このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。
>HOME >特集一覧 >VOL144「11年目の「君の椅子」プロジェクト」(2016年8月28日)
特集「11年目の「君の椅子」プロジェクト」の表紙の写真です

居場所を贈り、誕生の喜びを分かち合う社会へ

 プロジェクトの発端となったのは、旭川大学大学院の地域政策ゼミでの会話だった。同大学の特任教授、磯田憲一さんが発案し、2006年に東川町でスタートした。「生まれてくれてありがとう」「君の居場所はここにあるからね」というメッセージとともに贈られる椅子の製作は、木工家具技術が集積した「旭川家具」を支える職人に依頼。道内外のデザイナーと二人三脚で、毎年デザインを変えながら新しい命の数だけ作られる。子どもの名前と生年月日が刻まれた、世界に一つだけの椅子だ。

 現在は、プロジェクトに賛同した上川の東川町、剣淵町、愛別町、東神楽町、中川町で出生した子どもたちに椅子が贈呈されている。東日本大震災が起きた11年には、宮城県、岩手県、福島県で3月11日に誕生した子どもが104人いることを独自に調査。名前が確認できた98人に「希望の『君の椅子』」を贈った。そして昨年、本州第一号となる長野県売木村が新たに加わり、子どもたちに贈られた椅子の数は1千脚を超えた。新しい命の誕生を祝福する「君の椅子」への共感は、北海道から全国へ、ゆっくりと広がっている。

9歳になった現在の飯塚紡季ちゃん。身長は146cmまで伸び、クラスで一番背が高い。建築家の中村好文さんがデザインを手がけた初代の「君の椅子」は、今では大切な人形置き場になっているそうだ

地域全体で命の誕生を祝う、愛別町

4家族で記念撮影。各家族は過去に贈られた「君の椅子」をそれぞれ持参
渡邊匠くんは喜びのあまり!?自分の椅子をガブリ。右が「祝っちゃる会」会長の中田さん

 2016年の「君の椅子」のモデルが発表された3カ月後の7月15日、愛別町で今年1回目の「君の椅子」贈呈式が行われた。対象者は1〜2月に生まれた4人。列席した4家族の傍らには、贈呈される椅子のほか、デザインの異なる「君の椅子」もちょこんと置かれていた。

 「本日出席された皆さんは、以前にも椅子を贈られているご家族ばかりなんです」と同町の職員、中富崇さん。

 きのこの里として知られる愛別町がプロジェクトに参加して7年目。これまでに贈呈した椅子は100脚を超えた。贈呈者を務めるのは、地元の有志団体「祝っちゃる会」の会長、中田栄一さんだ。同会では、1990年から町内で赤ちゃんが生まれると1発の花火「ハッピーボーン」を打ち上げて、地域全体で誕生を祝ってきた。

 「君の椅子は花火とともに、町の宝である子どもの誕生を地域全体で喜ぶ取り組みとして定着しています」と同会の一員でもある中富さんは話す。同町では、ほかにも町の商店が地元のお米や花を無償でプレゼントしている。

個人で参加できる「君の椅子倶楽部」

 全国各地からの希望が相次ぎ、2009年には参加費を払って個人で参加できる地域の枠を超えたコミュニティー「君の椅子倶楽部」が発足した。10年と13年に椅子を申し込んだ釧路町在住の三浦美香さんにその思いを聞いた。

—「君の椅子倶楽部」をどういう経緯で知りましたか?

  初めての出産を経験した6年前に、父から「君の椅子」プロジェクトの話を聞き、息子が生まれたうれしさと「君の居場所はここにあるよ」という思いで、子どもをずっと見守っていきたいと考えて申し込みました。

—普段は、「君の椅子」をどのように使っていますか?

  毎日の食事や絵本を読む時、それから椅子に座って勉強することを覚えたのもこの椅子です。何をするにしても、始まりはこの椅子でした。どちらも男の子なので、たまに椅子を投げたり乱暴に扱うこともあるのですが、とても頑丈で壊れることもありませんし、釘も使っていないので安心です。

—「君の椅子」にまつわるエピソードを教えてください。

  長男は、私が台所で家事をしていると「僕もお手伝いする!」と言って、持ってきた椅子の上に乗りお皿を拭いてくれました。弟には絶対に貸さないので、自分の椅子という認識が自然に芽生えているんだなぁと感じました。次男は祖父母宅に行く時に、必ず椅子も持っていくんです。いつの間にか日常生活に欠かせない存在になっているようです。

—「君の椅子」プロジェクトへの感想を聞かせてください。

  これまでタイミングが合わず、なかなか行けなかったのですが、今年こそ植樹※に参加しようと計画しています。この椅子がどうやって自分の元に届いたのかを子どもたちに見せたいので、工房にも見学に行く予定です。そこから、さまざまな人のつながりで社会が成り立っていることを教えていけたら。たった数年しか座れないので、いつかこの椅子のことを忘れてしまうかもしれませんが、大人になった時に、ふと思い出して椅子に込められた思いに気づいてもらえたらうれしいです。ですから、この活動と素晴らしい木工技術を絶やさないように、どこまでも続けていただきたい。今後のモデルや活動も楽しみにしています。

4拓真くん2010年6月16日、涼真くん13年7月16日釧路町生まれ。涼真くんが椅子に座れるようになった2年前の1枚
絵本を読む時も椅子に座って。兄の拓真くんが「君の椅子」を卒業する日も近い

※椅子を贈られた家族らが、椅子の材料になったミズナラやクルミ、イタヤカエデなどを植樹する「君の椅子の森」が東川町に2012年にオープン。1年おきに植樹祭を開催している。

特別な感動を味わえる「君の椅子」製作

 北海道のほぼ中央に位置し、大雪山国立公園のふもとにある東川町。旭川家具の産地として知られ、「君の椅子」の製作を手がける工房が点在する。家具工房「木魂」代表で、木工家の服部勇二さんもその一人。2010年と12年の2度製作を担当した。デザイナーは一般的に見た目の美しさにこだわるが、作り手である服部さんは、安全性や強度を第一に考えた椅子を目指す。

 「小さくても、製作の手間は大人の椅子と同じ。子どもたちは予想外の使い方をするので細部まで手は抜けません」と力説する。

 プロジェクトに携わって何よりもうれしかったのは、直接届くお礼の声だという。「手紙でも十分ありがたいのですが、道外からわざわざ工房を訪ねてくださった時は、とてもうれしかったですね。椅子に合う机を作ってほしいと依頼されたこともありました」。

 「君の椅子」は、新しい命の誕生に合わせて製作することになるので、製作数やスケジュールのめどが立てにくいという。しかし、そうしたリスクはあっても、「得られるものはそれ以上に大きい」と服部さんは言う。「自分の作った椅子から親子の物語が始まっていくんだなぁと実感できるので、普段の家具製作では味わえない感動があります」。

 木工製品を作り続けて40年。「仕事が楽しくてしかたがない」と笑う。「樹種によって香りも全然違うので、“この木は甘いなぁ!”などと思いながら、毎日、木の香りにホッとしています。働いているのに癒やされているような、そんな気分です」。

家具工房「木魂」代表・木工家
服部勇二さん
1955年中標津町生まれ。道立旭川高等職業訓練校(現:道立旭川高等技術専門学院)木工科卒業。カンディハウス(旧:インテリアセンター)入社。同社の試作品作りを担当後、「一本技」シリーズの専任として、長年製作を担う。2008年に独立し、家具工房「木魂」を設立。東川町在住。

家具工房「木魂」ギャラリー
東川町西6号北32番地
TEL 090-6691-3085
[営] 9:00〜18:00 
[休] 不定休 ※来訪の際は事前に連絡を。

昨年から木工職人の若手の育成に力を注ぐ。「危険が多い仕事なので志望者が少ない。このままでは地元に作り手がいなくなってしまうのではと危機感があります」(服部さん)
小物からテーブル、食器棚などの大型家具まで幅広く製作・販売する

文化を育む活動を次代へつなげる

 情報があふれ、ワンクリックで物が買える現代において、事業を発展させるには広報戦略やマーケティングが不可欠ともいわれる。そうした中、時代と逆行するように宣伝をすることもなく、地道に共感の輪を広げてきたのが同プロジェクトだ。

 「君の椅子はブランド品として市場に出回っているわけではありません。にもかかわらず、日本マーケティング協会が主催する第6回マーケティング大賞の地域賞を受賞しました。マーケティングとは対極にあるような活動だと思っていましたが、とてもうれしかった。今の消費のあり方に一石を投じる役割になれば」と代表の磯田さんは語る。

 さらに同プロジェクトでは、農畜産分野で確立されている栽培や飼育から加工・製造・流通などの過程を明確にするシステム(トレーサビリティー)を、木材流通にも導入するという、業界の常識を覆す画期的な取り組みを実現させた。

 「中川町と北海道大学の協力により、2015年から道産材という表記だけでなく生育した自治体の地区名まで特定した素材で製作できるようになりました。こうした試みは、これまでの木材家具流通ではあり得なかったこと。木の伐採から椅子の製作に至る全ての手仕事が、顔の見える関係の中で行われます」。

 年々増加している「君の椅子倶楽部」の参加者は、地元北海道よりも道外の割合が多い。最近ではドイツ、イギリス、香港など海外からの参加もある。

 「参加する自治体、そして地域の枠を超えて参加できる君の椅子倶楽部もその輪を広げつつあります。君の椅子は思い出の記憶装置と言ってもいいでしょう。北海道から生まれた一つの文化的スタイルとして次代につなげていくために、これからも一歩一歩、確かな道を歩み続けていきたいと心しています」。

「君の椅子」プロジェクト代表
磯田憲一さん
1945年旭川生まれ。明治大学卒業後、67年から道庁に勤務し、2001年から務めた副知事を03年に退任。04年、旭川大学大学院経済学研究科特任教授に就任。05年、北海道文化財団理事長、NPO法人アルテピアッツァびばい代表に就任。06年より同プロジェクトの代表として活動。

木のプロフィール
生育地の地図を添え、製材や製作の工程も含めた手仕事の様子を「木のプロフィール」として作成。椅子と一緒に届ける

「君の椅子」工房学舎

札幌市の中心部、大通公園のそばにあるビルの一室にある。
歴代の「君の椅子」を展示しているほか、椅子の製作者による旭川家具ブランドの椅子も紹介。気軽に立ち寄りたい。

札幌市中央区大通西5丁目11 大五ビルヂング2階
TEL 011-233-0609
[営]水・木・金曜 10:00〜17:00

「君の椅子倶楽部」問い合わせ先

個人で「君の椅子」を希望する場合、参加登録と費用の負担が必要です。また、椅子は1脚ずつ手づくりのため、申し込みから完成までに3カ月程度の日数がかかります。詳しくは、下記までお問い合わせください。

旭川大学事務局庶務課 旭川市永山3条23丁目1-9
TEL 0166-48-3121FAX 0166-48-8718
または、上記「君の椅子」工房学舎まで。

全文を読むにはログインしてください。

メールアドレス
パスワード
自動ログイン

2016年8月28日 特集144号 ※記事の内容は取材当時のものです。
先頭へ戻る