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昼休みの小学校の教室はにぎやかだ。午前中の授業が終わり、一息つくお昼頃。そして、ちょうどお腹がすいたころに漂ってくるおいしそうな匂い。そう、給食の時間なのだ。
訪れたのは倶知安町立東小学校(表紙の写真)。頭に色とりどりの三角巾をつけた子どもたちがにぎやかに動き回る。教室の黒板前が配膳場所だ。給食当番が、おかずを取り分ける。この日の献立は、塩ちゃんこ汁、焼きサバ、ホウレンソウともやしの磯和え、ご飯、牛乳だった。5月だったので地元産の食材はまだ少なかったが、お米は倶知安産、豆腐はニセコ、ダイコンは函館。牛乳は仁木町の倉島乳業のものだ。その他の食材も国内産で、外国産食品はサバだけだ。
同校の給食を作っている倶知安町学校給食センターは、2023年度の北海道学校給食コンクールで最優秀賞となった。このコンクールは北海道教育委員会と公益財団法人北海道学校給食会が主催して2013年度から毎年行われていて、昨年度で11回目。学校での食育を推進するため、「地場産物を活用した特色のある献立を全道に広め」と、開催の趣旨に書かれている。この年のテーマは、「郷土愛を育む、地場産物たっぷり!だしを活かした和食給食」だった。書類審査を通過した4チームが実際に調理して競った。最優秀賞に輝いた同センターの献立は、鶏じゃがの味噌照り丼、ごぼうのおかか煮、豆乳の味噌汁、牛乳だった。
歳がばれるが、筆者は小学校低学年では脱脂粉乳が出て、中学卒業までお米の給食は無かったと記憶している。「和食給食」などという言葉を見ると、時代も変わったものだと実感する。
1954年に制定された「学校給食法」によれば、給食を提供するのは学校の設置者の「努力義務」とされているが、現在道内ではほとんどの学校で給食がある。給食をめぐる風景を大きく変えたのは、2005年に施行された「食育基本法」だろう。
この法律の前文には、「健全な食生活を実践する」、「『食』の海外への依存の問題」、「『食』に関する消費者と生産者との信頼関係を構築」、「食料自給率の向上に寄与」、「心身の健康を増進する健全な食生活」といった言葉が並び、「国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である」と、高らかに宣言されている。食を通した教育が学校にしっかりと位置づけられた。
食育の推進に伴い導入されたのが、「栄養教諭」制度だ。学校教育法の一部を改正して2005年から施行され、小中学校には栄養教諭を置くことができるようになった。子どもたちに直接教えることができる「教員」としての位置づけだ。学校での食事を統括するのが、厚生労働省や農林水産省でなく、教育委員会というのは諸外国を見回しても珍しく、「食育」は日本に特徴的な考えとも言える。
コンクールでの優勝献立を考案したのは、倶知安町の栄養教諭、伊藤智代さん。同町はセンター調理方式で、4つの小学校と1つの分校、1つの中学校向けに1260食を作る。毎日の献立を考える仕事に加え、食育の時間には実際に子供たちに教える。
「地元の食材を使う、国産野菜の使用率を上げる、という国の方針は強いものがあります。倶知安はジャガイモが特産なので使う機会は多いです。ここの子どもたちは男爵、キタアカリ、トウヤなど、ブランドの違いもわかりますよ」と言う。
学校給食を地域の人たちと一緒に作る試みもある。余市町では、2023年に町立登(のぼり)小学校で、「よいち給食デー」が始まった。これは同校に子どもを通わせる保護者、大倉奈々さん、村田枝里さん、りゅうこはるさんの3人が始めたグループ「北後志たねまく人の会」が発案。3人とも農家だ。校長や町教育委員会に話を持ちかけて了解を得、季節に合わせた地元で入手可能な食材リストを作り、栄養教諭が献立を組み立てた。地場の産物が採れる7月から1月まで計7回実施した。
同町内の小中学校はすべて自校調理だ。栄養教諭の考える献立に従って全町で同じ給食が出る。登小は児童数16人の小さな学校。自校式のため、給食デーでは登小のみ独自の地元食材献立で給食を提供した。食数が少ないため、地元農家が家庭用に栽培している農産物や特別に試作した水産加工品を利用することができた。気候や病虫害の影響で予定していた生産者から仕入れられない時は、近隣の小売店の、余市近郊で生産された食材で対応したこともあった。子どもたちの健康や環境問題の観点から、できるだけ化学農薬や化学肥料に頼らない作物を選んだという。
「地域と共にある学校づくり」を目指していた同校の名取俊晴校長も全面協力した。「よりよいものを食べさせたいという3人のエネルギーで実現できた。まずは第一歩」という。
訪れた日、給食デーではなかったがちょうどお昼時だったので、給食を試食させてもらった。献立は、小松菜となめこの味噌汁、かつおフライ、のり玉納豆、ごはん、牛乳だ。もちろんお箸で食べる。かつて使われていた「先割れスプーン」はだいぶ昔に姿を消したらしい。給食を食べるのはほぼ半世紀ぶりである。のり玉納豆は、納豆がひき肉や野菜、卵、のりと炒められている。これはご飯が進む。かつおのフライも揚げたてでサクサクだ。味噌汁もしっかり出汁が効いている。食器こそプラスチックだったが、これがこじゃれた食器で出てきたら、小料理屋の定食になるのでないかと思うほどのクオリティーだった。昭和の時代にあった「残さず食べる指導」みたいなものは当然無く、食品アレルギーの対応も個別になされる。こんな給食を毎日子供たちと食べられる先生は幸せだと思った。
「よいち給食デー」は今年も実施する予定だ。材料の調達の問題もあり、当面は登小のみ。全町で実施できるかどうかは、これからの課題だという。
100%オーガニック(有機)食材での給食提供にチャレンジしたのは、十勝の更別村だ。地元の農家などで組織する「十勝ふる里オーガニック給食実行委員会」が2021年に作られた。中心メンバーのひとりが同村で畑作や畜産を営む松橋泰尋(やすひろ)さんだ。仲間と一緒に、日本でオーガニック農業が当たり前になる未来はいつ来るのだろう、と話していて発案した。農林水産省は2050年までに有機農業を農地全体の25%に増やす目標を掲げているが、現在その割合は約0.5%にすぎない。「今すべてをオーガニックで作ろうとすると、収量は半分になり、値段は倍になる」と松橋さんは言う。有機農業がなかなか広まらない理由の1つだ。
オーガニック給食に取り組む自治体は全国にもあるが、「100%というのは国内でも例がないのではないか」と松橋さん。材料の調達や費用の問題を勘案して折り合ったメニューはカレーだった。有機の牛乳は高価すぎてオレンジジュースに変更。カレーのスパイスも有機のものを探した。22年10月に試食会を6回開き、11月にオーガニックカレーのメニューを提供できたが「すべて有機」のハードルの高さも実感した。今後は100%にこだわらず、「できるだけ地場産のオーガニック食材で」くらいを目標にしていきたいと話す。
更別村の人口は約3100人。小学校2校、中学校1校、1つの幼稚園のための給食は340食だ。「この規模ならジャガイモ、タマネギ、ニンジンは0.1ha(約300坪)の畑を有機にすれば通年まかなえます」という。それを実践するために、自分の畑の一部(2ha)を有機にして、そこで給食に使える作物を作る予定だ。
地域の産物がお皿に載る給食。北海道教育委員会によれば、給食にもご当地メニューがあり、前述の倶知安町では大豆、トウモロコシ、豚肉などを和えてご飯にかけて食べる「開拓丼」、羅臼のホッケ、日高のツブご飯、などがあるという。昔の給食の人気メニュー、クジラの竜田揚げはクジラ漁が行われている網走市の給食のメニューになっている。
同委員会が算出した一般的な給食一食の平均単価は小学校低学年で約253円、中学校で約306円だ。この値段の中で献立は考えられている。
給食を無償化する自治体も増え、道内では現在54市町村が無償化している。一方、給食を調理する施設が無い自治体では食事の配達サービスを利用したりしているところもあるが、3つの自治体では牛乳のみの「ミルク給食」となっていて、自分でお昼ご飯を持ってくる。99.7%の児童・生徒には「完全給食」と呼ばれる、ご飯やパンの主食、おかず、牛乳がそろったものが提供されている。
古い世代の人たちの中には、給食を残すと罰が与えられたという嫌な記憶を持つ人も少なくない。もちろん今はそんなことはない。季節の地元の食材を美味しく楽しく食べ、大人になる世代が増えていけば、日本の食文化はさらに豊かになっていくことだろう。
(文・写真:吉村卓也)
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
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函館は給食にいかめしが出るのですか!知らなかった・・・(H)
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