日本のイチゴの旬が冬になって久しい。本来の実りは春から初夏。だが今は、プランターと温室で季節をずらして育てる方法が主流だ。例えば、東京・大田市場のイチゴ取扱量が増えるのは12月~5月で、これは札幌市中央卸売市場も同様だ。ではなぜ、冬がピークなのか。理由のひとつは、パティシエたちが大量のイチゴを必要とするからだ。一般に洋菓子店は、クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー、入学式と来てゴールデンウィークまでが忙しい。その結果、業務用のイチゴが冬から春の需要を押し上げる。そもそも洋菓子業界では、店にイチゴのケーキを並べると売り上げ全体が伸びるという定説がある。つまり、日本人のイチゴのケーキのイメージが、冬のイチゴ市場を大きくしたとも言える。
2011年のクリスマス。北海道の洋菓子店はイチゴの品薄におののいた。東北最大のイチゴ産地、宮城県亘理(わたり)町が、東日本大震災で被災したからだ。道内にもイチゴ産地はあるが、端境期の夏~秋に出荷が多い。北海道にとって亘理町のイチゴは、冬の流通量の半分以上を占める、頼みの綱だった。
同年3月11日の札幌、ホワイトデー直前の午後。パティシエの安孫子政之さんが休憩時間につけていたテレビ画面に、災害速報が飛び込んできた。間もなく北海道にも揺れが来て、店の通用口を慌てて開け放した。再びテレビの前に戻ると、東京で都知事の会見場が揺れる映像が、宮城県の海岸のビニールハウスが波に押し流される映像に切り替わった。町の名前は出なかったが、とっさに札幌のイチゴの仕入先担当者、兜森一嘉さんに電話した。「大変です、産地が津波で流されてる」。
電話を受けた時、兜森さんはイチゴの冷蔵保管庫の中で荷分け中だった。「まさかそんな。きっと大丈夫ですよ」と答えたが、夜のテレビで状況の深刻さを知った時には、現地との電話は不通になっていた。
同じ札幌のパティシエ、森伸司さんは、自分の店の揺れの異常さに驚いたが、厨房のラジオでは津波のニュースは地震よりだいぶ後だったと記憶している。森さんも帰宅してからニュースを見て、被害の甚大さに初めて気づき慄然とした。
北海道のパティシエたちが行動を起こしたのは、2011年4月。北海道洋菓子協会と札幌洋菓子協会が、すぐ食べられて日持ちする焼き菓子を被災地へ運び、炊き出しを行った。同じ頃、安孫子さんは店頭で被災地への募金を始める。「届けるあてはなかったけれど、とにかく何かせずにはいられなかった」。
亘理の被害は予想通り甚大だった。被災した亘理町のイチゴ農家のうち、北海道の伊達市に5軒が移転した。亘理町と伊達市は明治3年、亘理伊達家当主・伊達邦成公の開拓移住以来の縁があり、姉妹都市でもある。そこでいち早く、被災したイチゴ農家を技術指導員として受け入れていた。
同年9月、安孫子さんはこのことを知り、伊達市のイチゴ農家に募金箱を抱えて駆けつけた。そこで彼らと初めて会い、亘理のイチゴ農家の多くが家や畑を、そして家族を失ったことを聞く。
それからまもなく、安孫子さんはインターネットで「One More-仙台いちご再生支援プロジェクト」というブログを知る。ブログの主は、亘理のイチゴ農家出身の「みさ」さんという人物だった。メールをしてみると、あちこちに散らばる同郷の人々とネット上で協力しあってイチゴのステッカーを販売しているという。
安孫子さんと森さんはこの活動に賛同し、ステッカーにメレンゲ菓子などを添えて一枚500円で販売し、寄付することにした。同様の取り組みは室蘭の洋菓子店も始めており、2人が声がけした市内のパティシエやジェラート職人にも広まっていく。
北海道からこのプロジェクトに賛同したのは、主にスイーツ関係者だった。その理由は、”亘理のイチゴ”の存在感だ。札幌で冬のイチゴと言えば、亘理のイチゴ。パティシエたちはそれを肌身で知っている。札幌市の統計によれば、市場のイチゴの5割以上を支え続けた宮城県産イチゴは、震災のあった2011年に3割に減少。翌2012年には1割強になる。それは同時に亘理の生産者が復帰できずにいることを示していた。
「赤いイチゴはケーキ屋にとってなくてはならない大切なもの。一度失った時、それを作ってくれる人の大切さに気づかされました」と、安孫子さんは振り返る。
2013年6月、安孫子さんと森さんは、初めて亘理町を訪ねることにした。札幌での支援ステッカーの売り上げに自分たちの寄付金を加え、寄せ書きを携えて亘理町を訪ねた。出迎えたのは、ずっと電話で現地の状況を聞いていたイチゴ農家の平間克己さんら、若手グループ「おらほのいちご生産組合」のメンバー5人。初めてお互いに顔を合わせ、電話では言えなかった話を居酒屋で語り合った。東北の湘南と言われる温暖な気候で、以前は日当たりの良い海辺に土耕栽培のハウスがずらりと並んでいたこと。地震の時、幾人もの仲間がハウスへ行こうとして津波にのまれたこと。内陸に新しく大規模ハウス団地が建ったけれど、自分たちはより一層こだわったブランドを目指し、独自に組合を作ったこと。ただ売るのでなく、イチゴへのこだわりが直に伝わる売り先を求めていること。互いに、「もっとイチゴが取れるようになったら、今度は支援でなく取引をしましょう」と、約束し合って別れた。
それから4年。2017年11月、洋菓子店にイチゴを届けていた兜森さんは、業務用イチゴ専門業者として独立した。安孫子さんや森さんらの要望で「おらほのいちご」も取り扱うことにした兜森さんは実際に亘理へ行き、平間さんたちが一粒一粒、ヘタの際まで色づいてから摘む姿勢に納得した。それだけではない。「荷物に何かあったら直すから教えて、と言われたんです。農家さんとそこまで話せたのは初めてでした」と兜森さんは言う。平間さんも「イチゴの行く先は全部、顔を合わせて知っています。だから一層、作りがいがある」という。
梱包から輸送まで互いに工夫を重ねた結果、おらほのいちごは兜森さんが胸を張って届けるブランドの一つになった。4年前の「今度は取引を」の約束は、こうして実現した。
この冬も、赤いイチゴは北海道のケーキを彩る。香りも味も、今からが最高潮だ。
(文・深江園子/写真・吉村卓也)
札幌市豊平区月寒西3条10丁目 1-16
011-855-5078
札幌市清田区美しが丘2条2丁目 9-10
011-886-5455
以下のケーキ店では「おらほのいちご」を使ったケーキが買えます。青果店では「おらほのいちご」が買えます。※3月20日頃までの予定ですが、イチゴの入荷状況によっては取り扱いがない場合があります。
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