AFC アサヒファミリークラブ

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特集

『当別にはなぜ、「北欧の風」が吹くのか。』

 札幌の隣町、当別町の道の駅には「北欧の風」というサブタイトルがついている。町内には丘ひとつがまるごと北欧デザインの住宅地「スウェーデンヒルズ」があるし、姉妹都市はスウェーデンのレクサンド市という林業の町。とはいえ、なぜ道の駅まで北欧?とちょっぴり疑問を抱きつつ、まず当別町役場に行ってみた。

特集関連よみもの

スウェーデンヒルズから始まった北欧との繋がり

 当別町と北欧との関係は、日本とスウェーデンの協力により、日本にスウェーデン村を作る目的で、輸入住宅地・スウェーデンヒルズを同町に民間業者が開発したことに始まる。1983年に財団法人としてスウェーデン交流センターも設立されたのをきっかけに、その後当別町もスウェ...


ひとこと 2019年09月17日 あささん「札幌だけでなく地方の取材も行って頂いて、地元が載った時はとても嬉しいです!」
 →今回の特集は当別町です。今後も北海道各地の話題を取り上げていきますのでお楽しみに!

ひとこと 2019年09月17日 キャットさん「あとほんの少しだけ、文字を大きくして頂けたら見易いと思います。」
 →今月から一部文字の大きさを見直しました。少しずつですがより見やすくなるよう改良していきます!

ひとこと 2019年09月17日 賢吉さん「今月は映画の招待が多い。シネマプレビューはいつやるのか。」
 →お待たせしました!今回のシネマプレビューは『永遠の門 ゴッホの見た未来』です。皆様のご応募お待ちしております。

Vol.9 NEW

探偵はBARにいる(2011年)
監督:橋本一

Vol.8

コタンの口笛(1959年)
監督:成瀬巳喜男

Vol.17 NEW

カシオペアの丘で/重松清

北都市(北海道の架空の街)

Vol.16

あい─永遠に在り/高田郁

札幌市、陸別町


みずうみへ行こう

みずうみへ行こう VOL:9

ウトナイ湖

 苫小牧にあるウトナイ湖は、渡り鳥の聖地だ。

みずうみへ行こう VOL:8

摩周湖

必ず「霧の」という枕詞がつくほど、摩周湖と霧は関係が深いらしい。だが、この日はよく晴れていた。夏に訪れたときも快晴だった。


よみもの

スウェーデンヒルズから始まった北欧との繋がり

 当別町と北欧との関係は、日本とスウェーデンの協力により、日本にスウェーデン村を作る目的で、輸入住宅地・スウェーデンヒルズを同町に民間業者が開発したことに始まる。1983年に財団法人としてスウェーデン交流センターも設立されたのをきっかけに、その後当別町もスウェーデンのレクサンド市と姉妹提携を結ぶに至った。同財団はスウェーデンヒルズの中に事務所を持っている。8月まで1年間一般財団法人スウェーデン交流センターのスタッフとして勤務したソフィア・ヤンベリさんに話を聞いた。

天塩川流域、食のプロたちが集まる「アマムの会」

 今回の特集で取り上げたパンやバターができるまでに、大きな役割を果たしたのが「アマムの会」というグループの存在だ。これは、道北、天塩川流域の農家、食品製造者、料理人など、おいしものを作っている人たちが中心となって、地域の食文化の向上と発信を進めるための団体だ。

寿都町ってどんなまち?

 寿都町は積丹半島の西側に位置し、日本海に北に向けてぽっかりと口を開けたようなきれいな弓形の湾に沿って町がある。札幌から約150キロ。

下川の木材で、木のいのちも喜ぶものづくり。

札幌の木工クラフト工房 チエモク


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プレゼント

グランシェフランチビュッフェお食事券

映画鑑賞券「ターミネーター:ニュー・フェイト」

映画鑑賞券「影踏み」

この世を生き切る醍醐味

子規365日

秋の京都2019【ハンディ版】

紅葉ゴンドラ往復チケット

イオンシネマ共通招待券「僕のワンダフル・ジャーニー」

片岡鶴太郎展 顔 -faces-

トモエ「甘こうじ」

北海道ミルククッキー 札幌農学校

北欧のペーパーナプキンとカットクロス

秋の映画を募集中


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イベント・告知

高齢者向け住宅施設バス見学会

シネマプレビュー『永遠の門 ゴッホの見た未来』

創世まなびひろば



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昔、炭鉱があった。

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  • 中学校は、コークス、高校は石炭ストーブでした。

    rakichiさん

  • 母方の叔母が三笠市幾春別で探鉱にかかわるしgとをしていたと聞いています。従弟も何人かいてその中の何人。かは交流もありました。私の物心付いた頃の70年代には北海道の炭鉱も衰退の一途の時期でその映画の時期は知る由もなく、炭鉱はイコール事故の印象が強く残っています。学校を卒業して関わった企業が北炭観光の関連企業だったのですが、やはりその後転職することになりました。

    三毛猫のパパさん

  • 炭鉱に住んだことは無いが、家も学校も暖房は石炭ストーブであった。特に昭和40年入学の高校では生徒2名を当番にして、毎朝、バケツ1杯分を取りに行き二人で両側から持ち、それが限度であった。教室はなかなか暖かくならず、しばらく防寒コートを着たままであった。

    茶トラさん

  • 薪ストーブから石炭ストーブは機関車から電気機関車が室蘭本線を走った頃の様で、温かく豊かな生活を送った学童時代でした。 その後は石油ストーブや集中暖房の遍歴でした。 横の石炭箱には黒く輝いた石炭が出番を待っていました。 幾多の炭坑から黒い顔の炭鉱夫、苦労に感謝したものでした。

    ゆうさん

  • 炭鉱といえばやはり夕張ですかね?正直、平成生まれの道外出身からするとあまりイメージが沸かないですが昔は炭鉱のおかげで成り立ってる街も沢山あったんでしょうね。あとはモクモクと黒煙漂うSL機関車もイメージの中にはあります。

    亜梨さん

  • 親戚の叔父が昔炭鉱マンだったと聞いた。炭鉱事故にあったことがあったので生死をさまよったなどと聞いた事がある

    なぽちゃんさん

  • 私の母(78)は芦別出身なので炭鉱の話はよく聞いていました。今では想像もできないほどにぎわっていたとか。 実際私が子供のころ、祖母の家の風呂は石炭で沸かしており、物置には石炭を入れる大きな入れ物があったのを覚えています。 お風呂を沸かす臭いが懐かしく思い出されます。

    mikioさん

  • まさに冒頭の『私の石炭の思い出は小学校・・・・・・・』と同様です。 小学校といえば自分も60年も前のことですが、ストーブのそばの席の人は、顔が熱くて赤くなっている人もいました、火力が強く燃えだしたら止められないのです。 しかし、石炭で火事になったりは聞きませんでした、今ならとても危険といわれるでしょうね。

    ふーこさん

  • 小学校から高校卒業するまで教室には石炭ストーブが鎮座していました。座席がストーブの前の事も多く、動作も鈍かったのか石炭箱から石炭を掬う際の音がうるさいと教壇から怒鳴られた事もありましたが一番の憂鬱は休み時間に女子がストーブ前に陣取っては上から目線で「何やってんの!?」といつも茶々を入れられる事でした。

    熊五郎さん

  • 父が炭鉱に勤めていました。なので転勤が多かったです。夕張、札幌、三笠、赤平、歌志内と~。私は中学から私立の学校に通い中2で寄宿舎に。夏休みに帰省するとき転勤していて初めての所へということがありました。石炭ストーブが懐かしいです。あの暖かさは石油ストーブとは全然違うものです。

    hmwestさん

  • 石炭といえば、こたつです。田舎では、石炭こたつ使ってました。

    けいたさん

  •  石炭ストーブが、真っ赤になっても暖まらない、隙間から雪が入り込む断熱材の無い、古い木造の小学校を思い出します!

    ゆーみんさん

  • 近所の貧しい人が炭鉱で働きに行きました。給料は高いが危ないといっていました。

    rajaさん

  • 高校時代、数学の授業の席が石炭をくべる係の場所で、授業中に石炭を入れるのが恥ずかしくて、授業が始まる前に大量の石炭を入れたら、授業中ものすごく暑くなって先生が汗をかきながら授業をしていたのが思い出されます。

    豊青さん

  • 小学校のストーブの上に水をはったたらいを置いて、牛乳を温めて飲んだなあ

    うさぎさん

  • 私は道外の出身で小学校も中学校もスチームでした。なのでこちらに越して初めて「ストーブのまわりは熱くてぼーつとした」とかの思い出話を聞きました。

    ピーさん

  • 時は、昭和48年のこと。札幌の火葬場は、平岸にありました。今は地下鉄・平岸南駅となっていますが、当時は平岸霊園駅と言いました。この駅から300メートルほど離れた丘の上に火葬場があり、この火葬場で遺体を灰にするには、良質のブレンド石炭を使っているとのことでした。良い石炭を使用しないと遺体を綺麗に早く灰にできないからです。この話は、施設見学をした時に施設職員の方からお聞きしました。

    あおちゃんさん

  • 私の子供の頃はもう灯油のストーブでしたが祖母の家は石炭ストーブでした!火傷をしたら大変とストーブの近くには寄ることはなかったけどとても暖かく祖父が石炭を足す作業が目に焼き付いています! 古き良き時代です!

    サティさん

  • 父の実家が北海道三笠の唐松でした。私がまだ幼かった頃、自転車で転んで膝をすりむいてしまい、 その時の傷に炭鉱特有の真っ黒な砂というか石、炭が私の膝に残ったまま成長しまして 今でも炭が入ったままです。特に生活に支障はなく、膝を洗うたびに懐かしさでいっぱいになります。

    さちりんこんさん

  • 夕張の炭鉱博物館が今年、火災にあいましたが、その前に行ったときに、キラキラと光り輝く石炭を見て、石のダイヤ・・・と云われていたのが、よく判りました。

    まぶさん

  • 未来への輝く遺産として財産として残したいです。偉大な遺産や財産をもとに、新たな技術を生み出し更なる北海道の発展を期待しています。

    ミュラーさん

  • 私の石炭の思い出は小学校のときの教室のストーブです。晴れた昼休みに雪景色の校庭に出て駆けっこして転んで雪だらけのセーターをストーブの近くで乾かしました。火力が強いので下校までには乾いて着て帰った思い出があります。中学校からは、石油ストーブに替わりました。ちなみに小学・中学は上富良野です。

    ニペソツさん

  • 若い為炭鉱の記憶はありません。しかし、親世代から夕張が栄えており炭鉱全盛期の話を聞いたりしています。

    つほさん

  • 高校卒業まで三笠市の炭鉱町で育ててもらいました。住んでいた長屋は暖房はもちろん煮炊きも石炭ストーブでしたので、子供の頃のお手伝いは石炭運びでした。公道に配給された石炭を、蓋の無い大型ランドセルのような木製のしよいこを担いで、家の石炭箱に前屈みに頭の方から下ろすのですが、重いのと首筋に石炭くずが入りイヤな思いをしたものです。今は懐かしい思い出ですが。

    さぼちゃんさん

  • 高校の時、日直は早く登校して石炭を取りに行った思い出があります。ストーブの近くの棚にお弁当箱を置いて、温めて食べました。

    hosinoyumeさん

  • 筆者さんと同世代ですか。小学3年生頃まで教室には石炭ストーブがあり、日直係二人で石炭庫から教室まで、石炭を運んたものでした。 昼休みには、皆で丸い大きな石炭ストーブを囲み、お喋りしたり、給食のパンを焼いて食べたことを懐かしく思い出します。 また、幼少期我家の浴室は父の手作りで、石炭を焚べて風呂を沸かしてくれました。 私もデレキで掻き回したものでした(北海道の方言かな) あ〜懐かしい...

    猫子さん

  • 祖母の家には、昔メガネの形をした薪ストーブがありました。木造住宅で寒い冬を乗り越えるために必需品だったようです。

    のんさん

  • 炭鉱=石炭=木造の小学校 冬、教室は寒くストーブの付近の子だけは、真っ赤な顔をしていた・・・ 持参の弁当を温めた記憶もあるんだなぁ~ 昭和も遠くなけにけり!

    ふふさん

  • 今から28年位前のことですが。夫の転勤で釧路の白樺台に引っ越しました。息子の転校した小学校では、まだ石炭ストーブを使っていました。小学校2年生だった息子は、初めて見る石炭が、とても珍しかったらしく、素手で触ってしまい、真っ黒にしてしまいました。当時息子のお友達のお父さんや、おじいさんが、炭鉱で働いている人が、何人かいましたよ。

    うにあられさん

  • 北海道育ちではないのですが、長野の祖母の堀ごたつが石炭でした。とても温かかった覚えがあります。

    めぐちゃんさん