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午前4時、十勝・幕別町のとある公園の駐車場。漆黒の暗闇の中、照明に照らされて、何か見たこともない物体が浮かび上がっている。透明なビニールのようなものでできた気球だ。気球の下には丸いカプセルのようなものがついていて、何本ものロープで地上に係留されている。気球には近くのトラックに積まれたボンベからヘリウムガスの注入が続いている。
この気球は、今年の夏頃には人を乗せて高度約2万5000メートルの成層圏に達する予定で、それまでにさまざまな飛行実験を繰り返している。現場で、スタッフと話しながら様子を見守っていたのは岩谷技研の岩谷圭介社長。この気球プロジェクトを行っている会社だ。
岩谷社長は福島県出身で、自身を「発明家、科学者」という。大学生のときから気球の研究を続けている。3〜4歳の頃、「宇宙ステーション」という絵本図鑑を見た。まだ宇宙ステーションは存在していない時代。「これからはこういうことができるんだな」とわくわくしたのを覚えている。中学生のころに見た映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、タイムマシンの研究をする発明家のエメット・ブラウン博士、通称「ドク」に出会い、「これこそが自分がやりたいこと」と確信する。
「これまでできなかったことを、研究して可能にしていく。髪を振り乱して発明に打ち込む姿に『世界一かっこいい仕事はこれだ!』と思いました」と語る。
機械系の勉強をすれば発明家になれるのでは、と北海道大学工学部機械知能工学科に進学。家は「大学に行きたいならどうぞ。でも学費は自分で何とかしなさい」というくらいの放任主義だった。大学1年生のときから、プログラミングの知識を活かして企業向けにEコマース(電子商取引)のシステムを貸し出す仕組みを作って、学費と生活費を稼ぎ出した。所属した研究室がロケットの研究をしていたこともあり、世界の宇宙ベンチャーの実行可能性を分析する研究をしていた。宇宙へ行くためのロケットの開発には4000億円くらいかかるので、自分には無理なことがわかった。大学に残って研究者になれば発明家として生きていけるのかと思っていたが、使える研究費があまりに少ないことがわかり、その道の先に「ドク」はいないことを思い知る。
そんなとき、アメリカの大学生が自分で宇宙を撮影したというニュースをネットで見て衝撃を受ける。大学生がそんなことできるわけない、というのが最初に思ったこと。気球を使ったまでは調べることができたが、それ以上はわからなかった。
「自分にもできるかも」と、自ら気球の研究に乗り出したのが4年生のときだった。周りの学生や仕事を通じて知り合った大人たちに、一緒にやらないかと声をかけて回ったが、反応はとても冷ややか。「何かヤバイやつに声かけられた、みたいな雰囲気でしたね」と当時を振り返る。結局すべてひとりで始めた。
カメラを空に上げるためには、大きな風船がいるだろうと、直径2メートルくらいのゴム風船とヘリウムガスを購入。風船は「パーティー用のものだったと思う」という。最初の3回は北海道大学の裏庭からヒモを付けて飛ばした。4回目、札幌市内の知人宅の空地を借り、初めてヒモ無しでの飛行実験を行った。カメラとGPSを装備し、高度約1万メートルまで上昇してそこから地球の姿を撮影。当日の風を計算すると、その後江別か岩見沢あたりに落下する予定だった。
結果は予想とは全く違った。GPSの受信情報から、風船は室蘭の沖合40キロくらいの海上に着水していた。もちろん回収不可能。失敗だった。
「これはダメだ。できないことをやっていた。無謀なことだった」と確信して、きっぱりやめようと思った。
10日後、見知らぬ人から電話がかかってきた。苫小牧の海岸で装置を拾ったという。どこに落ちるかわからないので、「拾ったら連絡ください」と書いてあったのだ。聞けば海辺を散歩していて、浜に流れ着いていたのを見付けて連絡してくれたのだった。
回収されたカメラのSDカードは錆びていたが、磨くとなんとか画像が見れた。飛行機から見るような風景が現れた。自分の作ったものでそれが見れた。これなら行けるかも、と再びやってみることにした。宇宙に行くとか、これでビジネスをすることは微塵も考えなかったという。「ただただ研究がしたい。面白そう。それだけでした」と岩谷社長は語る。
そんな時に地元のテレビ局が岩谷さんの取材を始めた。テレビ局と共同で宇宙を目指すプロジェクトを一緒にやろうという企画も持ち上がった。仲間を募ろうとウェブサイトも立ち上げた。この時初めて仲間ができた。気球は進化し、高度は3万3000メートルの成層圏の真ん中あたりまで達していた。撮った写真は1万6000枚。そのうちのたった1枚、宇宙が撮れている写真があった。あとはボケていたり、カメラが結露したりで使い物にならない。1万6000分の1ではとてもビジネスにならないが、当時はビジネスのことなどは何も考えていなかった。
スポンサーもつくようになり、気球を利用しての仕事の依頼も来るようになった。2016年に会社を設立した。
気球を大きくすれば、人を乗せて成層圏まで到達できるのではないか。そんな夢が膨らんでいった。岩谷技研は、普通の人が気軽に宇宙に行ける。そんな簡単な宇宙遊覧を目指している。ロケットに乗るためには過酷な訓練が必要だが、気球ではそれが必要ない。宇宙服も必要なく、普段着で乗れる。密閉されたキャビンには生命維持装置があり、気圧、温度、酸素量、水蒸気量などを安全な値に保つ。その技術も独自に開発した。ふわりと上がって降りる気球は揺れることもなく、約2時間かけて高度約2万5000メートルに到達。上空で1時間宇宙を遊覧。その後、約1時間かけて地上に降りる。滞空時間4時間の日帰り宇宙遊覧だ。
今年夏頃、初めてお客さんを乗せて本番の飛行が始まる予定だ。最初は2人乗りのキャビン。1人はパイロットなので、お客さんは1人。料金は約2400万円。5回の枠は全て予約で埋まっているという。これからは4人乗り、6人乗りとキャビンを大きくして、もっと多くの人に宇宙を楽しんでもらいたいと語ってくれた。
岩谷社長自らも宇宙に行くのだろうか。「いや、私は宇宙に行くことに興味があるのではないんです。これまでできなかったことを技術の力で可能にする。それが楽しくて仕方がない。席が空いた時でいいよ、とスタッフには言ってます。」
冒頭の実験飛行でキャビンに乗ったのは、同社の及川明人さんと宮嶋香和さんだ。及川さんはもともと技術者として入り、同社では最も飛行経験が長く高度1万669メートルにも達している。
気球は推進力がないから、どこに行くかは風まかせ。離陸前にあらゆる気象データを見ながらどこに流されそうかを予想する。高度を変えれば風が変わるので、重りを捨てたりガスを抜いたりしながら高さを調整し、風をつかむ。訓練を重ねるうちに精度はどんどん上がり、ほぼ予想通りの場所に着地できるようになってきた。
宮嶋さんは、同社のパイロット募集の広告を見て入社した。もともとはベンチャー企業で働いていたが、いつかは空に関わる仕事がしたいと思いアメリカで自家用の操縦免許を取ったほどだ。宇宙に行きたいと思った事はなかったが、ある日宇宙から地球を眺めている夢を見た。「それがあまりにもきれいで、自分の夢にものすごく感動したんです」という。そしてある日、何気なくスマホでニュースを見ていたら、岩谷技研の試みが紹介されていた。こんなことをやってる会社があるのかとびっくりした。そしてそこにはパイロット募集の文字が。これはもう運命的な出会いと思い、即座に応募した。現在、パイロットの訓練をしているのは、宮嶋さんのほかにもう1人。2人体制で本番の飛行に臨む。
北海道では宇宙産業が盛んになっている。北海道経済産業局によれば、2023年12月現在で道内には14の宇宙関連企業がある。ロケットや人工衛星のデータ利用に関する会社が多い中で、気球や宇宙遊覧を扱っているのは岩谷技研のみだ。
同社は2023年12月に本社を札幌から江別市に移した。広い室内に置かれた巨大なテーブルの上で、気球に使うフィルムが広げられて人々が作業していた。
宇宙遊覧のための会社、と思われるかもしれないが、ビジネスはそこに留まらない。成層圏まで安価に物を運べる技術は、実はほとんどない。例えば、ロケットに乗せるさまざまな機械を宇宙の環境で動作実験したい。そんなニーズがたくさんある。気軽に宇宙実験室を提供できるのが強みなのだ。ロケット利用で巨額の費用がかかったものを、気軽に利用できるようにする。同社ではそれを「宇宙の民主化」と呼んでいる。
「私たちの技術がこれからの社会に役に立つことがたくさんあるはずです。それが何より嬉しい」と岩谷社長は語る。
1人で風船を飛ばして実験を繰り返していた大学生は、宇宙ビジネスのパイオニアになった。社員は60人以上に増え、資金調達もできるようになり、存分に研究に打ち込めるようになった。「世界一かっこいい仕事」と言っていた日本の「ドク」の姿がそこにあった。
(文・写真:吉村卓也)
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