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この寄席を開いたのは、「狸小路に常設演芸場をつくる会」という市民団体。「狸小路」と名前がついているのは、活動を開始した2013年に、狸小路5丁目の劇場「札幌プラザ2・5」を会場としていたから。今回の寄席をお寺で行っていたのは、その会場が改装され、今は「サツゲキ」という映画館となったため、これまでのように使えなくなったからだ。明治時代には実際に狸小路に「寄席」があり、庶民の娯楽の場として賑わっていた記録もある。
「寄席」とは、落語を中心に、「色物」と呼ばれる落語以外の漫才、講談、マジック、きり紙、といった出し物を総合的に見せる興行だ。寄席で最後に出演する者をトリ(主任)と呼ぶが、これを勤められるのは基本的に「真打ち※」の落語家のみである。トリまでどう寄席を持たせるか、個々の演じ手の技量だけではなく、それらを複合的に組み合わせ、どんな芸人さんをどの順番で出すかというプログラムを作っていく作業、寄席用語で「顔付け」というプロデューサー的技量も求められる。(※江戸落語では前座、二ツ目、真打ちの三階級がある)
「つくる会」は、一般市民有志によってできたボランティア団体だ。代表を務めるのは、会社員の住出尊史さん。寄席に関わるようになったのは、偶然とも言える出逢いがきっかけだった。
住出さんは、札幌旭丘高校出身。人づてに、同級生が大学の落語研究会を経てプロの落語家になったという話を聞いていた。その同級生は春風亭柳朝さん、本名・谷田正宏さんだ。高校時代、それほど親交があったわけでもなく、特に落語好きでもなかった住出さんだが、東京に行ったときに、「同級生の落語でも聞きに行くか」と軽い気持ちで上野の黒門亭で開かれていた高座に出かけたのがこの活動に関わるきっかけとなった。
落語だけ聞いてそのまま帰るつもりだったが、帰りがけに目が合って、柳朝さんから「あれ、住出君じゃない?」と声をかけられた。「やぁ、谷田君」と、積もる話に花が咲き、その後同窓生のサポートも加わって、翌年には札幌で柳朝さんの落語会を開催してしまった。やってみたら、これが人気で、なにより面白い。その後、現在副代表の金山敏憲さんらを巻き込みながら、「柳朝落語会」を数年続けていたが、落語会としてだけではなく、東京でやっているような寄席を目指すことにした。柳朝さんとも前座時代からの知り合いで気心が知れ、札幌でも自身の会を開催し、大の北海道ファンでもある柳家三之助さんとその会のメンバーとともに、狸寄席を立ち上げることになる。
そんな同窓生たちの動きをニュースで知って気になっていたのが、現在、もう一人の副代表を務める福井拓史さんだ。福井さんも札幌で司法書士事務所を経営しながらボランティアで運営に関わる。同窓会の幹事会の席で「本当に『寄席』にしたいならやり方を考えよう」と、住出さんに提案した。
「あのままでは長続きしないと思った。同級生だから言えたこともありますね」と福井さんは当時を振り返る。自身も東京に何度か寄席を見に行き大いに影響を受けるが、同じスタイルを札幌で実現しようとしても無理だということもわかった。
資金は入場料収入の他、賛同してスポンサーになってくれる企業や個人を求めて、2人で営業に回った。寄席や落語のしきたりや「顔付け」なども含めて、狸寄席のレギュラーメンバーともなる柳朝さん、三之助さんがアドバイスをし、サポートした。
「町に文化があることの大切さ、外から来たものを消費するだけでなく、生み出す場所にしたいということを思って賛同してくれる人は多かった」と住出さん。
これまで公的な支援には頼らず、運営スタッフもボランティアだ。持ち運びできる高座の演台も、自分たちで木材を組み合わせて作ったものだ。
「こういうことをやってます、と興味がありそうな人に説明に回って。今で言うクラウドファンディングのアナログ版みたいなことをやってました」と住出さんは言う。
狸寄席は言ってみれば素人(しろうと)の市民による運営で、本業を持ちながらのボランティアだ。落語家の出演はその多くを東京や大阪に頼ることになり、資金的にも負担が大きい。そんな中で、札幌という地方都市でどういう「寄席」のスタイルが可能なのか。
「文化を作る活動だと思っていますが、それが北海道ではどのような形でできるのか、まだ見えない状況です。お客さんの意見も受け入れながら模索中。でもやり続けないと終わってしまう恐怖感があります」と福井さん。
住出さんも、「まだ揺らいでいます。常設となると建物の問題等、ハードルは高いです。来てもらう落語家さんにも理解していただき、『色物』を担当する地元の芸人さんにも育って欲しいですね」と話す。
代表の住出さんは4年前に静岡県に転勤になったことで、今は東京の落語家さんとの交渉を担当、副代表の福井さんが主に札幌の芸人さんの発掘と交渉に当たっている。また、若い世代のスタッフも会に加わるようになった。
冒頭に触れた9月5日の狸寄席は、出演者の1人で今年3月に真打ちになった三遊亭志う歌さんの昇進披露を兼ねていた。志う歌さんは真打ちになる前の「二ツ目」の時代、三遊亭歌太郎の名で狸寄席にもこれまでに2回出演している。この日は、入門した師である三遊亭歌武蔵さんも出演した。志う歌さんはトリを含めて1人で3席を演じ、大きな笑いと拍手を浴びていた。
志う歌さんは東京生まれの東京育ちだが、狸寄席で北海道を訪れたときにふらりと立ち寄った小樽の町がとても気に入り、住まいを借りてしまった。小樽は今や第二の故郷であり、充電する場所になっているという。志う歌さんに狸寄席について聞いた。
「北海道には北海道のやり方があると思います。一から十まで東京の寄席を真似る必要はないでしょう。落語以外の『色物』で、地元の芸人さんが、単なる発表の場ではなく、この寄席に対する思いを強く持てる場所になっていくとよいと思います。私は小樽に家もあるし、呼ばれればいつでも来ますよ」と話す。
今回の狸寄席に出演していた「色物」系の芸人さんたちのほとんどは札幌在住だ。その中で、きり紙芸人の「キリガミストちあき」さんは常呂町(現北見市)出身、札幌の短大でデザインを学び、今はきり紙のパフォーマンスを道内各地で行っている。昔テレビで見たことのあるきり紙の技、間近で見ると、巧みな話術で観客の笑いを誘いながら即興で見事な作品ができ上がるのに感動する。観客からも感嘆の声があがる。地元にこんな芸人さんがいたことに驚いた。
「狸寄席は東京の寄席のように、食べたり飲んだり、ぶらりと訪れることができるような粋な雰囲気を大事にしていると思います。地元の芸人としては、演じる場がいつもあるのはとてもありがたい。あそこに行けばあの人が出てる、と思ってもらえるのがいいですね」と、ちあきさん。
次回の「狸寄席」は11月21日土曜日、同じく成田山新栄寺で開かれる。寒さも深まる初冬の一日、笑いの中に身を置いてみるのもよさそうだ。
(文・写真:吉村卓也)
北海道でも笑いを主とした演芸場を作る動きはいろいろとあったし、今もある。1999年に小樽に吉本興業の「小樽よしもと」がオープンしたが3年後に撤退。上方落語の桂枝光さんは2005年からさっぽろ市民寄席として「平成開進亭」という名の公演をいろいろな会場で開いている。2017年には札幌在住の林家とんでん平さんが「すすきの演芸場」を開設、その後「新琴似演芸場」に移転して毎月末に公演を行っている。また、十勝出身の上方落語家・桂三段さんも札幌を拠点に公演を行っている。
※狸小路に常設演芸場をつくる会(狸寄席の会)への問い合わせは、副代表の福井さん(さっぽろ福助司法書士事務所) 011-300-2929まで。 サポーターも随時募集している。
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
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冷汗〜〜!(Y)
えーー!(Y)
急に奥様に言われたら動揺しますよね。ケースで良かった・・・・(H)
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