本誌が手元に届く6月中旬頃、恵庭のまちは花があふれる季節を迎える。
表紙の写真は同市の花苗業者「サンガーデン」の温室の中。作業しているのは同社の専務取締役・山口展正さんだ。6月25日から恵庭市で開かれる「北海道ガーデンフェスタ2022」(以下「ガーデンフェスタ」)に向けて、花苗の出荷準備に追われていた。
このイベントは日本全国で毎年持ち回りで開かれる「全国都市緑化フェア」で、恵庭のような小さなまちが開催地になるのは珍しい。「花のまち」のイメージが定着しつつある恵庭ならではのことともいえるが、それは官民一体となってガーデニングの普及に取り組んだ結果ともいえる。市のホームページにも「ガーデンシティえにわ」のキャッチコピーがある。恵庭で花に関わる人たちを訪ねてみた。
まず、山口さんに話を聞いてみた。山口さんは恵庭市花苗生産組合の組合長でもある。この道のベテランだが、元々は畑違いだ。
北広島市出身。大学では電気工学を学び、卒業後はシステムエンジニアとなった。5年半働いたが、余りの忙しさに体も心も悲鳴を上げる。「これは人間的ではない。とにかく辞めよう、それから考えよう、と思いました」と山口さんは当時を振り返る。たまたま、結婚相手がサンガーデンの創業者である故・藤井哲夫さんの次女だった。自身も大学時代に花屋でアルバイトしていたこともあり、花の仕事を手伝うことに抵抗はなかった。1993年にこの世界に飛び込んだ。
サンガーデンは1964年創業。山口さんは義父から聞いた当時の話を思い出す。家は農家。「『農家の息子は農家を継ぐもの。花は遊び』『農家の仕事をきちんとこなした上でなら花をやってもいいぞ』と言われていたようです。それに対する反発もあったのかもしれませんね」と語る。
花と一口に言っても切り花用と土のついた花苗がある。恵庭市内の主な業者が扱うのは後者だ。
山口さんがこの仕事を始めて29年目になる。サンガーデンは約500種類、年間約300万株の花苗を扱う大手だ。一般販売も行っていて、ショップにはカフェも併設している。
90年代後半、ガーデニングブームだったときに約120軒が参加していた北海道鉢花生産組合も今は40軒となった。「今回のガーデンフェスタは『オール北海道』で臨みたい。道内各地に声をかけています」という山口さん。
「僕らはあくまで裏方。ガーデナーの人たちが喜んでくれるような花を提供していきたいですね」。
恵庭の住宅街には、ガーデニングに力を入れている家が多いと聞いた。そんな個人ガーデンの一つ、池永允子(ちかこ)さんを訪ねた。
「山口さんのことは彼が学生のころから知ってますよ」という池永さん。自身はかつて花屋の経営者で、山口さんが北広島市の花屋でアルバイトをしていたころ、池永さんの花屋によく配達に来ていたのだそうだ。
熊本県出身の池永さんは、夫の転勤で1980年に恵庭に移り住んだ。池永さんの人生も花に導かれた縁と言えるかもしれない。花屋には最初はアルバイトのつもりで入ったのだが、その後一念発起、前経営者から店を引継ぎ経営者となる。ここで得た花の知識が後々役に立つことになるから人生はわからない。昨年まで24年間、同市にある「花いっぱい文化協会」の会員となり、その後会長を務めて、自らガーデニングを実践した。
同協会は1961年に秋田県雄物川町(現:横手市)出身の有志が設立した団体だ。当時の恵庭は米づくりを中心とした農業地帯で、春には土ぼこりが舞う「荒れ野」のような風景だったようだ。第二の故郷をなんとか美しい環境にしたい、との思いから花の苗を町内の花壇に寄付したり、協会直営の花畑を作ったりして運動を進め、気がつけば地域全体の運動になっていた、と市の資料にある。
1991年にニュージーランドのクライストチャーチ市を市民が自主的に視察したことも大きな転機となったという報告会を約200回開き、市民にスライドをたくさん見せた。池永さんもそこで見た現地の写真が忘れられない。
「自分だけが楽しむのではなく、見る人も楽しい庭。それが街全体の美しい雰囲気を作り出していることに大いに刺激を受けました」と語る。
池永さんの家の庭もオープンガーデンとなっている。「OPEN」という看板が出ているときは誰もが入って庭を見ることができる。これは、かつて行っていた「恵み野フラワーガーデニング・コンテスト」に原点がある。
「家の前に花の咲いたコンテナ一つでもあれば、勝手に写真を撮って、勝手に審査して『あなたの庭はきれいです』と勝手に表彰する。そんなこともやりましたねぇ」と当時の熱気を振り返る。
2019年までは住宅街にあるきれいなガーデニングを紹介するマップも作った。恵庭オープンガーデンには20年の歴史もあり、道外からも多くの人が訪れるほどだったが、現在はコロナの影響で少し足踏み状態だ。
花など全く興味がなかった夫は、今では「うるさいほど介入してくるようになった」そうだ。「花の趣味が違うんでちょっと困るんですけどね」と笑う。退職後に故郷の熊本に帰る計画はいつのまにか立ち消えとなった。
ガーデンフェスタのメイン会場となる「はなふる」という施設を訪ねてみた。恵庭の道と川の駅の裏手にある同市の花の拠点だ。ガーデナーの森由佳さんが忙しそうに動き回っている。森さんは「はなふる」ガーデン部門の管理委託を請負う恵庭まちづくり協同組合に所属する植物管理担当者だ。
森さんは北海道に来て7年目。鳥取県米子市出身。東京で大学卒業後、13年ほど会社員をしていた。
「ふと、晴耕雨読の生活がしたいなぁって、東京を卒業しようと思い立って」と、自身の転機を振り返る。自然に触れられる仕事がしたいと思い、約5年間イギリスにガーデニングを学びに留学。そして、同じガーデナーの知人に紹介された道内のナーセリー(花苗会社)に職を得る。
恵庭に来たのは約2年前だ。専門職としてガーデンに特化した仕事をしている。現在は、「はなふる」にある、北海道で活躍するデザイナーたちが設計したそれぞれのテーマを持つ7つのガーデンの管理が主な仕事だ。デザイナーが意図するガーデンの姿を読み解き、この土地でどのように植物が育ちたがっているかを観察し、今後の方針をデザイナーと都度相談していく。このガーデンはガーデンフェスタに関係なく、いつでも見る事ができる。
「恵庭市民みんなのお庭です。まだ赤ちゃんのはなふるをみんなで見守って育てていけたらと思っています」
学んでいたイギリスではガーデナーが社会的に認められた職業となっているのを羨ましく思った。ここで植物の手入れをしていると、時々「毎日お花に囲まれて、いい仕事ですね」と声をかけてもらえることがある。ガーデナーという職業が知られていなくても、そう思ってもらえるだけで充分だと思えるようになった。
すっかり北海道の暮らしが気に入った。「飽きるまでいると思います」という。いつかは自分のコンセプトで庭を作ってみたいと思っている。
「キラキラしたものよりは、しっとりした雰囲気が好きなんです。緑が好きなので、シダや苔が生えていて、繁みの中に入っていくような、森の中のような感じがいいですね」という。「まだまだ先のことですけどね」。
恵庭が「花のまち」として認知されるまで、多くの人が関わっていた。そのすべてに触れる余裕は本記事にはない。自分の住む地域をどうしていくのか、何をしたら楽しいのか、そんなことを真剣に考えている人たちが多くいるところに、人は自然と引きつけられ、人材が集まるのかもしれない。花の見頃がピークを迎える7月に、また恵庭を訪れてみようと思った。
(文・写真:吉村卓也)
6月25日(土)〜7月24日(日) 会場:恵庭市花の拠点「はなふる」周辺他 会期中、北海道を代表するガーデナーや恵庭市民の参加による花壇や庭園、ハンギングバスケット等のコンテストが開催される。会場は道と川の駅「花ロードえにわ」に隣接。 問合せ:tel. 0123-29-5987 (期間中のみ 9:30~17:30)
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
18ページ中1ページ目
18ページ中1ページ目(528コメント中の30コメント)