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1922(大正11)年8月1日、札幌、函館、小樽、旭川、釧路、室蘭の道内の6市は一斉に市制が施行された。今年はその100周年にあたる。
表紙・上の写真は当時道内で最大の人口を誇った函館で、市制施行記念行事が行われた「旧函館区公会堂」の2階大広間だ。(「区」は当時は「區」)。
表紙・下の古い写真は函館市中央図書館に保存されている当時の記念式典の様子を写したものだ。気象庁の記録によれば、当日の函館の最高気温は26.5度。決して涼しいとは言えないだろうが、タキシードで正装した壇上の人をはじめ、その挨拶を聞いている出席者もきっちりと上着を着込みネクタイを締めている。写真を見る限り、出席者の中に女性の姿はない。
この建物は1910(明治43)年に建てられ、約2年半に渡る大規模修繕を終え昨年の春から再び公開されている。函館山の麓、「旧市街」と言われる歴史を感じさせる地区を代表する建物で、基坂(もといざか)という坂を登ったところにある。内部が公開されていて、観光客が大広間からつながるデッキに出て港を見渡したり、明治〜大正時代の貸衣装のレンタルサービスもあって、当時の衣装を着て自撮りをしたりしている。床の模様もシャンデリアも、見事に復元されている。
明治政府が「市制」を定めたのは1888(明治21)年だが、北海道と沖縄には適用されなかった。その代わり1899(同32)年に「北海道区制」が導入され、札幌区、函館区、小樽区が定められた。旭川、室蘭、釧路が区となったのは大正時代だ。「区」は「市」よりも自治権が弱く、「本土なみ」とはいかなかった。法律の改正により、この6区が同じタイミングで一斉に「市」になった。沖縄の那覇市はその前年に市制が施行されているので、北海道に「市」ができたのは日本でいちばん遅かったことになる。
そのころは大正デモクラシーの時代。日露戦争が終わり、世の中に民主主義の萌芽が感じられた時代だっただろう。だが、選挙権があるのは高額納税者のみで、1925(大正14)年に普通選挙法が実施されても、選挙権を与えられたのは25歳以上の男子のみ。女性の参政権は認められていなかった。同じ年に悪名高き治安維持法が施行され、その後1931(昭和6)年には満州事変、その後破滅的な大戦に突き進んで行くとは、誰が想像したろう。市制施行のめでたい年に生まれた男子の多くが軍隊に取られたであろうことも忘れたくない。作家の三浦綾子、瀬戸内寂聴はこの年に生まれている。終戦までは、樺太や千島列島にも相当な人口があった。特に樺太には最盛期で40万人が暮らしていたとされる。戦争の終結とともに、樺太や千島からの引き揚げや樺太アイヌ、千島アイヌの強制移住といった悲劇を生んだ。
日本で最初の国勢調査が行われたのが1920(大正9)年。その後大戦でずれた1947(昭和22)年を除き5年ごとに行われている。都市の人口の推移を見ると、改めて驚かされるのが札幌の急成長ぶりだ。人口はざっと10倍になっている。右上の折れ線グラフを見ると、他の5都市がほぼ横ばいか微減の傾向なのに比べ、この上昇の急カーブはまさに異常とも思える。
市制施行後初の大正14年の国勢調査では、6市の他に炭鉱地区の人口が多い。夕張町(現夕張市)が第6位に入っている。最新のデータではやはり札幌近郊の都市が入ってきている。
もっとショッキングなのが人口ピラミッド。少子高齢化が日本の大問題として指摘されだしてから久しいが、改めて視覚化するとこれはもうピラミッドとは言えず、あえて言えば「逆ピラミッド」になっているのが恐ろしい。
2020(令和2)年に北海道庁が発表した「北海道人口ビジョン」によれば、北海道の人口のピークは1997(平成9)年の約570万人。今後の予測では、2040年には約 428 万人、2060年には約 320 万人にまで減少すると見込まれる。さらに、80年後の2100年には約150万人の予測がある。人口はすでに生まれた人が歳を取っていくのだから、この予測は何らかの国内での人口大移動や、急激な移民の増加でも無い限り、大きく外れることはないのだろう。
6都市の100年を駆け足で振り返ってみたい。
幕末の開港を経て発展した港町。1935(昭和10)年の国勢調査までは北海道一の人口を有する都市だった。函館山の麓、港に面する「西部地区」にはかつての繁栄を感じさせる建物が多く残る。表紙の公会堂もその一つ。1934(同9)年には函館大火があり2000人以上の死者を出す。1945(同20)年には大規模な空襲に遭い青函連絡船が壊滅的被害を受けた。1954(同29)年、「洞爺丸台風」で青函連絡船5隻が沈没。死者1430名の大惨事となった。1964(同39)年、初代五稜郭タワー完成。1976(同51)年には旧ソ連のミグ戦闘機が函館空港に強行着陸しパイロットがアメリカに亡命する事件が起きた。1985(同60)年、青函トンネルが開通し、1988(同63)年に連絡船は廃止された。2005(平成17)年、政令指定都市に次ぐ「中核市」に指定された。2006(同18)年、新しい五稜郭タワーが完成。2016(同28)年北海道新幹線が開業。「新函館北斗駅」ができたが、この駅は北斗市にある。今年完結した人気マンガ「ゴールデンカムイ」のフィナーレは五稜郭だった。
明治政府が開拓使を札幌に置いてから、札幌は北海道の中心地となった。1940(昭和15)年の国勢調査で人口が20万人を超え、道内最大の都市となり、以来人口の伸びと一極集中が止まらない。1945(同20)年の7月14日、15日の北海道空襲では札幌も攻撃を受け、丘珠、手稲、白石などが被害を受けた。1970(同45)年には100万都市となる。1972(同47)年に札幌オリンピック開催、地下鉄開通。政令指定都市となり7区ができた。1996(平成8)年コンサドーレ札幌が誕生。2002(同14)年にサッカーワールドカップを開催、2004(同16)年北海道日本ハムファイターズが誕生。昨年はこの100年で2度目となるオリンピックが一部開催された。
明治後期から続いた小樽の繁栄は市制施行期まで続き、全国屈指の港湾都市、経済都市だった。市制2年前に行われた第1回国勢調査では全国13位の人口規模だった。戦前までは樺太を経済圏に持ち、物資の供給基地として街は栄えた。終戦とともにこの経済圏は無くなり、昭和30年代に石炭から石油へのエネルギー転換で石炭の積み出し基地としての役割も小さくなり、関係する企業も撤退していった。同時期、小樽運河の保存運動が市民の中から起こり、今、運河は重要な観光スポットとなっている。
1899(明治32)年に鉄道が開通し、翌年第七師団が旭川に置かれ、道北の要の街となった。1923(大正12)年、旭川師範学校(現北海道教育大旭川校)が開校。1932(昭和7)年、現在の旭橋が完成した。終戦の年、街中の「師団通」は「平和通」になった。1955(同30)年「旭川木工祭り」が開かれ、家具のまち旭川が評価され始める。これは現在の「旭川デザインウィーク」に引き継がれている。現市庁舎が完成したのは1958(同33)年、64年間使われている庁舎だ。1966(同41)年旭川空港開港、翌年旭山動物園開園。1972(同47)年、全国初の常設歩行者天国の「平和通買物公園」オープン、翌年旭川医科大学も開校した。1984(同59)年、スタルヒン球場がオープン。2000(平成12)年「中核市」に指定。2004(同16)年には旭山動物園の夏の月間入園者数が日本一となり注目を浴びた。
天然の良港として発展したのは函館に似る。市制100年とともに室蘭は今年「開港150年」をうたう。1872(明治5)年に室蘭〜森間の定期航路の就航がこの年始まった。その後太平洋に面した港は国外向けの石炭輸出港として賑い、明治後期から製鉄の街の色合いも強まる。1931(昭和6)年の満州事変以降、軍需工場としての室蘭は日本の中でも重要な役割を果たした。1939(同14)年には、室蘭工業大学の前身の室蘭高等工業学校が設置された。1945(同20年)7月の北海道空襲では軍需工場群は米軍の攻撃目標となり、艦砲射撃も含め工場、港、市街地は甚大な被害を受けた。戦後はエネルギー転換やオイルショック等の影響を大きく受け、大手製鉄所の高炉が停止されるなどの試練があった。2015(平成27)年、「低炭素都市」を目指した「室蘭グリーンエネルギータウン構想」を打ち出し、環境産業の振興に取り組んでいる。
市制が施行後の1925(大正14)年年の国勢調査の人口は約42,000人で6市の中では最も少なかった。1934(昭和9)年には道内で最初の国立公園として旧阿寒町の阿寒国立公園が大雪山国立公園と供に指定された。終戦の年の北海道空襲では米軍機141機の攻撃を受け200人以上の死者が出た。1960(同35)年釧路空港が完成。1969(同44)年、魚の水揚げ量が日本一を記録した。1976(同51)年、第5代目の幣舞橋が完成し現在に至る。1980(同55)年の国勢調査の人口は22万人を超えピークを迎える。魚の水揚げ量は好調で、1987(同62)年には史上最高の133万トンの史上最高を記録するなど、13年連続日本一となるが、近年はイワシの急な不漁を主な原因とし、10〜30万トン代となっている。日本国内唯一となった坑内掘りの炭鉱「釧路コールマイン」が今も採炭を続ける。
市制200年(そのときまで「市」という仕組みが続いていればの話だが)は2122年だ。そして筆者もこれを読んでいる読者もそのときにはもういない。100年後の北海道はいったいどうなっているのだろう。人口が減り続けるままだろうか。何らかの対策がなされるのだろうか。
民間の調査会社「ブランド総合研究所」は毎年「都道府県魅力度ランキング」という調査を行い、公開している。全都道府県各500人のモニターを元にした調査だが2021年まで13年連続で北海道が魅力度1位だった。今年は残念ながら沖縄県が1位、福岡県が2位、北海道は3位となったが、それでも3位だ。この手の調査では絶対に下位にしかランクされない、とある関東の県出身の筆者にとっては、これは全く羨ましいことだ。北海道に移住して四半世紀、後悔したことは一度もない。100年後、北海道も世界が平和で、市制200年を祝えることを願いたい。
(文・写真:吉村卓也)
※歴史記述は各市の市史等を参考にした
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