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北海道の羊の毛でできたマスコット、「ふわふわラムキン」。
すべて大家(おおいえ)典子さんの手から生まれる。工房はマンションの一室。丸い羊毛のかたまりに、ふわふわさせるためにさらに羊毛を足していく。毛の表面を覆っているキューティクルをからませて定着させるために、ニードルと呼ばれる長い針のついた道具でひたすら刺してからめていく。シャカシャカシャカという音だけが部屋に響く。染色された羊毛で耳をつけ、目を入れ、鼻と口を赤い糸で刺繍して、ラムキンが生まれる。ラムキンは英語で「lambkin」、小さな子羊を意味する。工房での作業はいつも大家さんひとりで行う。
夢見がちな少女だった。小学校4年生までサンタクロースを信じていた。
大家さんの実家はおもちゃ屋さんで、おもちゃに囲まれて育った。店では手芸用品も扱っていたので、毛糸やフェルトが身近にあり、よく触っていた。幼稚園の頃から編み物をしていた。小学校1年生のとき、かぎ針編みでつくったマスコットを転校生の女の子にあげた。それをすごくほめられ、喜んでもらえたのがとてもうれしかった。
専業主婦生活を経て法律事務所で弁護士の秘書として働いていたが、ものを作ることにはずっと興味があった。勤めをしながら、札幌市立高専(現在の札幌市立大学)の工芸科に科目等履修生として1年間通い、漆塗りを勉強する。「日本の伝統工芸を学んでみたかった」と、大家さんは言う。10回以上の塗りの工程を経てできあがる漆塗り。「初めて、ものができる仕組みや、ものができるまでには時間と手間がかかるということがわかった」と話す。
あるとき、シュタイナー教育の関係者が行ったフェルトづくりのワークショップに参加する。そこで触れた羊毛の手触りに、子供のころ、店の毛糸やフェルトをいじっていた指の感覚が一気によみがえり懐かしさがこみあげた。これがきっかけで羊毛での作品づくりが始まる。
北海道・恵庭の羊の毛が材料。丸くボール状になったもの(上)にニードルと呼ばれる針を刺しては抜き、キューティクルをからませてふわふわにしていく(下)。根気のいる作業だ。
道外の友達に、北海道のクラフトを贈りたくていろいろ探したがいいものが見つからず、自分で作った羊毛の羊のマスコットを送ってあげた。これが好評だったのがラムキンのスタートとなった。
法律事務所を辞めて独立。北海道の羊毛を手に入れるため、そして、実際の羊毛を取る作業を自分の目で見るため、美深の羊農家で自分で羊の毛を刈った。
今は恵庭市にある「えこりん村」で飼われている羊の毛を1年分まとめて買っている。刈った毛は1年分の汚れがついたまま袋に入って届く。ゴミを取り、ぬるま湯で粉石けんでつけ置き、手洗いする。しっかり乾かしたものが作品の材料となる。
初期型は顔が正面を向いていたが、今はちょっと上を向くようにしている。上目遣いでみあげられているような感じだ。棚に並んでいると「連れて帰って」と言われているような気になる。
ふわふわラムキン誕生から15年。これまで約5万頭が大家さんの手元から旅立って行った。
(文・写真:吉村卓也)
この大きなラムキンは、映画の小道具として人気だそう。
女性主人公の部屋のインテリアとして置かれることが多いそうだ。
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