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>HOME >特集一覧 >VOL.217「道内6市 市制100年。何が変わった?」(2022年9月20日)

特集Vol.217

道内6市 市制100年。何が変わった?

公開:2022年9月20日

特集「道内6市 市制100年。何が変わった?」の表紙の写真です

 1922(大正11)年8月1日、札幌、函館、小樽、旭川、釧路、室蘭の道内の6市は一斉に市制が施行された。今年はその100周年にあたる。  表紙の写真は当時道内で最大の人口を誇った函館で、市制施行記念行事が行われた「旧函館区公会堂」の2階大広間だ。(「区」は当時は「​​區」)。

100年前、大正11年に  1922(大正11)年8月1日、札幌、函館、小樽、旭川、釧路、室蘭の道内の6市は一斉に市制が施行された。今年はその100周年にあたる。  表紙・上の写真は当時道内で最大の人口を誇った函館で、市制施行記念行事が行われた「旧函館区公会堂」の2階大広間だ。(「区」は当時は「​​區」)。  表紙・下の古い写真は函館市中央図書館に保存されている当時の記念式典の様子を写したものだ。気象庁の記録によれば、当日の函館の最高気温は26.5度。決して涼しいとは言えないだろうが、タキシードで正装した壇上の人をはじめ、その挨拶を聞いている出席者もきっちりと上着を着込みネクタイを締めて …

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ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ
『いちばん古い北海道の記憶は?』
今から100年前の大正11(1922)年、北海道内に6つの「市」が誕生しました。
札幌、小樽、函館、室蘭、旭川、釧路です。
この場に投稿をくださる方に100歳以上の方はいないような気がしますが、みなさんの記憶に残っているいちばん古い北海道の記憶はどんなものでしょう?
100年前とは言いません。昔の北海道、どんなだったのでしょう。上記の6市に限りません。
ぜひ、眠っている記憶を呼び覚まし、お聞かせください!

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三世代同居の両親(特に母)の息抜きは、年に数回の室蘭「丸井」さんでした。一回にぐるぐる回転するお菓子の量り売りがあり、「いちごミルク」ばかり買って貰い、昼食は「蛯天」での天丼でした。子供には驚愕の味でしたが、姑から解放された母には、どんな味だったのかと思います。(熊五郎さん)

30年くらい前に仕事で行った。
ホテルと事業所を往復するだけで特に観光はしなかった。
今とあまり変わらないのではないかな?(ぴろりん☆さん)

高校生の時に、修学旅行で北海道と東京に行ったのが、私の中の古い北海道の記憶です(ぴのこだっくさん)

21年前に同級生に会いに札幌に行ったのが今のところ最初で最後の北海道です。
五月なのに雪が残ってたり空気が東京とは違いきれいでとてもびっくりしたのを覚えています。
まさかの同級生が食べたことがないからついてきてほしいと吉野家に連れて行かれたのは今となってはいい笑い話で思い出です。(マスタクさん)

札幌の市電が、市内各所まで路線を延ばしていました。(のるんさん)

北海道といえば、やっぱりドラマの北の国からが印象に残っています!
今見ても感動的!(エリンギさん)

北海道で一年働いていたことがあります。旅行が大好き過ぎて、全部の市に観光に行きました。1番印象深いのは、函館の夜景です。函館のクリスマスシーズンで、イベントもやっていて、雪の五稜郭も見れて、ラッキーピエロ行って、楽しく夢みたいな旅行でした(まるさん)

30歳の時に小樽に行って美味しいうに丼を食べたことです(みちさん)

北海道に行ったことはありませんが自分の中の1番古い記憶は牛乳パックに描いてあった十勝かな。(このあーさん)

北海道に行ったことはありませんが、古い記憶というと、社会の授業の屯田兵の話でしょうか。(クロネンコさん)

30年前、主人と札幌の雪まつりを見に行ったのがとても懐かしいです。(オリジナルリリーさん)

55年程前、苫小牧の和光中学に父の転勤で転校し、2年間暮らしました。初めて、アイスホッケーやスピードスケートを同級生に教えてもらった懐かしい思い出があります。(チバタロウさん)

行ったことがありません(くうすけさん)

まだ北海道に行ったことがないのですが、一番古い記憶は小学校で習った蝦夷の話です。
日本には、蝦夷、大和、琉球の三国の歴史があるのだなと学んだことを覚えています。(Chansonさん)

やはり思い出すのは ニシン御殿 ニシンに限らず浜は魚で大量、山は多くの動物であふれている(はしもさん)

函館 青函連絡船で東京を目指した集団就職の若者の顔(sabu46さん)

北海道は寒い!
旭川の―41,6度の記録は破られないだろう!
(ronさん)

地元の函館FMいるかは小学6年の時に1992年開局したコミュニティ放送局でロープウェイ山麓駅にオープンスタジオがあって待ち合わせの場所にしたり見学していました(KANTON$さん)

25年前に北海道行った時に札幌市時計台が改装中でした。塔時計は1888年(明治21年)に札幌の標準時計に指定され、1里四方に響き渡った鐘の音は「農学校の大時計」として市民に親しまれてきました。 1903年(明治36年)に農学校が移転した際、演武場は当時の札幌区が借り受けました。 この頃から演武場は「時計台」と呼ばれるようになったそうです。(うさぴょんさん)

30年位前ですかね。札幌に同僚が住んでいました。その頃は冬の除雪がちゃんとされず、雪が降ると両サイドに車が止まり道はとても狭いし車は動かせないし、車を無理やり動かしても大渋滞で大変だったそうですよ。(kawaさん)

きっと中学生だったと思います。当時は歌のランキング番組が流行っていて、私もその時間が来るのを楽しみにしていました。勿論カセットデッキをテレビの前において、録音ボタンに指をかけ。出てきた方の歌は全て録音していましたが、目的の一番は松山千春さんの歌。北海道の足寄出身です。私が初めて北海道に興味を抱いたのはその時だったと思います。足寄がどんな場所なのか、図書室で調べた記憶が今でも微かですが残っています。(ムーミンパパさん)

わからない(ヒデ55さん)

北海道冬のオリンピックでスキージャンプで金メダル獲得したのをテレビで見たのが一番古い記憶です。(まるさん)

室蘭の煙突から煙が出ているのが一番古い記憶です。
今から40年ほど前の記憶です。
空が黄色やオレンジ色に染まっていました。
高度経済成長の真っ最中でしたね。(まるさん)

2歳の時の夏に札幌や旭川や阿寒湖や摩周湖などを廻ったと聞かされています。夏とはいえ、北海道はやはり少し肌寒く、長袖や上着が必要だったと聞かされました。阿寒湖ではマリモをお土産に買いました。
また道路の真ん中にキタキツネがいたりして、自然のがかなり残っていた印象があります。

また函館も幼少の頃からよくいっており、大体の家庭ではクーラーはなく、夏場でもクーラーなしで快適に過ごすことが出来た記憶があります。(ケイさん)

明治初期に、明治維新で新政府と対立し、領地を失った旧会津藩・仙台藩など、東北地方の士族たちが多数北海道に移住、旧領主を中心に集団となり、主従の固い結束のもとに、開拓を成功に導いた歴史の記憶を呼び覚ます。(hiro0931gさん)

小樽 旭川 以外は 住んだことがあります^^(masaさん)

まだ青函連絡船があった頃に、10日間で北海道の鉄道ひとり旅をしました。夜行列車(普通)の硬い座席で眠ったり、駅の待合室で仮眠を取ったり、1円でも安く上げる旅でした。そのため、名物に舌鼓を打つような食事はしませんでしたので、帰ってから、職場の同僚に、「どんな美味しいものを食べてきたの?」と聞かれたときには、返事に窮しました。(ゆひかさん)

寒い北海道での開拓(kkesaさん)

北海道は気温が随分高くなったと感じます。
私が子どもだった20~30年前はエアコンなんて要らず、うちわと扇風機で十分でした。
それが今は夏に30℃を超えることも当たり前になり、熱中症患者が出るようにもなりました。
変わったなと思います。(アイリさん)

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