慮の表れでした」と二宮さんは言う。

 ある日、阿寒に住むアイヌの木彫家として有名な故・藤戸竹喜氏に紹介された。彼の前で演奏する機会をもらい、自作の「遠慮型」のトンコリを弾いた。藤戸さんに気に入られ「いい音出ているから、自信を持ってやればいい」との言葉をもらった。

 「遠慮していたのは、まだ覚悟ができていなかったから。トンコリで生きていくという覚悟ができた今、もう遠慮するのはやめようと思った。とても大きな後押しをしてもらいました」と語る。

 素材となる木は、カツラ、エゾマツ、トドマツ、ホオ、イチイなど様々。くりぬいて、彫刻や装飾を施して仕上げる。楽器の中には「魂」として石やガラス玉を閉じ込めるのがトンコリの習いだ。アイヌ語も独学し、現在は自分で作ったアイヌ語の祝詞を読み、トンコリの音楽を全国の神社仏閣に奉納する旅も始めた。

 「トンコリを奏でていると、精神的に安定するというか、トランス状態のような気分になることもあります。彫刻も独学ですが、彫っていると勝手に手が動いていくような感覚になるんです」と二宮さん。

 最新のトンコリは168本目だ。全国から注文があり、手に入るには1年待ちの状態が続く。

トンコリ製作者の二宮規一さん。
頭の部分の彫刻も美しい

樺太アイヌのルーツを再認識

 そんな二宮さんのトンコリを愛用するのが、楢木貴美子さんだ。樺太アイヌをルーツに持つ。樺太アイヌの母は、樺太で和人と結婚した。戦争が終わって、夫の実家がある青森に引き揚げた後、北海道に渡った。50歳を超えるまで「アイヌのアの字も知らなかった。母も教えてくれなかった」という楢木さん。親戚に勧められてて、職業機動訓練を受けときにアイヌ文化に初めて触れた。しばらくそのままになっていたが、60歳を過ぎてから、今度は独学で自身のルーツについて勉強を始めた。トンコリが樺太アイヌの楽器だと知ったのもその頃。もちろん弾いたこともなかった。

 「自分のルーツの樺太の楽器。覚えたい、と思いました」と楢木さん。

 現在は、樺太アイヌの文化を伝えるために、刺繍、料理、食用植物採集などの講師も務める。

 樺太アイヌは自分たちのことを「エンチュウ」と呼ぶ。「エンチュウのことを少しでも知ってもらいたい」との思いから、求めがあれば体験を披露する。二宮さんと知り合い、自分のトンコリの製作は彼に頼んだ。

 ムックリもトンコリもシンプルな楽器だ。楽譜があるわけでもない。単純ながらも、ムックリの名手は息の強弱を使って多様な音色を作り出す。トンコリの5弦が奏でる音も単純だが、繰り返される柔らかい音を聞いていると、気持ちが落ち着いてくる。北海道に住んでいると、この二つの楽器に触れる機会も多い。ぜひ、出会ったらゆっくりと耳を傾けてみたい。
(文・写真:吉村卓也)

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投稿テーマ
『楽器』
何を隠そう、私は楽器が弾けません。ですから、楽器ができる人が本当に羨ましい!
どうして音符が読めるのだろう、何であんなに複雑な指の動きができるのだろう、といつも感心と憧れを持って眺めてしまいます。音楽は好きなんですけどね。
楽器や音楽についての思い出、どうぞお聞かせください!

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ピアノにすごく憧れがあって挑戦しようと思っては諦めてを繰り返しています。
弾けるようになったらすごく楽しいんだろうなぁ。(りょうさん)

音楽の才能に恵まれている小さい子をみると前世ってあるのではと思っちゃいます。(れいさん)

5〜10歳までエレクトーンを習っていました。
今では、弾くこともなくなりましたが、子供の頃スラスラ弾けたのは、脳が関係しているのかな?とも思います。(みるくさん)

中学入学までピアノを習っていました。

高校時代は吹奏楽部に入部しており、ユーフォニアムという楽器を担当していました。
始めはトランペットやサックスなどメジャーで目立つ楽器を希望したのですが、担当になったのは
吹奏楽でしか登場しない楽器でした。
同じ楽器の先輩もおらず、一人で練習する日々で初めは悲しかったですが
だんだんと楽器の魅力に気づき、とても好きな楽器となりました!
3年間の青春でした!!(はるちゃんちゃんさん)

私も楽器はできないほうですが、たまたまお店でオカリナを見つけて安易な気持ちで購入
縦笛に似て、指で押さえるだけと思い吹いてみましたが、思いのほか難しく、なかなかいい音が出ません
今では、棚に置物としてオカリナが置かれている状態(たみたみさん)

楽器で思い出すのがギターです。
姉がギターをかって練習していましたが、断念
そしてその次に私が練習しましたが、コードがうまくできず断念
今では実家の物置でギターが眠っています。(そらねこさん)

小さい頃にピアノを習っていました。
小学生の頃はみんなの前で卒業式や生活発表会の伴奏をしました。
みんなは歌ってるのに自分ひとりだけピアノを弾いているというのが楽しかったです。(ゆいたんさん)

中学の頃、好きな男の子に近ずきたくて、彼がギターが上手と情報をキャッチ。
放課後に残ってギターを弾いている所に、習いたいと伝え、猛練習をして、
文化祭の発表会に出演&彼をゲット。
好き!の力は凄いです(笑)(櫻子さん)

ピアノ、ギターとか、初めてみたものの、続きませんでした、以来、聞くのみですね。(Skyさん)

子供のころはピアニカが好きでよく演奏していました。
簡単な音楽しかできなかったけど、今となってはいい思い出です。
でもそれ以来、楽器に縁はないですね(みのりのあきさん)

中学までピアノやっていたのですが。。。
先生からセクハラを受けやめました。。。
赤い鳥などフォークの時代だったのでギターもいじりました。。。。が。。(ままさん)

四歳になった息子の鍵盤ハーモニカ
まだ上手く使えない中年中さんで使う鍵盤ハーモニカをまだかまだか新年度で使うを毎日楽しみにしています。(だいさん)

私は小学生の頃からピアノを習っていました!あまり上手ではなかったですが、家族の誕生日には妹とお家でコンサートをして家族の誕生日をお祝いしていました!たまに思い出すと懐かしく感じます。今は、3歳と0歳の子供がいるのですが、子供たちにもなにかピアノなど習わせたいなあと思っているところです!!(ゆかさん)

幼稚園の頃にピアノを習いました。
しかし、同い年くらいの男の子とケンカになり半年くらいでやめてしまいました。
ケンカの理由は全く覚えていません。
還暦を過ぎた今、人生に落とし前をつけるためにももう一度ゼロから習い直そうかと考えています。(MNBさん)

恩田陸さんの蜜蜂と遠雷という小説はピアノコンクールを題材にしたもので、ピアノの奏者も出てくるのですが、調律師がいい味を出しているのです。音楽に興味ない人も、面白い小説なので一度読んでみてほしいです。(めめめさん)

音楽は演奏者だけで成り立つものではないのですね(H)

幼児の頃から中学生まで長く続けていたピアノ。練習が大嫌いだけどピアノを弾くことは好きでした。
今は自宅にピアノはないので滅多に演奏する機会はありませんが、ピアノの曲を聞くとすごーく懐かしい気持ちになります♪(はぐつむさん)

自分も楽器が弾けません。友人がベースを操り、ジャズバンドを結成して楽しんでいるのがです。(としちゃんさん)

今はクラシック音楽に目覚めて、札響のコンサートに暇さえあれば通っています。
なんせ、中学生の時は音楽が2の成績なくらい、苦手な分野なのですが、オーケストラに魅了されてしまいました。
たくさんの楽器の、それぞれの音色を聴き分けたい!と思いながら聴いてます。
チェロの重低音ステキ!とか、ファゴットの音がようやく分かるようになってきた!とか、まだそんな所ですが、一生の趣味にできたらなぁーと思っています。(ひろろさん)

ビアノ習ったが進歩なし(まこっさんさん)

子どもの頃から自他ともに認める音痴で、歌も歌えない、楽器も弾けないので、音楽の時間が憂鬱のタネでした。(ゆひかさん)

20代の頃ギターを弾きたくて友達のお兄さんに借りて練習しましたが、全然弾けませんでした。(さもたんずさん)

ピアノ、オカリナ、フルートを
やっていましたが、30才から転勤の繰り返しですべて途中で辞めてしまいました。
69才になった今また心が揺らいでいる今日この頃です。(シンボリエンブレムさん)

学生の頃エレクトーンの先生を目指して試験を受けた事もありました。が、練習の日々と不合格に挫折し、楽器を何十年も放置。数年前にやっと分解して廃棄。かなり場所を取っていたので、寂しくもありスッキリしたのもあり…笑(ノエルさん)

何も隠しません。楽器はまったくできません。昔小沢昭一さんのハーモニカの演奏を聞き挑戦しましたが、三日坊主でした(ごろうさん)

中学入学と同時に友達に誘われブラスバンドに入部、クラリネットをあてがわれました。それなりに吹けていたのですが全く楽しくなくコンクールで入賞しても他の生徒は喜んだり悔しがったりしても私は全く感動せず担当教師は厳しいし商店に寄って帰宅が少し遅くなったらタバコ買ってるだろうと因縁つけられ一年でやめました。いろいろともったいなかったです。(みったんさん)

ピアノをやっていたけど、もう弾けないかも?(えりやまさん)

バイオリン
友達が50歳過ぎてから習い出して
新しい事を挑戦する姿勢が羨ましく感じています(サティさん)

幼稚園時代のカスタネットが懐かしい(キンキン江森さん)

エレクトーンを習ってたので、楽譜は読めましたが、あまりすきではなかった。
(もこもこさん)

私も楽器弾けないし、楽譜読めません。何故あれが理解できるのか謎です。小学生の時に、ハーモニカでけつまずきました。音楽聞くのは楽しいけれど、自分画演奏は罰ゲームですね。(kawaさん)

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