最近は普通の病院でも漢方薬を処方されることが多くなってきた。番号が書いてあって、その上に難読漢字が並んでいる、あれだ。「葛根湯(かっこんとう)」はポピュラーだが、「桂枝加朮附湯(けいしかじゅつぶとう)」、「柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)」あたりになってくると絶対に読めないし、覚えることも無理そうだ。医療用漢方製剤で国内最大のシェアを占めるのが「株式会社ツムラ」だ。世代によっては「バスクリンの津村順天堂」になじみがあるかもしれないが、今は漢方薬に特化した製薬メーカーになっている。
漢方薬の原料となる薬草は「生薬(しょうやく)」と呼ばれる。ツムラが国産生薬の供給地として拠点を構えたのが北海道だ。2009年(2010年竣工)に「夕張ツムラ」として夕張市に進出、大規模な倉庫および加工施設を建設した。9月下旬、夕張ツムラを訪ねた。 対応してくれたのは経営管理部長の一木宏之さんと人事総務課長の玉井光男さん。二人とも薬学、医薬学博士だ。
玉井さんの案内で工場を見て回る。これから本格的な収穫の時期を迎える前で工場は静かだったが、大型の裁断機やいくつもの温風乾燥機がずらりと並び、稼働を待っていた。作業エリアに入ると漢方薬局のような独特の匂いが漂ってきた。
「冷蔵庫の中に出荷する生薬が保管してあるんですよ」と玉井さん。冷蔵庫と言っても体育館並みの広さがある。温湿度が一定に制御され、スイッチ一つで大きな扉が開く。中に入った瞬間、独特の匂いは一段と強くなり、これぞ漢方と実感する。
実は日本で作られる漢方薬の原料は約8割以上を中国からの輸入に頼っている。原料の値上がりや、漢方薬が使われる頻度が上がってきていること、国内でも生産地を確保しておくことの重要性から、国内での生薬生産が重要視されるようになってきたという。
「漢方の需要の高まりや、気候変動や天災のリスクも考慮し、中国だけではなく日本でも可能な限り原料確保ができる体制が必要になってきました」と一木さんが説明してくれる。2011年に日漢協(日本漢方生薬製剤協会)の行ったアンケートでは、回答した医師の9割近くが漢方薬を処方したことがあると答えている。
生薬原料の薬草は全国で栽培されているが、実は栽培量、面積とも北海道が圧倒的に多い。大規模機械化農業が可能で、冷涼な気候に適した薬用作物を導入、定着したことがその理由だ。農家は薬草を専業で栽培するのではなく、輪作の中の1つの作物としていることが多い。取引市場もないので一般の目に触れることはほとんどないが、北海道は生薬の一大産地だった。
ツムラが夕張に拠点を構えたのはもう一つ理由があった。五代目社長だった芳井順一氏は炭鉱町だった福岡県飯塚市の出身。夕張市の財政破綻を見て、同じ炭鉱町に育った芳井氏が、黙って見過ごせないと進出を決意したという。夕張ツムラに北海道中から生薬が集まるのはそんな不思議な縁もあった。
道内には薬草研究の国の拠点がある。名寄市にあり、正式名称を「国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所 薬用植物資源研究センター 北海道研究部」という(以下「研究部」)。1964年に寒冷地に適した薬用植物の栽培技術の研究や品種開発をするために作られた組織で、歴史は古い。
研究リーダーの林茂樹さんに話を聞いた。林さんも生物産業学の博士号を持つ。研究棟の横に、実験圃場が広がる。研究部では生薬を採るためというより、品種の開発や栽培研究のためにさまざまな薬草を育てている。ちょうど株分けのためのシャクヤク(芍薬)の収穫を迎えるところだった。「立てばシャクヤク、座ればボタン」のあのシャクヤクだ。生薬となるのは根の部分。漢方薬の約3割に使われているほど用途が広い。地上部分はすっかり刈り取られていて花はない。コンバインが畑をひっかき、土の中からごろんとした株を引き上げ、機械に吸い込み、ベルトコンベアーで次々に吐き出していく。
掘り出されたばかりのどろだらけの株は、とてもこれが薬になるとは思えないほどありふれた根っこに見える。改めて、これに薬効を見出した中国の歴史の奥深さを感じる。
生薬については、厚生労働省が公示する日本の医薬品の規格基準書の「日本薬局方(にほんやっきょくほう)」にその基準が厳しく定められている。シャクヤクはその有効成分である「ペオニフロリン2.0%以上を含む」と明記されていて、この基準に満たないものは製薬メーカーが買い取ってくれない。ここが普通の野菜とは大きく違うところだ。
「それぞれの生薬に数値の基準があるので、薬草農家はたいへんです。きちんと規格を満たした上で、農家さんが育てやすく、病害虫にも強い品種を開発するのが私たちの仕事のひとつです」と林さんは言う。研究部ではこれまでにハトムギ、シャクヤク、カンゾウ、シソなど6つの新品種を開発している。
数値基準を少しでも満たさないと全く商品にならない農作物が生薬だ。ほとんどの農家はそのリスクもあって専業で行わない中、豊浦町で薬草農家を営む木村佳晶(よしあき)さんは生薬の栽培を主軸にしているという点で、少数派だ。
札幌出身で大学を卒業して勤めたのが海運会社。会社の新規事業でオリーブ栽培を担当したのが農業に最初に触れたきっかけだった。その後広島県で約5年間オリーブ栽培に関わり、オリーブや農業の魅力に開眼した。オリーブオイルソムリエの資格も持つ。生まれ故郷の北海道で農業をやろうと、跡継ぎのいなかった薬草農家に弟子入りし、研修を経て2017年、薬草にほぼ特化した農業を始めた。センキュウ、トウキ、ダイオウ、マオウ、シャクヤクなど十数種類を育てている。
木村さんが脱サラして故郷の北海道に戻って農業をやろうと決心したのは30歳のとき。生まれが農家でもなく、経験も少ない自分にとって、将来性があり競争相手が少なそうな分野として選んだのが薬草だった。当時調剤薬局の事務職をしていた妻が、業界紙にたまたま載っていた薬草農家のことを教えてくれたのがきっかけになった。
「農家といえば食べ物を作るイメージですが、私が畑で育てているのは命を預かる『薬』です。そう思うといつも背筋が伸びます」と木村さん。事務所にあった本棚には農業や薬草関係の本に混じり、古代ローマのプリニウスの「博物誌」、ディオスコリデスの「薬物誌」、古代ギリシャのテオプラストスの「植物誌」といった古典もあった。「何千年も前から薬草を研究し、栽培する人々がいたから現代人もその恩恵にあずかることができます。先人の観察眼や探求心の結晶である古典は、今読んでも面白い。私も薬草農家として脈々と続く人と薬草の歴史の流れの中にいると思うと、誇らしいです」。
北海道で薬草を考えるとき、欠かせないのがアイヌ民族の自然の知恵だ。体の調子が悪いとき、あるいはクマを倒す矢毒の原料としても、植物を利用してきた。
楢木貴美子さんは樺太アイヌをルーツに持ち、アイヌ民族文化財団の「アイヌ文化活動アドバイザー」として、アイヌ文化を広く伝える活動をしている。楢木さんのフィールドツアーに参加すると、アイヌの人たちが多くの身近な山野草を薬草代わりにしていたことを知り、その知見に驚く。
「風邪をひいたらヨモギを蒸してその蒸気を浴びるといいと言われました。トレップ(オオウバユリ)の球根はつぶしてデンプンにして、貴重な一番粉はお腹の悪いときに親によく飲まされました。エゾノギシギシは水虫の薬にもなりますよ。セタエント(ナギナタコウジュ)やヒトリシズカは乾燥して薬草茶のように飲んでました」と、説明を聞くたびに発見がある。名寄の研究部の圃場にもアイヌ民族の有用植物園があり、一般にも開放されている。
植物を主な原料とする漢方薬については、西洋薬と違って薬効について「エビデンス(証左)がない」ということがずっと、あるいは今でも言われていることだ。だが、昨今の研究によって、エビデンスが蓄積されるようになってきた。夕張ツムラの一木さんは「漢方が西洋医学の土俵に乗ってきたとも言えますね」と言う。生薬に含まれる有効成分は多くが化学合成することができる。だったら漢方なんていらないのでは、との質問に、同社の玉井さんは「その成分だけを投与しても効かないけど、漢方だと効く事があるんです」と答える。名寄の研究部の林さんも「成分を単離(たんり)したものと生薬は何か違うんです。その辺りはあまりにも複雑なので、わからないことも多くあります」と言う。
もう一度、日漢協の医師アンケートを引く。質問の中に「なぜ漢方薬を処方したのか?」というのがあった。一番多かった答えが「西洋薬治療で効果がなかった症例で漢方薬治療により効果が認められた」、なのである。
きっと何かがあるのだろう。その「何か」の解明は日々研究者たちによって行われているが、何千年もの歴史の中で「こういうときにこれを飲むと効く」という人類の経験の積み重ねは侮り難いものがあると思う。
薬草農家の木村さんは、「最近はなんでも短時間ですっきりと答えを求めたがる風潮がありますが、世の中はそんなに単純ではない気がします。薬草を作り始めてからますますそう思うようになりました」という。
単純化しない、複雑なものをそのまま受け入れる。漢方薬にはそんなことを教えてくれる効果もあるのかもしれない。
(文・写真:吉村卓也)
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