トッカリショの断崖。トッカリショはアイヌ語で「アザラシの岩」の意。室蘭市が太平洋に直接面する側はこのような崖が多い。だがこの反対側(下の写真)は山に囲まれた天然の良港となっていて、重工業が発達した。
御前水町の高台から、室蘭港の工場地帯を望む。一筋白く立ちのぼるのは、巨大な鋼板をつくる日本製鋼の圧延工場の石炭ボイラーのもの。年内には電動化に切り替わるため、工場の敷地内から白い水蒸気は消える。
室蘭のまちに、どこか心惹かれる。白鳥大橋、ドルフィンウォッチング、室蘭やきとりやボルト人形のボルタ。特に工場の風景は、鉄のまち室蘭の代名詞。その室蘭が近い将来、水素のまちに変わっていくらしい。「次世代のエネルギーは水素」という話は耳にする。ならば生活者としてはおおまかな仕組みくらいは知りたいし、第一、なぜ室蘭だったのかが気になる。室蘭市経済部の佐々木善幸さんに依頼して、水素貯蔵技術(というらしい)を持つ日本製鋼所に見学に行くことにした。
室蘭の産業史が大きく動いた節目は、明治5年に室蘭港が開かれたことと、同25年に岩見沢ー室蘭間に鉄道が開通したことだ。空知の石炭を本州へ運ぶために選ばれたのが、太平洋側の良港、室蘭だった。炭鉱を背景に鉄道と港湾が結び付いて重工業で発展を遂げた室蘭は、「炭鉄港」のまちとして昨年、日本遺産に認定された。
日本製鋼所総務グループの髙田聖司さん
日本製鋼所水素事業推進室の小田さんと水素を貯める容器の見本。本物は全体がアルミニウム合金製。
そこから現代に至る経緯を尋ねると、佐々木さんと日本製鋼所(4月1日から日本製鋼所M&E株式会社室蘭製作所に社名変更)総務グループの髙田聖司さんが、御前水町の高台へ案内してくれた。見下ろすと、湾から丘の中腹まで点在する室蘭の工場群と、港へ向かう鉄道が一望できる。
「一番手前に見えるのが当社の室蘭製作所です。石炭と鉄道があって生まれた会社です」と髙田さん。同社はイギリスの会社と北海道炭礦汽船の合弁会社として設立され、日本のエネルギー供給を担った企業だ。鉄路でやってくる石炭資源を背景に、日本製鋼所を設立したのは明治40年。大正7年に国産第1号の航空機エンジンを開発し、国策により主に戦艦の砲身製造に従事。第二次大戦後は発電用部品などの大型鉄鋼製品に軸を移し、高品質の鋼合金類や人工水晶といった分野で高い技術力を発揮してきた。そして今、水素貯蔵技術が注目されている。
日本製鋼所水素事業推進室の小田知正さんに、水素エネルギーの意義を聞いてみた。「電力の安定供給には、作る量と使う量のバランスが必須です。需給バランスが崩れるとどうなるかは、胆振東部地震で経験したとおりです。そして、風力や太陽光といった自然エネルギー発電の割合が増えるほど、バランス調整の仕組みが重要になってきます」。
ならば、余った電気を貯めて、足りない時に使えるといい。
「そうです。だから燃料電池が注目されていて、中でも水素に置き換えて蓄える技術は、世界各国が開発と普及を競っています」。
構内の一角にある展示室で燃料電池の模型を見ると、中学校の実験でやった水の電気分解と同じだ。水を水素と酸素に分解するのと、ちょうど逆の反応だ。水素と酸素が 二つの電極間の反応で結合し、電気と水が発生する。石油や天然ガスのような有機物の燃焼ではないから、二酸化炭素(CO2)を排出しない。水素がクリーンエネルギーと言われる理由だ。
もう一つの疑問は、この技術がなぜ室蘭にあったかだ。小田さんが、ガラス容器に入った砂鉄状の金属を見せてくれた。「これが当社の技術、水素吸蔵合金です」。手に取っても金属の重みを感じるだけだが、もしここに水素を蓄えて電子顕微鏡で覗いたら、金属原子のすきまに水素原子がぎっしり詰まっている…はず。小田さんによれば、同社研究所では金属内水素の発見と研究に1930年代から取り組んできた。より強い鋼鉄を研究する中で、脆さの原因となる水素を取り除くことに成功。それが後に、金属に水素を効率よく蓄える技術に転じた。水素を追い出すことで強くなった鋼と、水素を蓄える特殊な金属。表裏一体の2つの技術によって、ひとつの水素化技術が室蘭で生まれたのだ。
白鳥大橋と室蘭市の風力発電用風車。自然エネルギーは自然条件で出力が左右される。でき過ぎて余ってしまった電力をなんとか貯めておきたいとの思いから水素を利用する発想が生まれた。(ドローン撮影:山本由紀夫)
「実はさっき乗った車も、水素エネルギーで走っているんですよ」。
佐々木さんによれば、室蘭市は水素の普及啓発のため、二台の燃料電池自動車(FCV)を公用車として導入した。電気自動車(EV)は充電式のリチウムイオン電池で走る。一方、燃料電池自動車(FCV)は水素タンクに充填した水素を燃料電池に供給して走る。どちらもモーター駆動だから、乗り心地や静かさに変わりはない。リチウムイオン電池と水素燃料電池では、近距離移動に便利なのはリチウムイオン、長距離移動に最適なのは水素燃料電池。車のボンネットを開けると燃料電池が入っていて、水素5kgのフル充填で約700km走る。ガソリンスタンドにあたる移動式水素ステーションは、室蘭市港北町の北海道エア・ウォーター敷地内にあった。ゼロからフル充填までわずか3分、現在、燃料電池自動車は1台約700万円、水素の室蘭市のステーションでの価格は1kg約2000円。どちらも今後の普及と技術更新による値下がりに期待だ。
左写真の容器の中にはこのような砂状の合金がぎ っしり詰まっている。これが水素を吸蔵する。
また、室蘭市では全国8カ所で実施されている環境省の「地域連携・低炭素水素技術実証事業」の一つが行われている。祝津にある風力発電所の電力で水素を作り、水素吸蔵合金の貯蔵タンクに貯める。タンクをのせたトラックから、さらに大きなタンクに水素を移し、その水素を使い燃料電池を発電、これを「むろらん温泉ゆらら」の電力の一部に活用する。実証メンバーは民間企業、大学、自治体で構成される。
室蘭市が描く未来図では、暮らしの様々な場面を水素エネルギーが支える。多面的な研究が進み、地域の水素供給網が形成され、並行してコストや用途の課題が解決に向かう。その時、室蘭を支えてきた工業は水素エネルギーで動き、港は石炭の代わりに水素によって、新エネルギー時代の玄関口となるかもしれない。 (文・深江園子/写真・吉村卓也)
燃料電池自動車のボンネットの下は電池とモーター
「水素ステーション」で燃料となる水素を入れる。水素を短時間で充填すると温度が上がるため、水素をマイナス40度以下に冷やしておく。
白鳥大橋を行く燃料電池自動車。排出ガスを出さないので排気口がなく後ろはすっきり。室蘭市では2台を導入済み。公用車として活躍するほか、水素エネルギー普及啓発の一環として、市内の企業や法人向けに貸し出す。
タイトル画像(ページ一番上)の旧火力発電所の建物は一般公開していませんが、見学ご希望の団体やグループについては相談に応じます。詳しくは以下へお問合せください。
■問合せ:日本製鋼所M&E㈱業務部総務グループ
電話番号0143-22-0143(代表)
2020年4月20日 特集188号 ※記事の内容は取材当時のものです。
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