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公開:2022年2月21日
表紙の司馬遼太郎さんの言葉は、こう続く。「とくにオホーツク海岸がいい。幸い一九九二年正月二日、叶えられた。夕刻、千歳空港に着いた」 この旅に同行したのが、週刊朝日編集部の村井重俊さん。表紙にある道庁近くの横断歩道で村井さんと司馬さんが交わした洒脱な会話は、「街道をゆく オホーツク街道」に載っている。1971年に始まり、司馬さんが亡くなる1996年まで連載された「街道をゆく」の、5人目にして最後の担当者。1983年に入社し、1989年から担当となった。
村井重俊さん 週刊朝日編集委員。1958年北海道生まれ。1983年朝日新聞社入社。週刊朝日編集部、アサヒグラフ編集部を経て1989年より司馬遼太郎さんの担当に。「本所深川散歩・神田界隈」から「濃尾参州記」まで旅を共にした。 週刊朝日100周年で考える 活字文化のこれから北海道ゆかりの 編集者2人に聞きました 週刊朝日のバックボーン 表紙の司馬遼太郎さんの言葉は、こう続く。「とくにオホーツク海岸がいい。幸い一九九二年正月二日、叶えられた。夕刻、千歳空港に着いた」 この旅に同行したのが、週刊朝日編集部の村井重俊さん。表紙にある道庁近くの横断歩道で村井さんと司馬さんが交わした洒脱な会話 …
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