1971(昭和46)年12月15日水曜日。
札幌オリンピックを50日後に控えた札幌の街に、初めて地下鉄が走った。南北線の真駒内〜北24条間の12.1Kmが開通。この日は大通駅で開通セレモニーや招待乗車が行われただけで、営業運転は翌16日木曜日の朝からだった。全国の都市の中では4番目、東京以北で初めての地下鉄が開業した。
当時の写真を見ると、薄緑色の車両、先頭車両正面の真ん中には札幌市のマークがでかでかと描かれている。周りには報道陣のカメラの放列。ホーム上にはびっしりと人があふれているように見える。初列車には保育園や幼稚園〜中学生までが招待されて乗ったと記録にある。オリンピックを前にした札幌の高揚感が想像できる。
気象庁の記録によれば、営業運転開始の16日の札幌の天気はほぼ1日雪で、最高気温はマイナス1.1度、最低気温はマイナス7.1度の真冬日。地下鉄のおかげで、雪による交通の乱れを心配せずに出かけられるありがたさを感じた人も多かったことだろう。開業当時1区間の乗車料金は30円で1区間増す毎に10円の加算だった。
翌年の2月には札幌オリンピックがあった。1976(昭和51)年には東西線の琴似〜白石間が開業、1978(昭和53)年には南北線が麻生まで延伸、1982(昭和57)年に東西線の白石〜新さっぽろ間が開業、1988(昭和63)年に東豊線豊水すすきの〜栄町間が開業、1994(平成6)年に東豊線が福住まで延伸、1999(平成11)年に東西線の琴似〜宮の沢間が開業と、地下鉄網はじわじわと拡大していった。現在3路線、全長48Km、49駅を有するネットワークとなった。
今月、札幌地下鉄は開業から半世紀を迎えた。
3路線で一日に地下鉄が走る距離は約92,000Km、一日平均で45万人が利用する。市民の足を預かる運転士さんに話を聞いてみた。
川名暢(かわな とおる)さんは1991年に入局し、駅務員、車掌を経験したのちに東豊線の運転士になって11年目だ。東豊線は勾配が激しく、札幌ドームの最寄り駅の福住を抱えるために満員になることも多い。ドア閉め操作にも緊張を強いられることも多いという。2017(平成29)年に札幌の地下鉄には全駅にホームドアが設置されたのを機に、今は全列車がワンマン運転となっており、ドア閉め操作も運転士が行う。
「満員の電車と空いている電車では全く運転の感覚が違います。満員時には重く止まりにくくなるので、ブレーキをかけるタイミング等を調整します」という。
田名辺祥子(たなべ しょうこ)さんは札幌地下鉄に5人いる女性運転士のひとり。短大卒業後、車掌勤務を経て、運転士になって6年目だ。「人と違う仕事をしてみたいという好奇心」で市交通局に入局したという。「当時は車の免許も持っていなくて、人生で初めて運転した乗り物が地下鉄だったんです」と笑う。入った当初は、一分一秒を気にしながら仕事をするシビアな職場に鍛えられた、という。男性と同じ労働形態で週に2回ある泊り勤務もこなす。
運転士になってから直接乗客と接する機会は減ったが、ときどき親に抱かれた小さな子どもが満面の笑みで手を振ってくれたりするという。「そんなときは、子どもに夢を与えている職業なのかな、とすごく嬉しいですね」と川名さんは話してくれた。
札幌の地下鉄と言えば、ゴムタイヤで走ることはよく知られている。その独特な仕組みをもっとよく見せてもらおうと、札幌市厚別区大谷地にある東車両基地を訪れた。東西線のひばりが丘と大谷地の中間の地上部にある、札幌地下鉄で一番大きな車両基地だ。ひばりが丘駅から車両基地へは特別な通路がある。整備される車両は無人の自動運転で基地まで運ばれる。
巨大な体育館のような建物の中に、オレンジ色の東西線の車両が整備のために止め置かれていた。プラットフォームはないので、車両の下のタイヤの部分がよく見える。天井には、地下鉄の車両を台車からはずして持ち上げるための巨大クレーンが見える。一つの台車には4つのゴムタイヤがついている。東西線と東豊線はこのタイプ。南北線は少し細身のダブルタイヤで一つの台車に8本がつく。タイヤは特製で、走行距離20〜26万キロで取り換える。大きな「走行輪」の他に、横向きに取り付けられた二つのタイヤは「案内輪」と呼ばれ、これが軌道の真ん中に立っている金属製の板、「案内軌条」を挟んで走る仕組みだ。車のようなハンドルはないので、この案内軌条と案内輪は重要な役目を果たす。そして台車の先には金属製の小さな補助輪がある。これはタイヤがパンクしたときのための緊急用だそうだ。
運転席も見せてもらった。8000形と呼ばれる車両。メーターはデジタルで操作ハンドルは一つ。これで加速とブレーキ操作を行う。古い車両はブレーキハンドルが別にあったそうだが、今はワンハンドル。ワンマンになり、ドアの開閉もモニター画面を見ながら運転士が行う。最高時速は70Kmで、これは開業時から変わらない。
運行は総合指令施設があり、「運転指令」と「設備指令」が地下鉄全体のシステムを24時間管理している。ATOと呼ばれる列車自動運転装置がすべてに備わっており、運転を支援する。完全な無人運転も可能だが札幌地下鉄では東車両基地に入る回送列車だけが無人で運転されている。
歴史に話を戻す。最初に開業した1971年の札幌市の人口は約105万人。前年に初めて100万人を超え、急激に増える人口を捌くための交通網の整備は常に懸案事項だった。南北線の北24条〜真駒内間は1969年3月に着工しているから、2年9カ月というスピードで完成している。当時の建設費で432億円。1km当たりの建設費は34億円だったが、次に開業した東西線の琴似〜白石間では102億円となり、南北線の麻生〜北24条間では163億円、難工事と言われた東豊線の栄町〜豊水すすきの間では260億円となった。今も借入金の返済は続いており、地下鉄の支出予算の約10%を借入れ利息が占めている。そんな中でも経費削減や乗車料金収入増で2004年あたりから黒字に転換、今後も黒字化の目処が立ったところをコロナ禍が襲った。50年という歴史を刻み、施設の老朽化対策も必要だ。順風満帆とは言えないが、雪の時期にはありがたさが身にしみる地下鉄だ。これからも札幌市民や訪れる人たちの足として走り続けることだろう。
※札幌の地下鉄に対するみなさまの思いは、本号に投稿された読者の声からも伺い知ることができます。ぜひ「投稿塾」ページも合わせてお読みください。
(文・写真 :吉村卓也)
パンタグラフがあるのは東西線と東豊線。南北線は車体の下から電気を取っているのでパンタグラフはない。
札幌地下鉄には、お年寄りや体の不自由な人のための席は「専用席」と呼ばれている。「優先席」ではない。
どの車両にも網棚はない。走行距離が短いのと、長時間乗車する人が少ないため、忘れ物防止の観点から開業当時から網棚無しポリシーが貫かれている。
夏の風物詩として地下鉄車内に風鈴が取り付けられていたことがあった。今はない。
一番深いのは東豊線の大通駅で地下23.71メートル。8階建てのビルに相当する深さ。一番浅いのは南北線北12条駅で地下7.73メートル。
地下鉄に乗って札幌市の施設を巡ってスタンプを集めるスタンプラリー。1992年から始まり毎週土曜日に行われ、スタンプ帖を片手に小学生のときに町を「探検」した人も多いはず。2013年に「ホリデー・テーリング」と名前を変えて継続されたが、コロナ禍のため現在は休止中。
札幌の地下鉄は「チュンチュン」という鳥の鳴くような音がする、と言われる。車輪がゴムタイヤのため車輪を通して電気を逃がすことができないので、電気を逃がす「負集電器」という装置を車両の下に持っている。これが軌道にある金属をこするのだが、その継ぎ目に当たったときなどに音が出て、トンネルに反響してこんな音になるらしい。東西線と東豊線でよく聞かれる。
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