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この映画は僧侶であり国民的作家で、昨年亡くなった瀬戸内寂聴を描いた希有なドキュメンタリーだ。この作品を普通のドキュメンタリーと違いたらしめているのは、監督の中村裕(ゆう)と被写体である瀬戸内寂聴の不思議な関係だ。
中村も還暦を過ぎているとはいえ、瀬戸内との歳の差は37歳。作品から垣間見える2人の関係性が不思議な雰囲気を醸し出す。それは友人なのか、恋人なのか。
元々はテレビ番組の取材で、中村が瀬戸内を取材して番組を作ったのがきっかけだった。縁あってその後もう2本番組を撮るが、取材者と取材される側の関係は、取材終了とともに、だいたいこのあたりで終わるのが普通だ。
それが、その後17年間、中村は瀬戸内に密着することになる。出家してからは、法衣を着ている姿の瀬戸内寂聴が一般的だろうが、この映画の中で、瀬戸内はスウェットシャツとスウェットパンツ姿だったり、洋服を着たりしている。そして、京都の寂庵と呼んだ自宅で、しょっちゅう肉を焼いて食べ、酒を飲む。それを撮影しているのは中村であり、瀬戸内を「先生」と呼ぶ中村の声も、中村を「ゆうさん」と呼ぶ瀬戸内の声も入り込む。
周りに瀬戸内の面倒を見るスタッフがいることもあるが、スタッフを休ませる大晦日と正月は中村と2人で過ごすことも多かったという。「いっしょに年を越したことは7回くらいありました」と中村は言う。多くの場面で、撮影は中村が1人で、家庭用ビデオカメラで行っている。
ここまでくると、もう単なる取材者と取材対象という関係ではないだろう。
映像の中で、瀬戸内が中村を評して「この人は何も求めなかったからよかった」というようなことを言っていた。作品にしなければいけない、というプロの映像制作者としての「仕事感」が感じられない、ということとも取れる。だからこそ、瀬戸内は中村の前でここまで無防備に老いた姿をさらけ出したのではないか。
37歳年下の中村を叱咤激励する瀬戸内のせりふが面白い。「ちゃんと私のことを最後まで撮って、きちんとお金にしなきゃだめよ。全部しゃべるから」というようなことを言う。臨終の間際にも入れてあげるから撮れ、とまで言う。
「こんなことまで言ってたんだと、編集のために映像を見返してみてびっくりしました」と中村は言う。「撮った当初は忘れていた」というのが中村らしい。
「私が頼りないから、先生も放っておけない気持ちになったのかもしれません。でも誰に対してもそういうところがあった。人に対する思いはものすごく強い人でした」。
結局、臨終の場面は中村は撮影しなかった。「そこは撮るつもりはない」と最初から宣言していたという。なぜ?
「そういうシーン、インパクトのあるものになるのは間違いないと思いますけど、それをどう撮るかによって見る人の思いは変わってくる。相当難しい判断です。やはりそこは家族の場。撮ったらそれを一生背負わなければいけなくなる。プロとしては撮るべきなのかもしれないけど、世の中には撮ってはいけないものもあるのではないかと思いました」と中村は淡々と言う。
最後のシーンは、京都のホタルの名所、清滝だ。中村は何度か瀬戸内といっしょにこの地を訪れている。死の3カ月前、瀬戸内は朝日新聞に連載していた「寂聴 残された日々」の中でこのホタルのことを書いた。そこには中村とおぼしき男性のことも触れられている。
「送りだした客は、もう三十年もつづいている浅いような、深いような仲だが、年に何回か、ふっとした時に訪ねてくる」とあるのは中村のことだろう。
瀬戸内の「死」に対する思いはずいぶん揺れ動いた、と中村は言う。死んだら何もない、いや、やっぱりその先に何かあるんじゃないか。「ない」のか「ある」のか。中村はそれを、老いても衰えない強烈な好奇心の現れと見た。「死んだらあっちの世界からの様子を原稿にしてファックスで送りたい」とも言っていたという。瀬戸内の場合、その好奇心は死の恐怖に勝り、死が怖いという話はついぞ聞いたことがなかったと中村は振り返る。
長いつきあいの中で、瀬戸内からは数々の薫陶を受けたという。いちばん印象に残っているのはこれだ。「二つ道が分かれていたら、危ない方を選びなさい、という言葉ですね。僕がいつもおじけづいている人なので、特にそう言ったのかもしれませんが」と、中村は言う。
寂聴が瀬戸内晴美だった時代の男性遍歴やスキャンダルについての暴露はこの映画にはない。そこに興味がある向きには、ときおり発せられる瀬戸内の人生や恋愛哲学のような言葉から、真相を推し量るしかない。見えるのは、瀬戸内と中村という2人の不思議な関係性であり、このような生涯の「友」と人生の長い時間を共有できた2人を羨ましく思う。映画の中の瀬戸内は、月並みな表現であるがとにかく「可愛い」。ふらっと友人を訪ねるような感覚で、訪れる中村。中村の訪問を子どものように喜んでいる瀬戸内。映像プロダクションに籍を置く中村にとって、それは将来の作品化を前提とした取材であり、瀬戸内も、2人の間には必ずカメラが介在することは了解済みであったという。だが、中村のカメラには欲がない。気負いがない。
客観的に、冷徹に見つめるドキュメンタリーではない。そこには瀬戸内の中村に対する、中村の瀬戸内に対する愛があふれている。(敬称略)
評・吉村卓也
全国公開中 ©2022「瀬戸内寂聴99年生きて思うこと」製作委員会 配給:KADOKAWA 道内ではシアターキノ(札幌)、シネマ・トーラス(苫小牧)、シネマアイリス(函館)で上映。上映期間、時間等については各館に問合せを。
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