2人の娘がぜんそくでアトピーだった。夜中、かゆみで暴れ回るわが子を前になす術もなく、自分を責めた。肌を出す服は着たがらなかった。半袖も駄目だった。「これじゃ結婚もできない」という娘の言葉がつらかった。
幟立(のぼりたて)眞理さん。広島県呉市出身。娘が生まれた当時、広島で、フードコーディネーターや商品企画の仕事をフリーでしていた。ちょうど、企画して開発した商品がギフトショーのグランプリを取ったことをきっかけに、アメリカの日系化粧品原料メーカーからスカウトされた。マーケティングディレクターとして米国勤務のオファーがあった。
娘のアトピーと付き合いながらの生活はもう15年くらいになっていた。アレルギーの先進国で肌の専門企業であれば、アトピーに良いものが見つかるかも、と下の娘を連れて渡米した。
働いていたアメリカのオフィスは、室内の乾燥がひどかった。ある日、同僚の研究員が、肌が乾燥するから今日はお風呂に砂糖を入れて入る、と話すのを耳にした。
「砂糖?お風呂に?」
「思ってもみなかった保湿対策。さっそく自分でもお砂糖の入浴剤をつくり試してみた。
「これ、すごくいい!」
「砂糖とスキンケアの結びつきを感じた瞬間だった。
化粧品の原材料メーカーに勤めながら、砂糖の研究をする日々が始まった。調べてみるとアメリカにはシュガースクラブという商品があって売られていた。当時代表的なの床ずれ薬は白糖が70%、民間療法としても、昔から砂糖が使われているのが分かった。
試作品を実際に娘に使ってみて、アトピーの症状が改善していくのを目のあたりにして、砂糖の効果に対する直感は確信に変わった。
帰国し商品化する際、いろいろな砂糖を取り寄せて試してみた。砂糖の主な原料はサトウキビとてん菜に二分される。幟立さんのたどり着いたのはてんさい糖。サトウキビのキビ糖と比べ、味がまろやかで優しいと言われる。てん菜は「ビート」「砂糖だいこん」とも言われ、土の中で育つ。てん菜糖は日本では北海道だけで作られている。
肌に負担なく砂糖の成分を浸透させる「非水性スクラブ剤」の米国特許を働いていた会社で取得する。幟立さんはアメリカで5年間働き、日本に戻る決意をする。砂糖を使ったスキンケア商品を作りたい、という強い思いがあった。ついにはこの特許などの権利も買い取ってしまった。
2004年、生まれ故郷の呉市に会社をつくった。病院や大学との共同研究や学会発表も重ね、砂糖を使った製品の肌に及ぼす効果を実証していった。使う砂糖は研究の末、北海道のてん菜糖に落ち着いていった。 「北海道のてん菜糖は世界一」と幟立さんは言う。
「どこで作っている砂糖かがしっかり分かる。トレーサビリティがあって遺伝子組み換えしていないことがはっきりしている。そういうてん菜糖、実は世界を探してもなかなか無いんです」
6次産業という言葉が生まれる前、甜菜糖を使った商品開発をしているとのことで、北海道に講演などで来ていた。そして、産地から発信したいとの思いから、2009年、札幌市の誘致で本社を札幌に移転し、自身も移住した。
商品の「シュクレ」は砂糖の粒を、食用のオイルでコーティングしている。香料に使っているラベンダーは札幌・盤溪のもの、ハッカも北見産だ。使用する他の香料もすべて天然物だ。防腐剤保存剤をしよしない天然素材100%。
「肌の悩みで娘と同じように苦しんでいる人たち多いはず」との思いから、この製品は生まれた。孫の誕生を機に、赤ちゃん用シュガースクラブを開発。かゆみに苦しんでいた小さな子どもたちが、『シュガーしよう』と、自分でケアしてくれているのがうれしい、と言う。新生児の集中治療室での沐浴使用なども実績もできた。
「北海道のてん菜糖が無かったら、この商品は作っていなかった」と幟立さんは言う。
この北海道の砂糖のパワーを世界に広めるべく、アジアや北米にも事業を展開中だ。
2018年3月18日 特集163号 ※記事の内容は取材当時のものです。