白老町の「地域おこし協力隊」隊員で、町内で民泊施設「東町ハウス」を営む林啓介さんとオルガさん夫妻。同町では「多文化共生」をテーマにしたパッチワークづくりが盛んだ。アイヌ文様の刺繍を中心に、いろいろな刺繍がつながっていく。右側にあるのはオルガさんの出身地、ロシアのサンクトペテルブ ルグの刺繍サークルのもの。壁にかけられたイナウ(木幣)はアイヌの儀式に使われるもの。アイヌ のルーツを持ち、アイヌ文化を発信している友人が作ってくれて、取り付けてくれた。
苫小牧と登別という二つの市に挟まれて、太平洋に沿うように白老町がある。人口約 1 万 7000。温泉や白老牛、 競走馬の産地として有名で、4 月に「ウポポイ」(民族共生象徴空間)がオープンする。その中にできる国立アイヌ民族博物館は関東以北では初の国立博物館となることもあり、町は今、何かと注目を浴びている。ウポポイのスタートを間近に控えた白老町を訪ねた。
白老町には「地域おこし協力隊」の隊員がいる。これは2009年に総務省が始めた制度で、地方自治体が、地域おこし活動を担ってもらうために全国に人材を募り、一定期間その土地に住んでもらう制度だ。最長3年の任期が終わった後もそこに住み、起業してもらうのが理想の形だ。隊員にどのようなことをやってもらうかは自治体の裁量に任されており、白老町には現在7名の隊員がいる。
その中の2人、林啓介さんとオルガさん夫妻は町内で民泊事業を営む。啓介さんは岡山県、オルガさんはロシアのサンクトペテルブルク出身のグラフィックデザイナーだ。2人はシンガポールで出会い、結婚。貿易関係、地域商品の開発やマーケティングの仕事を自営で行っていたが、2017年に白老町であった多文化共生のシンポジウムに講師として呼ばれた。
「行ったついでに魚釣りができるかも」と軽い気持ちで受けたが、役場のスタッフの熱意にほだされ、結局2018年に移住を決めた。「釣るつもりが釣られました」と、林さんは笑う。
林さん夫妻の民泊では、提供する体験型プログラムが人気を呼び、民泊の専門サイト「Airbnb(エアビーアンドビー)」では「スーパーホスト」に選ばれた。利用者の満足度や評判が高いホストに与えられるステータスだ。
人気のプログラムの一つは日本の家庭料理体験。ゲストには近所の食料品店に一緒に買い物に行くところから体験してもらう。アイヌ料理体験プログラムもあり、料理は白老に住むアイヌの人に手ほどきを受けた。近くの農園とも近所づきあいがあり、収穫を体験することもある。一緒に作って、一緒に食べる。訪れる人の国籍も年代も、滞在期間もさまざまだが、「食べることを通じて、壁がなくなる。すぐ友達になれる」と啓介さんは言う。
林さん夫妻の民泊施設では、お料理教室として一緒に作って食べることも多い。ある日のゲストはオーストラリアから。お孫さん達と旅する夫妻だった。(写真:林啓介さん提供)
町の「総合保険福祉センター」に飾られている巨大パッチワークの一つ。「多文化共生」の文字が埋め 込まれている。白老町は「多文化共生のまちづくり」を町のスローガンとして掲げ、長年取り組んできた。
林さんの民泊施設の壁に、大きなパッチワークが飾られている。白老町には2017年にできた「みんなの心つなげる巨大パッチワークの会」という住民グループがあり、現在43名の会員がいる。たくさんの人が作ったアイヌ文様の刺繍を、大きなパッチワークにしてつなぎ、これまでに20枚以上の作品を制作した。和人、アイヌを問わずメンバーは様々。林さんのところにもこの一つがある。アイヌ文様の隣に並んでいるのはオルガさんが取り持った、サンクトペテルブルクの刺繍サークルのロシアの刺繍だ。2018年にはハワイからハワイアンキルトの講師を招きワークショップを行ってハワイアンキルトとアイヌ刺繍をつなぎ、2019年3月にはハワイのホノルルフェスティバルに参加してアイヌ刺繍のワークショップや展示を行い、パッチワークを通じた世界とのつながりが生まれている。
林さん夫妻より約1年早く、地域おこし協力隊として白老に移住したのが菊地辰徳さん一家だ。辰徳さんは千葉県、奥さんは愛媛県の出身だ。菊地さんは、白老駅前の廃業した老舗の「柏村旅館」を改修して、2019年4月にホステルとカフェバー「haku」として蘇らせた。菊地さんは環境問題を専門にアメリカの大学で学び、馬術を続けながら、環境のコンサルタントとして大手企業の支援や地域づくりなどに関わってきた。やはり白老町から講演会の講師で招かれたのが移住のきっかけだった。菊地さん一家の移住で特筆すべきは、馬3頭を一緒に連れてきたこと。白老は競走馬の産地でもあるが、菊地さんの馬は「ただの馬」だ。
菊地さんはホステルを営みながら、白老町で馬3頭を飼う。馬たちは、起きて、寝て、時に走り回り、干し草を食べて、一日を過ごす。 寒さにはめっぽう強い。
「経済動物ではない、ただそこにいるだけの馬の生き方があってもいい」と菊地さんは言う。「風景の中に馬がいて、人と共存している。それが当たり前になるような社会。馬の生き方から人間が学ぶこともあるのではないでしょうか」。
馬がそこにいるのを眺めながら、ゆったりと時間を過ごす。ただそれだけのためにこの地を訪れる。そんな場所にいつかはしたい、と菊地さんは願っている。
hakuのカフェバーには冬は薪ストーブが焚かれ、地域の仲間たちが訪れ情報交換の場にもなっている。
hakuのカフェバー。もともと白老の老舗旅館だった「柏村旅館」が廃業。改装され、新しい空間として生まれ変わった。
hakuの菊池さん夫妻の元には、いろいろな人たちが訪れる。この日もhakuの内装等のデザインを担当したアーティストのTAIHOさん(右)との打ち合わせ。彼も札幌から白老に移住した1人だ。
白老町がウポポイの開設に向けて作ったロゴがある。「2020 つながる。ルイカ」とある。「ル」はアイヌ語で道の意、「ルイカ」で「架け橋」の意味がある。ウポポイができる前、白老にはその前身というべき一般財団法人が運営するのアイヌ民族博物館があった。「ルイカ」はその博物館のプロジェクトとして始まったものだ。
35年間この博物館に勤め、閉館前まで6年間館長だったのが白老生まれのアイヌ民族、野本正博さんだ。今は、公益財団法人アイヌ民族文化財団の文化振興 · 体験交流部長として、ウポポイの運営に関わる
ルイカプロジェクトが始まった当時、「世界に向けて、アイヌ文化と地域・人・文化をつなぐ」というスローガンがあった。「アイヌ文化の歴史は忘れないが、伝統的なものとして格式高く持ち上げすぎず、常に現在進行形で変化させ社会に対応させたかった」と野本さんは話す。
野本さん自身、海外の先住民族の博物館に足を運ぶうちに、彼らが現代社会に民族のアイデンティティをうまく溶け込ませて、時代とともに変化させていくのに刺激を受けた。「伝統的でないとアイヌ文化じゃない、とアイヌ自身も思っていた。でも博物館に来られないとアイヌ文化に触れられないというのは致命的。社会のいたるところにアイヌ文化が置かれ、それがこの土地の特徴になるようにしたかった」と語る。
「アイヌの文化を取り入れたいというアイヌでない人の思いも大切にしたい。あちら側から架けられた橋もきちんとキャッチしたかった」という。
開設前の最後の仕上げがいたるところで行われていた。右の大きな建物が国立アイヌ民族博物館。左奥に見えるのが、 一般財団法人によって運営されていたアイヌ民族博物館だった建物。ウポポイのオープン後は管理棟として使われる。
アイヌ民族博物館の正面看板(上)、と館内のサイン。ウポポイ内の表示は、アイヌ語が第一言語だ。
ルイカプロジェクトから生まれたものとして、アイヌの儀式のお酒「カムイトノト」の商品化(小樽・田中酒造)、店内に「チセ」(アイヌの伝統的な家)の部屋を持つすすきのの居酒屋「海空のハル」がある。百貨店、丸井今井がアイヌ文化とのコラボレーションから、アイヌ文様をモチーフにしたショッピングバッグを作ったのもこの時期だ。
ウポポイは開館を控えて準備が進む。約140名のスタッフはアイヌと和人がほぼ半々、新規採用された若いスタッフも多い。開館すると、ウポポイの中の体験交流館ではアイヌの伝統舞踊が毎日披露される。担うのは、アイヌ民族文化財団の文化振興部伝統芸能課の26人。平均年齢25歳、4対1で女性が多く、民俗的ルーツは多様な若いスタッフたちが、講師からの指導を受けながら連日練習に励む。
多くのつながりを得て、どんな新しい文化がこの地から花開くことだろう。
(文・写真:吉村卓也)
▼ 東町ハウス
白老町東町3-12-46
tel. 050-3577-3611
予約はAirbnb のページからがスムーズ
または、Facebookページから
▼ haku hostel+café bar
白老町大町3-1-7
tel. 0144-84-5633
朝日新聞デジタルよりの関連記事
2020年3月17日 特集187号 ※記事の内容は取材当時のものです。
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
面白かったコメント、私も同じ!と思ったコメントは、ぜひいいね!を押してください。
1ページ
2ページ
3ページ