6月。北海道に初夏を告げる季節だ。まだ肌寒い日もあるけれど、からりと晴れた日、湿気のない爽やかな風を肌に感じるとき、この地に暮らす幸せを感じずにはいられない。そんなとき、どこからともなく漂ってくる甘い優しい香り。道外出身の筆者にとって、これがアカシアの香りとわかったのは住み始めて何年か経った頃だ。今では、その香りを鼻先に感じると、「ああ夏が来たな」と思うようになった。
香りの主は、この時期一斉に白い花の房をつけるアカシア。だが、正式名はニセアカシアで、和名をハリエンジュという。明治初期に日本に持ち込まれ、札幌の街路樹などに大いに植えられた。北原白秋の「この道」で「ああ、そうだよ、アカシアの花が咲いている」と歌われ、石川啄木もその異国情緒を短編「札幌」の中で書いている。石原裕次郎の「恋の町札幌」でも登場し、北海道をイメージさせる植物として名を上げたが、これらに登場するアカシアはすべてニセアカシアのことだ。
では本当のアカシアはというと、同じマメ科ではあるものの、ニセアカシアとは似ても似つかない黄色い花を咲かせる樹だ。俗称でミモザとも言われるが、本当のミモザは別の名前があるらしくさらにややこしい。元祖アカシアは寒いところでは育たず、北海道ではほぼ縁がないのでここで忘れよう。
ではなぜ、ニセアカシア(ハリエンジュ)と呼ばれることになったのか。北米原産のこの樹、学名に「偽のアカシア」という意味のラテン語が付けられている。これをそのまま翻訳してニセアカシアと呼んだのがその由来らしい。ではハリエンジュという和名は?これはニセアカシアが、日本に昔からあるエンジュの樹によく似ていたこと、エンジュにはないとげが枝にあるところから、この名になったようだ。
札幌や北海道のイメージと共にあったこの樹、実は繁殖力が旺盛で成長も早く、在来の樹木を駆逐してしまうこともあることから、日本生態学会から侵略的外来種と指定されている。今後、街路樹として植えられることはないだろう。
さて、ややこしい呼び名の説明はこのくらいにして、アカシアと聞いて、もう一つ頭に浮かぶのがアカシアの蜂蜜だ。正確に言えば「ニセアカシアの蜂蜜」だが、ほぼ「アカシア蜂蜜」として流通している。ということで、ここからは蜂蜜に関してはアカシアと呼ばせていただくこととしたい。
北海道で採れる蜂蜜の中で最高級とされるのがアカシア蜜だ。クセがなく、白濁することが少なく透明で、すっきりした味わいは「蜂蜜の女王」とも呼ばれる。道外ではレンゲ蜂蜜も高級とされるが、北海道ではほとんどない。
北海道農政部畜産振興課の資料によれば、2019年の全国の年間蜂蜜生産量は約2,900トン。北海道は約306トンで、長野県の約340トンに次いで全国2位。北海道の蜂蜜生産量の第1位はシナノキ、第2位がアカシアだ。国産蜂蜜全体では、最も多いのがミカンで約36%、次はリンゴで約21%、アカシアは4.6%、レンゲが4.2%と続く。だが、蜂蜜の国内自給率は約6%にすぎず、国内消費量約47,000トンの7割、約30,000トン以上を中国から、約4,800トンをアルゼンチンから輸入している。
美味しいアカシア蜂蜜はどのように採られているのか。その採取の現場を見学させてもらった。訪れたのはアカシア蜜採取のための巣箱を置いている札幌市南区南沢。住宅街が途切れた山の中に蜜源はあった。ここでアカシア蜜を採っているのは滝川市で「髙見養蜂場」を営む髙見純一さんと妻の珠江さん夫妻。
訪ねたのは昨年の7月初旬。ちょうどその2週間ほど前に設置した巣箱を回収するところだった。養蜂家は季節で変わる蜜源を求めて、いろいろな場所を移動する。アカシアの時期には道外から来る養蜂家も多いという。
森の中に設置された巣箱は25個。一箱には約5万匹の蜂が入っている。巣箱を設置したエリアの周りにはクマ除けの電気柵が張られている。 トラックからステンレス製の遠心分離器を降ろし、珠江さんが作業の準備をする。純一さんは巣箱を台車に載せ、分離器のそばまで運ぶ。ふたりとも蜂除けのネットをすっぽりかぶり、手は厚手のゴム手袋で守る。
蜂の動きを鈍らせるため、麻袋に火をつけ、その煙をふいごで噴きかけながら巣箱を開いていく。箱の中には蜂が巣を作りやすいように、「巣板」と呼ばれる板が何枚か差し込まれている。巣板を引き上げると、表面には見事な六角形の幾何学模様。おなじみの蜂の巣の形だ。これを蜂が作っていることに改めて驚く。
巣の部分を金属のヘラでそぎ落とすと、黄金色の蜂蜜がびっしりと詰まっている。巣板はまとめて遠心分離器に入れられ、回転させてある程度蜂蜜が貯まったところで、タンクの蛇口を開き、蜂蜜を取り出す。ゴミ等を細かい目の布で濾して、一斗缶に詰める。これで商品のできあがりだ。余計なことは何もしない。正真正銘天然の蜂蜜だ。
髙見純一さんは、父の始めた養蜂場を引き継いだ二代目だ。滝川出身の髙見さんの父は小笠原で終戦を迎え、戦後戻ってきてから妹背牛町の養蜂家の手伝いで養蜂を始め、その後独立した。
道農政部の資料によれば、道内の養蜂業者の数は2020年で129件。10年前から比べれば半減しているものの、ここ数年は横ばいだ。
養蜂家は髙見さんのような家族経営の小規模なものがほとんどだ。純一さん自身も小学生の頃から、夏休みは父の仕事を手伝っていた。当時は九州、関西、北海道と移動しながら採蜜していたため、夏に蜂蜜の仕事を手伝いやすいようにと、関西の大学に進学したほどだ。卒業後はすぐに家業を継いだ。今は本州の蜜源も少なくなり、採蜜は北海道のみ。だが、蜂の越冬や繁殖は北海道では難しく、髙見さんは長崎県五島列島の福江島で蜂を越冬させる。毎年6月から北海道各区地で採取を始め、ナノハナ、アカシア、シナノキ、ソバ、アザミとそれぞれ場所を変えながら、9月初旬には採取を終える。
「蜜を求めて動き回るのが『蜂屋』の宿命ですね」と純一さんは言う。
毎年11月中旬、蜂の越冬のため五島列島に旅立つ。約300箱の巣箱を運送業者に頼んで運び、夫妻も自分のトラックで行く。滝川〜函館〜青森〜長崎〜五島列島。丸3日間の旅。12月半ばくらいまで五島で過ごした後、いったん滝川へ戻り年を越し、2月上旬には再び五島へ。巣箱の手入れ、エサやり等、蜂の面倒を見て、北海道へ戻るのは5月下旬頃だ。このような生活を続けて40年以上が経った。子どもが小さい頃は純一さんが単身で往復していたが、今は常に夫婦二人で移動する。「けんかしないように気をつけてやってます」と珠江さん。うなずきながら純一さんも笑う。
あんなにきれいな六角形の巣を作るのも不思議だが、蜜蜂の習性も興味深い。蜜をとってくる働き蜂は全部メス。だが卵を産むのは巣箱に一匹いる女王蜂だけ。養蜂家では、女王蜂となる蜂は人間が選び、働き蜂の体から出る分泌物であるローヤルゼリーを与えて育てる。これは女王蜂だけの特別食で、これをエネルギーの源として毎日約2000個の卵を産む。オスは繁殖期に女王蜂と交尾飛行を行う以外、巣の中では何もしない。メスの働き蜂だけが蜜を集め、巣を作り、羽で風を送って蜜を乾かす。オスは手伝わない。何をしているんだろう?そして、1シーズンの採蜜が終わると、オスの蜂はメスの働き蜂によって巣から追い出される。オスは何とか巣に戻ろうとするが、メスに妨害されて入れず、巣の周りで死んでいく……。オスが働かなかったから愛想を尽かされた訳ではなさそうだ。ずっとこうなのだから。人間に産まれてよかった。
本誌が発行される6月下旬頃、髙見さん夫妻は巣箱の設置に忙しいはずだ。天気がよい日は、蜂たちもせっせと蜜を集めに飛び回っていることだろう。天候にも大きく左右される蜂蜜の収穫だが、今年もおいしい蜜が採れることを願いたい。
(文・写真 :吉村卓也)
● 髙見養蜂場 滝川市江部乙町東13丁目1290-7 tel. 0125-75-5503
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