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VOL30:オクラホマが北海道に笑いで感謝を伝えます

結成25周年を迎えたオクラホマのお二人

Q.結成25周年を迎えたオクラホマのお二人ですが、改めて馴れ初めというかであった頃のエピソードなどお聞かせください。

藤尾:北海道大学でオクラホマミキサーというホークダンスをみんなで踊っていて、その時に河野に出会った。って、これ嘘なんですけど。

河野:藤尾君、時間もあるからね。皆さんに迷惑かかるからやめなさい。僕のほうからコンパクトに説明します。

北海道大学で僕が1年生で藤尾君が2年生だったんです。当時、僕が中古のママチャリを購入して学校に通っていたんです。僕はアフロヘアで身体も大きくて、そのママチャリが小さく見えたりで見た目の特徴が多かったんです。その姿を藤尾君が見ていて声をかけてきた。

藤尾:なんかおもちゃのクマさんが自転車に乗っているような感じがして、「なんだコイツ面白いなぁ」って。

河野:藤尾君は1年生の時に友達作りに失敗しておりまして、2年生になったこと機に、再スタートをしようとしていたんです。

1年生は新人歓迎コンパといって各サークルに顔を出すことで無料でご飯が食べられたりしたんです。それを僕はまわっていたんですけど、藤尾君は2年生なのに1年生と一緒に混じっていたんですよ。

河野:そこで偶然同じ野球サークルに入って、友達から始まってコンビを組むことになりました。

Q.初めて二人でテレビの仕事は、いつ頃でどのようなものだったのですが?

河野:僕が1年生の冬で、藤尾君が2年生の冬。HTBで「お宝テレビ」という番組をやっていたんです。友達がHTBでバイトしていたこともあって紹介してもらったんです。
内容は、「回転ずしの職人さんは、握るのが早い。貧乏学生は食べるのが早い。じゃあどっちが早いんだ」というもの。その企画が3人1組でというものだったので藤尾君と一緒に参加したのが始まりです。

その時に藤尾君がテレビでの自分の姿をみて、「一番輝いている」と思ったそうなんです。でも当時はど素人がうるさいだけだったので全然そんなことはなかったんですけど。

そのあと藤尾君が僕に手紙を送ってくれて、「俺らが生まれた関西にはバライデー番組が多かったけど、北海道には少ない。二人でバライデー番組に出よう。」と、藤尾君は当時バラエティ番組のことをバライデー番組だと思っていたんですね。

またその手紙が誤字脱字だらけで、「こいつやばいやつだ」と感じたので無視したんです。そしたら、車で家までやってきて旭山記念公園まで連れていかれて、カップルだらけの中、「河野。札幌にはこれだけ明かりのついた家がある。俺らで笑いの渦を巻き起こそうぜ。」と。

その時も「アタマおかしいな。」と思っていました。その時に「お、おう。。」と困惑気味の曖昧な返事に対して彼は「OK」だと捉えて「ありがとう!」と言ってきた。

それがコンビを組んだきっかけですね。

結成25周年を迎えたオクラホマのお二人

Q.お二人にとって下積み時代も長かったと思います。当時今の状況を想像できていたか。未来を見据えていたのかを含めて、今回の25周年特番はどんな番組になっているか聞かせて下さい。

藤尾:番組は、いま河野からあったエピソードを思い出しながら北海道大学からスタートするんですけど。色々な人に出迎えていただいて、手を振っていただいて、歓迎されて。本当に北海道の皆さんには感謝しかありません。でしたね…。えと、質問なんでしたっけ。

(笑)

河野:どのへんから質問を見失っていたのかわかりませんが、25周年特番を組んでもらえるまでは全然想像できていませんでした。結成当時は、ただネタを作って満足したり、ライブ出るのが楽しいくらいだったので未来は全く。

藤尾:当時周りには、同じように北海道でお笑いをやっている人があまり居なかった。所属した事務所にもお笑いをやる人間もなく、何を目指してよいかわからなかった。もう未来なんて考えられなかった。それから情報番組などに出させていただいて、少しずつ知ってもらえて。なんとか続けることができた…。と思うんです…。えと、質問なんでしたっけ。

(笑)

藤尾:ただ漠然と「自分たちの冠番組は持ちたいね」とはずっと言い続けていいたんですよ。

Q.番組収録を終えての感想を教えていただけますか?

河野:オクラホマでゴールデンって言われて、最初は「重い」、「そんなん視聴者の皆さん興味ないで」って思っていました。ゴールデン番組という重責に対して心配の気持ちが強かったのですが、ゲストにTOKIOの松岡昌宏さんが来てくれたことでうれし涙と安堵の涙が出たんです。

藤尾:本当に長くやらせてもらっているのも、スタッフの皆さんのおかげでもあるので感謝していますね。

Q.番組のこんなところを見て欲しいというのはありますか?

河野:もちろんTOKIOの松岡昌宏さんとの絡みもそうなんですけど、藤尾君が過去に記憶していた事と現実の違いの連続を見て欲しいです。感動の対面のはずなのに、そうはならないみたいな。あと、藤尾君がどんな人間か改めて見て欲しい。こんなのでよくやってこれたなと。なんか勇気が湧いてくる。

藤尾:びっくりするほど、僕企画にハマっていなかったです。

河野:スポット毎に、泣けるような場面に全然泣けないみたいな感じです。

藤尾:改めて、俺、だめだなぁーって。感想です。

(笑)

藤尾:ただオクラホマ2人の人間性が染み出ている番組になっていると思いますので、是非見ていただけると嬉しいです。

Q.お二人にとって北海道とはどんな場所ですか?

河野:子供の頃から北海道はテレビで見ていて好きでした。仕事は弁護士を目指していたので北海道大学の法学部に。藤尾君は水産関係の研究者になりたかった。そんな始まりで25年、北海道で過ごしてきました。もちろん25年も活動していれば停滞することもあり、レギュラー番組が一切なくなったこともあった。

また、出演の際も、僕たちに求められるポップな食レポグルメから、徐々に年長者になってきたこともありニュースに対するコメントなどが求められるようになっていったんです。一時期はお笑いを目指す人間として「これで良いのか」と悩みもありました。

40歳になり人生半分と考えたときに、ふと自分たちは今まで北海道に生かされてきたんだなと感じるようになって、考え方も変わってきたんです。これからは北海道に色々返していきたいなと。

言葉では交わしていないけど、二人ともそれを感じていて、藤尾君は北海道の『人』をテーマに北海道の魅力を映像で発信する活動も始めましたし、僕は北海道の林業を応援する活動をやらせてもらっている。

藤尾:河野が細かく話してくれたので僕からは、やりたいと思ったことやる。環境が変わればまた新しいやりたいが出てくる。これから新年度を迎えるを機に、みなさんも新しい1歩を踏み出してほしいと思います。

Q.お二人の今後の新しい活動や目標などがあればお願いします。

藤尾:昔お世話になっていたスタッフの方たちが、「また、ライブ見に行きたい!」と言ってくれているので、ライブを二人でもう一度やりたいと思っています。その他に関しては具体的には何もないのですが、北海道の皆さんと一緒にいればやりたいことは生まれてくる。その時には全力でやれるように、お世話になっている皆さんとの環境を大切にしたいと思っています。

河野:もしできるなら、今まで藤尾君が迷惑をかけてきた人たちに謝罪のバスツアーを企画したいです。

Q.最後に北海道の皆さんにメッセージをお願いします。

藤尾:関西出身の自分としては、「北海道出身」「道産子」というのがとても羨ましい。僕らがどんなに頑張ってもなれないものなので、皆さんのことが本当に羨ましいです。

河野:道外の仕事をしても共演者の方に北海道の話をすると、とても興味を持ってもらえる。本当に愛されている土地だと思います。改めて北海道に住めていることの幸せを感じています。そのことをかみしめながらこれからも二人で北海道のためにやれることをやりたいなと思っています。

オクラホマを旅する‼タイムトラベル路線バス

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