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十勝地方の西側にある清水町で100年近く続く森田農場は、72ヘクタールの畑作農家。小麦、ジャガイモ、豆類を作っている。
「小豆は天候の影響が大きい上に、草取りは機械で刈り、鍬で刈り、それでも出る草は手で抜いています。でも、手をかけるほどおいしくなってくれるのも小豆なんです」。収穫後の農場で、森田里絵(りえ)さんが話してくれた。4代目の森田哲也さんと里絵さんは共に、北海道農政部の元職員で、里絵さんは横浜育ちだ。「結婚した頃、義母の作り立てのあんこを一口食べたらもう止まらなくて…。市販のあんことは別の味で、うまく言えないけれど身体に染み渡ったんです」。
小豆の魅力に目覚めた里絵さんは2013年、法人化と同時にに始めたインターネットショップに小豆農家のあんこの作り方を書いてみた。するとお客さんからメールやSNSで質問が届き始め、会話が始まった。伝えたいことはたくさんある。小豆が女性の健康を守る、食べるとお乳がよく出ると言い伝えがある通り、食物繊維、タンパク質、鉄、カリウムなど栄養が豊富なこと。赤い皮が含むポリフェノールに守られて、小豆は5年10年後でも芽が出ること。逆にお客さんから食べ方を教わることもある。
「毎年作っていると、畑一枚違うだけで小豆の煮える時間や味が違うのがわかります。それを混ぜてしまうと、仕上がりにムラが出る。直販ならひとつの畑、ひとつの品種の小豆をお届けできるので、煮えムラのないおいしいあんこが作れます」
畑の個性まで語れる、このこだわり。まるで単一農園のコーヒー豆や、銘醸ワインのブドウ畑のようだ。森田農場のサイトにある動画を見て実際に煮てみると、目安より早めにふっくら柔らかくなり、あっけないほど簡単だった。途中で水を換える“渋切り”をしないのは、タンニンが少なく皮の薄い小豆ならではの方法だそうだ。
オホーツク沿岸の浜頓別町にある「菓子司松屋」が、森田農場に初めて問い合わせをしたのは2013年の秋。店主の谷川淳一さんはもとシステム関連会社のサラリーマンで、父の店を継いだ。店のあんこに使う小豆を探していた時、森田農場のホームページを偶然見つけたそうだ。
他の豆と混ぜていないか、豆の選別はどうか。電話越しに納得いくまで色々聞いた谷川さんは、業務用袋を注文した。
菓子司松屋の売れ筋商品に、2つの最中がある。観光客に有名なのはレトロな牛乳缶型でミルク入りあんの「牛乳もなか」。地元客の定番は、最中皮の合わせ目が閉じないくらいあんこたっぷりの「松の実最中」だ。帰省客が多いお盆には、毎日あんこを炊くほど売れる。最中やどらやきに使う粒あんは製あん機の釜で煮てグラニュー糖を加え、熱を入れながら回転羽根で練っていく。
十勝清水から届いた小豆を初めて煮て、谷川さんは驚いた。
「豆がつやつや輝いてた。まるで釜の中で羽根から豆が逃げるように動いて、皮が薄くて柔らかいのに粒が立って生き生きしてる。すごいな、いい豆と出会えたなあって思いました」。谷川さんのあんこ作りは、前よりワクワクする仕事になったそうだ。
「粒あんは小豆の皮が破れたところに味が入っていくもので、柔らかく煮るけれど、食感に変化があるほうが楽しい。だけど固いところが残っちゃいけない。何度もチェックするうちにお茶碗一杯くらいは味見しているかも」。
一方、谷川さんの問い合わせを受けた時の事を里絵さんに聞くと、「本当に去年の豆が混ざっていないかと、何度も念押しするような会話だったかな?」と笑う。「でも松屋さんはそれ以来、うちの業務用のお得意様の1人なんですよ」。里絵さんは谷川さんと電話でやりとりするだけで、面識がなくお店に行ったこともない。ただ、松の実最中は何度か食べたことがある。「身近なお菓子ひとつで小豆の味を伝えられるんだ」と、ひそかに舌を巻いている。取材時に谷川さんにそのことを伝えると、「俺は自己流だから。でも、小豆を見てればきっと森田さんて真面目な人なんだなあと思うよ」と言った。
小豆を通じて出会った人たちのことを、里絵さんは自分の中で“小豆ともだち”と呼んでいる。農作業の傍らインターネットショップを続けられたのも、「こんな小豆が食べたかった、待っていた」と励まされたからだ。病気の家族のためにあんこを手作りする人に出会って、小豆が人を癒す力を感じたこともある。そういう間柄の人は、北海道から沖縄まで各地にいるそうだ。
フランスでも、里絵さんは小豆ともだちに出会っている。2016年、森田さん夫妻は「十勝人チャレンジ支援事業」を利用して小豆の調査をするためフランスへ行った。そこでパリ1区で人気のどらやき専門店「パティスリー朋(とも)」の日本人パティシエと知り合った。その店を会場に、2018年2月には里絵さんがあんこ作りと産地品種別の食べ比べをした。2020年2月には森田農場の小豆を愛用する東京の和菓子職人を同伴し、50人の食関係者の前で小豆の発表と和生菓子の実演をした。
「フランスではドラえもんがテレビ放映されていたり、どらやきがモチーフの日本映画『あん』の影響もあって、皆さんどらやきに興味津々。きっかけは様々ですが、皆さん味覚が鋭くて、品種や産地の味の違いがすぐ伝わるんです。パティシエやシェフも来られて、味の表現が豊かで的確で驚きました」。
パリでは賞味期限を一度も聞かれなかった。1日しかもたないお菓子だと説明するとブラボー、と言われたり握手を求められたりして、ここには新鮮で混じり気のないものへの価値観があると感じた。日本独自のものだからと思わず、純粋に味の話ができるのが嬉しかった。そして哲也さんの3年越しの働きかけの末、2020年にパリの高級日本食材店のカタログに森田農場の小豆が載った。
里絵さんが、パリで感心した事がある。有名なパン屋さんで話を聞いた時、店主が「うちのパンに合う小麦は、この産地、この農場の、この小麦なんだ」と言うのだ。指名買いする使い手がいて、指名される作り手がいる。きっと幸せな関係だ。「自分たちも、そんな風に小豆を感じ取ってくれる人にもっと出会いたい。指名買いされる小豆って、すごいですよね」と、里絵さんの眼が輝いた。
小豆生産日本一の北海道は今、小豆に日本一詳しいだろうか。産地ならではのおいしさを知っているだろうか。昔、ストーブにかけた鍋でことこと煮えた豆はおいしかった。この冬は、家で小豆を煮よう。
(文:深江園子)
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