帯広から南東方向に約50キロ、太平洋の海岸線に突き当たったところに、「十勝発祥之地」の石碑がある。ここは豊頃町の大津海岸。明治の頃、ここから開拓民たちが上陸し内陸に向けて大地を拓いていく足がかりとした場所だ。今は、厳冬期に十勝川から流れ出る氷が浜に打ち上げられる「ジュエリーアイス」が見られる場所として知られ、大津漁港もある。
大津の集落を見下ろす丘の上、灯台のそばに建つのがレストラン「エレゾ・エスプリ(ELEZO ESPRIT)」だ。3棟の宿泊棟も併設されたオーベルジュだ。2022年10月開業。全国から、いや世界から、ここで供される肉を求めて人が訪れる。
シェフとして料理を振る舞うのは、エレゾグループの創業者で社長を務める佐々木章太さん。だがレストランの話は、今回の肉のストーリーの一部でしかない。
話は佐々木さんが高校生だった20年以上前にさかのぼる。佐々木さんの実家は帯広で3代続く老舗のカフェレストラン「繪麗(えれ)」を経営している。「エレゾ」の名は、自分の大切なもの2つ「繪麗」と「蝦夷」から取った。将来は料理の道へ進むことを決めていた。卒業後、関東地方の専門学校に1年間通ったあと、軽井沢の星野リゾートのメインダイニング、東京のフレンチレストランで修行。実家を手伝うため帯広に戻ってきたのは24歳のときだ。店に客として来ていたハンターからもらった鹿肉との出合いが、その後の佐々木さんの人生を大きく変えることになる。
今でこそ、狩猟した野生動物の肉「ジビエ」は一般にも知られるようになったが、かつてはその代表ともいえる鹿肉の北海道での評価はそれほど高くなかった。
「昔は『硬い、臭い、まずい』といったイメージが根強かったと思います」と佐々木さん。東京で働いていたときも、自分でいろいろなジビエを食べ歩いていた。「すばらしい食文化だとは思ったが、目を丸くして驚くほど美味しいと思ったことはなかった」と振り返る。
ある冬の日、実家のレストランに来ていた常連客のハンターからこう言われる。
「有名なレストランで働いていたんだろう。でも命から食材に転換する作業をしたことがあるかい?」
あまりピンとこなかったので「いや、ないです」くらいで聞き流していたが、翌日、ハンターが撃ってまもない鹿を持ち込んできた。教えてもらいながら、放血、内臓摘出、剥皮などを行った。初めて見る湯気の出る肉。衝撃的だった。「これが命から食材に変わるということか」と思った。
約2週間後、温度管理をしながら熟成させたその肉を調理し、食べてみた。雑味がなく、清らかでいて味は希薄ではない、シルキーでなめらかな食感。これまで食べていた鹿肉とは全く違う。「野生だけで、こんなに美味くなるのか」。再び衝撃を受けた。
「こんなに美味しい鹿肉がとれました」と、佐々木さんは東京で修行したレストランにお世話になったお礼にと送った。
その店が送られた鹿肉の質に驚いた。そして「ジビエ肉の仕入れで困っている店が多い。協力してくれないか」と相談された。送られてきたレストランのリストを見て今度は佐々木さんが驚く。どれも名店と言われる名前ばかりがずらりと並んでいた。
当初は実家のレストランを手伝いながら猟期の冬に肉の加工をやっていたが、尊敬するシェフ達から求められているなら本格的にやろう、とモードが変わった。この頃から佐々木さんの仕事が「畜産」にも広がっていく。
「食肉の事業を行うことに対する不安はありました。無知故に、その心配を払拭すべくいろいろな文献を読みあさったり、自身も狩猟免許を取ってハンターと一緒に山に入りました」と佐々木さん。
調べて入ってきた情報の中には、屠殺や狩猟に関するネガティブなものも多かった。
「なぜこういう仕事をしている人たちが陰に追いやられないといけないのか」と憤慨した。
きらびやかなレストランで働いて、スターシェフに憧れ、自分のセンスばかり語っているスターシェフに憧れて いた自分が愚かに見えてきた。
「シェフは食材の連鎖の中での最後の表現者。ですが、そこに到る全行程で欠かせない人たちがいて、食べ物が提供されています」と語る。
そして、実家の店の隣で営んでいた加工場も手狭になり、豊頃町大津に加工場の「ELEZO LABORATORY(研究所)」を作ったのが2009年だ。その名前が示す通り、狩猟、飼育から、解体、肉の熟成・流通、シャルキュトリと呼ばれる食肉の加工品生産を総合的に行う。ハンターを正社員として雇用していたこともある。
しかしなぜこの場所に?
「十勝開拓のスタートの場所。物事の起点となったところ。きっとエネルギーがある。ここで探そう、と思いました」と佐々木さん。
これまで東京で2店、札幌で1店のレストランを展開してきたが、豊頃に集約するため今は東京・虎ノ門に1軒を残してすべて閉じた。海の見える絶景の丘の上に建つが、レストランには窓がない。「1本の映画を観るように、命の背景を見てもらう料理を提供したい。食材に宿るものを濁り無く感じてもらいたい」というのがその理由だ。原則1日置きに店を開き、佐々木さん自身が、カウンター席だけの空間でお客さんに対峙する。
ハンターが持ってくる鹿肉には、撃つ場所は頭と首だけ、仕留めてから1時間半以内のもの、と注文をつけている。自社で放牧しているブタもニワトリも、通常よりもかなり長い時間をかけて育てる。どちらも高品質の肉を得るためだ。
ラボラトリーに運び込まれた鹿や家畜は、建物内の屠場で処理され、枝肉になる。部位に分けられて、そのまま低温で熟成する。冷凍は一切しない。需要のある部位は流通に、需要のない部位や内臓なども加工品として使う。命を無駄にしない。名店と呼ばれるレストランの多くがエレゾの肉を指名し、その数は全国で300件近くになった。
エレゾには現在15名のスタッフが働く。皆が大津地区に住む。小学校の全校児童は11名。うち何名かはエレゾのスタッフの子供たちだ。
食肉の加工部門を率いるのは、神奈川県出身の金子将人さん(表紙の写真)。料理人として働いていたレストランがエレゾの肉を使っていたのが、ここを知るきっかけだった。エレゾを訪れる機会があったとき、佐々木社長の構想とその思いに触れ、自分もたずさわりたいと思った。加工品のサラミやソーセージ、パテなどの製造を統括し、取締役でもある。「料理人とは違った感性が求められる」といい、スタッフで作りながら、みんなで試食しながら製品化しているという。
三澤圭季(よしき)さんは生産現場を管理する。ラボラトリーの敷地にある牧場で飼う、ブタ、ニワトリ、マガモの管理を行う。札幌出身で水産関係の仲卸として働いていたが、縁があって転職し9年目。「命からお客さんのところまで全部見えるのがいい」という。
2005年に個人事業としてスタートして18年、昨年レストランを作ったことで命から人の口に入るまでの流れが豊頃で完結した。「食肉料理人集団」と、自分たちを評して言う。
「ビジネスか文化だったら文化を選びたい。使命ある目的に向かっていく文化企業でありたい」と佐々木さん。「やっと今第1章が書けたところ」という。
午後6時半、レストランの正面入り口のシャッターが開く。真っ白な長いのれんが風に揺れる。まるで劇場への入り口のように、廊下を通って室内にいざなわれる。舞台はキッチンとカウンター。命と向き合い、それを食する。エレゾワールドへようこそ。
(文・写真:吉村卓也)
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