このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。
>HOME >特集一覧 >VOL.223「丘珠空港、再発見」(2023年3月20日)
特集「丘珠空港、再発見」の表紙の写真です

特集Vol.223
『丘珠空港、再発見』

公開:2023年3月20日 ※記事の内容は取材当時のものです。

ジェットも飛びます

FDAのエンブラエルとHACのATR
FDAのエンブラエルとHACのATR。右上に見えるのはモエレ山

 札幌圏の空港といえば新千歳空港が思い浮かぶが、もう一つの空港が「丘珠(おかだま)」だ。正式名を「札幌飛行場」という。年間の旅客数約27万人(2019年)、札幌市営地下鉄東豊線栄町駅から約1.5キロの距離にあり、札幌都心にも近い。道民にはプロペラ機の空港としてなじみが深いかもしれないが、2016年からは積雪期を除き定期便でFDA(フジドリームエアラインズ)がジェット機を運航している。新千歳という大空港に隠れて目立たない存在ではある。そんな丘珠空港を訪ねてみた。

HACの拠点空港として

 丘珠空港を拠点とするのがHAC(北海道エアシステム)だ。会社は紆余曲折を経て、現在は日本航空グループとなり、尾翼にはJALの鶴のマークが描かれている。HACは丘珠空港内に本社を持ち、丘珠と函館、釧路、女満別、奥尻、利尻、青森県の三沢を結ぶ。飛行機はATR42-600型機という客席48のプロペラ機3機を保有する。10月下旬には1機増やす予定で、それに合わせて道内便の増便が予定されている。

 丘珠空港の朝は7時35分発、HACの函館行きから始まる。朝6時半に空港のビルが開き、45分にはカウンターがオープンする。夜間、格納庫に入っていた飛行機はこの時間までにはもう外に出されている。お客さんも徐々に集まり始めるが、朝5時頃からHACの本社に詰めているのはディスパッチャーと呼ばれるパイロットに航路上の天候や運航状況を伝える人たち。同社のオペレーションコントロール部のマネージャー、伊藤幸一さんは運航統制担当としてディスパッチャーと連携しながら飛行機の運航全般を見渡す。取材に訪れた日は2月の積雪が多い日。何台もあるモニターを見ながら天候調査に余念がなかった。雪雲の動きを見ながら、出発便はもちろん、到着便が空港付近にやって来る時間の天候を先読みする。

 「データを見ながらよりよい航路をパイロットと相談しながら見極めます。12月から2月の厳冬期は特に神経を使いますね」という。

航路上の天候などを調査し、パイロットと共に最適の航路を見つけるのがディスパッチャーの仕事。
航路上の天候などを調査し、パイロットと共に最適の航路を見つけるのがディスパッチャーの仕事。
数多くのモニターを見ながら、気象を読んでいく。
数多くのモニターを見ながら、気象を読んでいく。

飛行機との距離が近い

 空港ターミナルの目の前には駐車場があり、階段を使わずにターミナルビルに車から歩いて行ける。1階にはチェックインカウンターと手荷物預かりの受付がある。搭乗口は2階だ。朝の時間帯はビジネスでの利用が多く、函館や釧路便は満席になることも多いという。

 乗客はセキュリティーゲートをくぐった後はもう一度1階に降り、ボーディングブリッジはないので地面を歩いて飛行機に乗り込む。ATR機なら、下に開いた扉の裏が階段になっている。FDAのジェット機の場合は、タラップ車が横付けされる。乗客が歩く地面には、北海道らしくクマの足跡がペイントされている。冬期はロードヒーティングされていて通路に雪はない。ターミナルから見ていたATR機も、近くで見ると大きく見える。釧路から到着し、またすぐに折り返す便の駐機中に機内を見せてもらった。

乗客は飛行機のすぐそばを歩いて飛行機に乗り込む。通路にはクマの足跡マークが。
乗客は飛行機のすぐそばを歩いて飛行機に乗り込む。通路にはクマの足跡マークが。

 ATR機に乗務するCA(客室乗務員)は1人。今日4便目の搭乗を終えて、機内清掃をしていたのは22年春に入社したCAの品川世凪(せな)さんだ。ポータブル掃除機を片手にシートポケットに入れる資料にもれがないか、次々とチェックしていく。空港にスタンバイ中のCAも手伝いに来て、手分けして窓拭きも行う。品川さんは佐賀県出身。CAになりたくてHACの募集に応募した。

 「チームワークのイメージとは違いましたが、全部任せられているのを感じます」と語る。この日は朝丘珠に出社し、函館便を1往復、釧路便を1往復飛んだ。地方では飛行機から降りないので、たまにステイのある函館以外はまだ道内都市を体験できていない。雪の多さには驚いたが、晴れた日の空からの景色は格別だという。「プロペラ機で高度が低いのでジェット機とは違った風景が見えます。窓から写真を撮るお客様も多いですね」という。

CAの品川世凪さん
HACが使う飛行機、ATRは48席。搭乗するCAは1人。機内清掃、出発準備も行う。折り返しの駐機中に機内清掃を行うCAの品川世凪さん。

2階ロビーの飛行機模型

 ターミナルビルの2階には、こじんまりとした売店「スカイショップおかだま」と、レストラン「丘珠キッチン」がある。どちらも朝7時から最終便出発30分前まで営業している。空港の付近は札幌の特産タマネギ「札幌黄」の産地でもある。メニューには札幌黄を使ったカレーや、麺に札幌黄を練り込んだ「丘珠拉麺」もある。滑走路側のカウンター席は飛行機を見ながら食事ができる。特に一人旅のお客さんには人気席のようだった。

 2階ロビーで目を引くのが、2ヶ所に展示されている飛行機の模型だ。かつて運航していたものから現役に到るまで、旅客機21機とヘリコプター1機の模型が展示されている。乗り込むお客さんや地上スタッフもジオラマで再現されている。これらの模型を製作したのはHACの機長、小林啓良(けいすけ)さんだ。2020年から空港で展示されている。

 小林さんは大阪出身でパイロットとしてJAC(日本エアコミューター)でスタート、HACには2018年に入った。プラモデル作りは小学生の頃にやっていたが大人になってからは離れていた。たまたま少し仕事で時間ができたのを機に、買いためていたプラモデルを作るようになったのは30歳を過ぎてから。元々パイロットに強く憧れこの業界に入った小林さん。飛行機の模型は作ったことが無く、ネットで検索したら名人が札幌にいることがわかり直接連絡して指導を受けたりもした。展示されているのはプラモデルに独自のシールや着色を施したもの。パーツを海外から取り寄せたり、塗装色の調合も行う。空港付近の航空ファンの人たちも制作を手伝ってくれるようになった。「小さい空港ならではのアットホームなコミュニティーがあって楽しいですね」と小林さん。まだまだコレクションは増えそうだ。

飛行機の模型
空港の2階ロビーに飾られている飛行機の模型。HACの小林機長の趣味で作ったもの。地元の航空ファンや模型愛好家も 製作や展示に協力している。
HACの小林機長
HACの小林機長

2016年 ジェットの定期就航が実現

 雪が解け、春の気配が本格的に感じられる頃、ジェット機の運航が始まる。今年は3月26日の運航開始からFDAが静岡の「富士山静岡空港」と長野の「信州まつもと空港」、さらに今年から「県営名古屋空港(小牧)」が加わり計3路線となった。

 FDAは2008年に設立された静岡市に拠点を置く独立系の航空会社で、丘珠便は2016年から定期運航を開始した。使っているのはブラジル製のエンブラエル170/175という小型ジェット機で、世界的に人気が高い機体だ。同社はこれを16機保有し、その全てが色違いのカラフルな機体だ。今日はどんな色の飛行機が来るのだろうという楽しみもある。同社はJリーグの清水エスパルスの株主でもある静岡の企業グループ「鈴与」が設立した航空会社だ。同社営業部の緑川恵介さんによれば、FDAはいわゆるLCC(格安航空会社)ではない。「幹線ではつながず、地方と地方を結ぶことをコンセプトにしています」という。夏期は特に静岡、松本からの観光のお客さんが多い。「札幌市中心部に近いという丘珠のポテンシャルに期待しています」と話す。

滑走路延伸の計画も

 丘珠空港の滑走路は1500メートル。道内の空港の中では奥尻と並んで短い。新千歳、函館の3000メートルの半分だ。冬にジェット機が就航できないのはこのためだ。

 2022年12月、2023年2月、札幌市と道は空港管理者である防衛省と国土交通省に1800メートルへの滑走路の延伸の要望を出している。ジェット化への模索は90年代初頭からあったが、当初計画した2000メートルへの延伸は近隣の騒音問題等から断念。その後の検討を経て、小型ジェット旅客機が通年で運航できる1800メートルへの延伸を要望するに到った。札幌市まちづくり政策局空港活用推進室は「地域の理解を得ながら、要望の実現に向けて進んでいきたい」と話す。

 コロナで国内の空港が約7割の旅客数減に見舞われる中、丘珠空港は約4割減にとどまった。丘珠空港ターミナルビルを管理する札幌丘珠空港ビル株式会社によれば、道民の「生活路線」として使われている空港の特徴が見えてくるという。同社の菅原直樹総務部長は、道内路線はビジネス需要に加えて通院などの生活ニーズが多い、という。特に離島の利尻便は飛行機が欠かせない交通手段でもあり、「利尻の隣町は札幌、なんて言われることもあります」と語る。この日は道内全域が雪模様で、パイロットたちが繰り返しディスパッチャーの席を訪れていた。

丘珠からの就航路線と所要時間
丘珠からの就航路線と所要時間

丘珠のこれから

 1942年に旧陸軍が飛行場を設置したことに始まる丘珠空港は、2022年に80周年を迎えた。その後、民間航空機も利用する共用空港として運用され、1992年現空港ターミナルビル開業後のピーク時には年間38万人の利用があったが、2010年に全日空グループが撤退し利用者が激減。2011年には北海道の経済人有志らで作る「丘珠研究会」ができ、空港のさらなる活用について議論が交わされている。同研究会は短い滑走路でも成功している海外の空港の例などを挙げながら、丘珠空港の未来について活発な提言を行っている。現在、コロナ禍期の利用者減を除けば、旅客数は延びている。「空港ビルのお客さんは航空会社」だと言われる。新千歳の一極集中もある中、第2の空港「丘珠」をどう使っていくのか、選ばれる空港になっていくのかが問われているのだろう。

 午後8時、最終便のHACの2726便が女満別から到着する。フライト時間は55分。道東エリアが札幌からの日帰り圏になるのは飛行機ならではだ。到着便に合わせて、冬季は地下鉄栄町駅まで、それ以外は札幌駅南口まで必ず連絡バスがある。すべてのお客さんが空港を後にする。一日の仕事を終えた飛行機も格納庫にしまわれる。午後8時半、丘珠空港の一日が終わる。

特集関連記事『パイロットが語る地方路線の魅力』

末岡幸明(こうめい)さん
 JAL、J-AIR、FDA 元機長

 大学生のときに、JAL(日本航空)が自社養成でパイロットを募集することを新聞で知り、へぇこういうのもあるんだ、と思い応募したのがきっかけです。試験は6次まであったのですが、最初は3次試験で不合格になりました。そしたらがぜんパイロットになりたくなり、2度目の挑戦で1974年にJALに採用となりました。小樽生まれで.........  続きはこちら

パイロットが語る地方路線の魅力

全文を読むにはログインしてください。

メールアドレス
パスワード
自動ログイン

ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ
『ああ、空港。』
旅立ちの場所、帰り着く場所、別れの場所、再会の場所、見送り、見送られ……。かつては海の港にあった風景が、今は空の港「空港」に取って変わられました。特に北海道に住む者にとって、空港は身近な場所。空港に行くだけでなんとなくワクワクするのは、そこが多くの新しい世界とつながっているからでしょうか。
きっと数々のドラマがあることでしょう。人生の中で、空港にまつわる思い出、きっとあると思います。楽しい出会いも、辛い別れも、期待も不安も。どうぞお聞かせください。

14ページ中1ページ目

コロナ渦中に行った、那覇空港。お店もほとんど閉まってガランとしてた。国際線は電気すら消えてて、あり得ない姿を見ることが出来ました。
やっぱり賑わっていてほしいです。(da_sokuさん)

ビジネスマンだったころ、年5,6回は飛行機を利用していたので 小旅行に出かける気分があった。(はしもさん)

台風の日に大阪から羽田に乗りました。本当に怖かった。着陸した時本当に神様に感謝しました。(シエルさん)

私が初めて飛行機に乗ったのは、高校の修学旅行。ワクワクしたのを覚えています。(けぃたんさん)

長崎から上京するときに両親や同級生たちに見送られ、その時の景色が今でも忘れられません。(マスタクさん)

海外にいる友人に会いに初海外にして一人で飛行機に乗った。到着し、空港で迎えに来てくれた友人の姿を見つけた時は安心して笑みがこぼれた。(このあーさん)

帰省時も東京に帰る時も必ず寄る北海道で最古の老舗珈琲店カフェ美鈴 函館空港店ですがGLAY」のボーカルTERUさんにも遭遇した事もある縁起のいいお店です。空港は今や別れの寂しさではなく隠れ家的なお店を探したり限定グルメ等見付ける楽しさが勝っています。
(KANTON$さん)

いつも父が見送りにくきてくれた(オリジナルリリーさん)

秋田空港ができたとき、亡き父母と見に行った(チバタロウさん)

大学を卒業した次男が東京に就職が決まって新千歳空港に見送りに行きました。次男が親元を離れるのは初めてのことで、本人はこの先に期待を持ちながら旅立ちましたが、私と妻は今日までの次男との生活を思い出し涙があふれてきたのを思い出しました。(さぼちゃんさん)

空港のボディーチェック機のアラーム音が鳴り響いた時(アルミのペーパーナイフでしたが)(sabu46さん)

独身時代は全く縁のない場所でしたが、子供が飛行機大好きなので最近は頻繁に出向いています。
これから旅行に出かけるであろう方のワクワクした表情や、家族と離れるのかな?といったさみしさと不安を交えた表情の方がおられるなど本当にドラマのある場所だなと感じます。(まもるさん)

空港は飛行機に乗るだけじゃなくショッピングも楽しめます!!子供が小さい頃ドラえもんのたい焼きが好きでした!(みかりんさん)

旅行できない時は空港に遊びに行く。グルメもお土産物もそこだけで旅気分。(わいわいさん)

子供の頃、初めて一人で飛行機に乗った時は不安と期待で胸がいっぱいでした。(Kさん)

旅立ちってイメージで泣けてくる。
いまや、遊びに行く場所でもあるが。(あいこさん)

子供たちに「ひとり里帰り体験」を毎年経験させていたのですが、コロナ稼もあって、下の子供たちの体験機会がなくなりました。今年は実施できそうなので今から楽しみです。(Ksさん)

30歳の時に一人でハワイに留学するのに成田で不安と期待でソワソワしながら空港で過ごした思い出ですね!(みちさん)

オーストラリア旅行の時に成田空港に初めて行って大きな飛行機をたくさん見たときの感動は忘れられません。周りの人達もみんな楽しそうにしていて特別な瞬間だと思いました。(まるさん)

一度も行ったことがないです。(かねちょん。さん)

最初の妻の父母は大分県、二度目の妻の母は北海道でどちらも飛行機で無いとなかなか行けません。行ったのは結婚の時と葬式の時です。いろんな出会いと別れがあるものだと、感慨深く想います。(アキヒロさん)

5月に、フェイスブックの友に会うために千歳空港から福岡空港へ。そして熊本に行こうかと思ってます。空港に行くの何年ぶりだろう。もう81歳なので最後かもなぁ。
(ちぃさん)

遊びに行った目的地が、思ってたより遠く、地理や電車の本数がわからなかったので、ぎりぎりで飛行機に乗れたのが忘れられない。(それいけ!ヨッシーさん)

雪で飛行機が遅れて一時間以上空港で待たされた思い出があります。(とらぴいさん)

北海道の旅行のかえり昼頃から雪が降りだし飛行機がすべて欠航翌日の仕事はキャンセルし大変でした。今になれば思い出ですがちなみに私自身が決めた旅行では晴れ女なので、降られたことはありません
(マイアラベスクさん)

40数年前、当時中学生の私は、旅好きな母方の叔母と約束のL.A.ディズニーへ。が、着いた先は叔母がせっかくだから遺跡巡りもしたいとメキシコ!仏頂面の私をよそに『未成年入国には名字別だと保護者認定されず私のみそのまま帰国』と顔面蒼白の叔母。スペイン語も解らず困っていた時、とある大学の教授が考古学研究で偶然同乗していて助けて頂き無事入国。あの旅の事は今も叔母と話します。本当にありがとうございました。(Mさん)

空港にまつわる思い出がありません。無念です。(ひろさん)

海外留学をする直前に彼氏とケンカをしてしまって、頭に来たので、電話の電源を切っていたら、彼氏が空港まで見送りに来てくれました。すっかり仲直りして海外留学できてよかったです。(うさぴょんさん)

台風で飛行機が飛ばず、12時間足止めを食らった。夜間だったので空港のロビーに雑魚寝した。(pop10さん)

北海道の北見は、恋人がいる街。大阪からは遠いが、遠距離麗恋愛中。空港で会うときはどきどきだが、別れはつらい。(たけし007さん)

14ページ中1ページ目(411コメント中の30コメント)

先頭へ戻る