夕張郡長沼町。大きな空、広がる大地、札幌から1時間以内で、典型的な北海道を思わせるような風景に出合える。もともと、そして今も、ここは農業が産業の中心の地帯だ。大豆の生産量は北海道一を誇る。
観光名所となるような、山や海や湖がある訳ではない。人口約1万人。そんな小さな町に、およそ15店のカフェ、5店のベーカリー、10店の雑貨屋があり、観光客入込数は年間約185万人と、ここ数年で倍近くに伸びている。人気の道の駅「マオイの丘公園」は通年にぎわい、春から秋にかけては近隣農家の新鮮な野菜を買いに来る人も多い。
ファームレストラン、という言葉がある。農家で取れた新鮮な野菜を食材として提供する。同町にある「ハーベスト」はその先駆けだ。
代表の仲野満さんは、リンゴなどの果樹と畑作を営む農家だ。もともと深川でリンゴの専業農家だった父が30代の頃、新しい分野に進出するために長沼町に移住した。父はいまだに、「あぁ、深川から来た仲野さんね」と言われるというが、満さんは中学校から長沼育ちだ。
若い時は農業が好きではなかった。手がかかる果樹の手入れで女性が苦労するのを間近に見ていた。子どもの頃、母親と遊んだ記憶がない。十勝のような機械化した大規模農家に憧れた。農業系の短大に進学し、道内のさまざまな地域の農業後継者達と出会う。高度成長期。「都会の連中が彼女を連れてやって来ると、自分の仕事が恥ずかしくてね。当時農業は全く不人気でしたから」と当時を振り返る。
25歳の頃、たまたま本屋でログハウスの本を見つける。そこでは、自然の中の暮らしがかっこよく描かれているのを見て、「へえ、いいもんなのかな」と思った。
自分でも作ってみようと、1人で6坪のログハウスを建てた。友達からも褒められて、すっかりのめり込んだ。さらに大きいものを4年間かけて組み上げた。
「農業がかっこ悪いと思われたのが悔しくてね。憧れの農業者になりたい、という気持ちもありました」と当時を振り返る。
当時は、農地で商売をする例はほとんどなく、許可を取るには苦労した。最初はリンゴジュースやアップルパイ程度でこじんまりとやろうと思っていたが、どうせやるなら大きくやろうと、1995年にレストランをオープン。シェフは雇わず、家族や近隣の人が料理を担当する。
「いい材料と、地域のスタッフに支えられた家庭料理ですよ」というが、店は人気となった。通り道にあったから入る店ではなく、わざわざここに食べに来るための「目的地」になった。
「開店当時は『あんなキツネしか来ない場所で何すんだ』と言われましたが、今は『あそこは場所がいいから人が来るんだ』、ですよ。時代は変わりましたね」と笑う。
ハーベストが先駆けとなり、ファームレストランを名乗る店は増えた。「昔はライバルだと思いましたけど、今は同じ志の『仲間』ですね」。
町内には新規に開店するカフェが多い。その中でも老舗は「丘の上珈琲」だろう。中心部から外れた、文字通り丘の上にある。店主の武山敬二さんは、千葉県生まれ。東京の高校に通い、大学進学で札幌へ。札幌・宮の森にあった名店「リヒト珈琲」のコーヒーに感銘を受け、自分でも焙煎を始めた。自分で焙煎した豆を持ち込んでは、師と仰ぐリヒトの店主に見せ、「ほぼ押しかけのような形で」勉強させてもらった。その後、1984年に札幌市北区麻生で喫茶店を開いた。
「首都圏で暮らしていたころは、勤め人になる暮らしが当たり前だと思っていましたが、北海道暮らしでその考えは変わりましたね。好きなことをやっている人がたくさんいた。可能性のある土地だと感じました」と話す。
現在の店の場所を選んだのは、札幌の住宅地では煙の出る焙煎がやりにくくなったという消極的な理由で、人里離れた場所が好都合だったから。1989年に長沼町に焙煎所を移し、96年には喫茶店もオープンし、それから約11年以上札幌の店と2店舗を営んだ。長沼に店を構えた最初の3年くらいは「全くダメ」というほど客が少なかったが、その後、突然人が来るようになった。2008年に札幌の店を閉じ、長沼の店に集中した。2階窓際の席からは遠くに広がる大地を見下ろす。「ここに座っていると癒されますね。東京の生活を知ってるから、あれをやらなくていい、というだけで気が楽ですよ」と語る。
そんな武山さんが、「この地域にエネルギーを注入してくれる人」と語るのが、2017年から近くで宿泊施設「MAOIQ(マオイク)」を営む、武隈洋輔さんだ。
札幌出身で、元は企業の営業職。移住する場所を探して北海道中を回っている中で、長沼町が気に入り10年くらい通っていた。
「札幌や空港が近いという距離感」は1つの決め手だったという。現在、1棟貸しの宿泊施設2棟を営む。最初は「カフェもいいかな」と考えていたというが、町に泊まれるところがほとんどなかったこともあり、自分でやることを決めた。
「長沼は通過する町でしたからね。留まって欲しいと思いました」という。
メインの宿泊棟は2階建て。木の壁、大きな窓。1階には薪ストーブ。2階にキッチン。4名まで泊まれるが、1人や2人の利用が多いという。客層はおおよそ、道外7、札幌圏2、海外1の割合だという。
移住してから丘の上珈琲の武山さんと知り合い、店舗の1階にある貸切の個室「koyamame焙煎所」をプロデュースして運営もする。引っ越してきた武隈さんが、同店の武山さんを訪ねたとき、「コロナ禍でも安心してコーヒーを飲める場所がない」という話から、個室カフェを提案するに到った。
武隈さんは、観光業や宿泊業はこれまでに経験のない分野だったが、宿に泊まったお客さんが感銘を受け、店舗や空間のプロデュースの仕事を依頼されることが増えてきた。リピーターも多いという。
「宿泊業をやるとは全く予想外の展開でした。人生何があるかわかりませんね」。
新しい店に目を転ずると、23年4月に中心部にオープンしたコーヒー豆の販売をする「ばいせん屋 habu」と「みつあみ美容店」が隣同士にある。ばいせん屋は室蘭出身の土生佳祐さん、美容室は妻で千葉県出身の土生知夏さんが経営する。お互いに東京で約20年間仕事をしていたときに知り合った。室蘭への帰省がコロナで長いことできなくなり、やっと出かけられるようになった時、「せっかくなら家族で北海道旅行をしよう」と、いろいろな場所を訪ねた。旅の最後にたまたま寄ったのが長沼町。そこで見た夕日にやられた。「この夕日が好きだ」。東京で開業しようと思っていたけど、こだわる必要はない。ここでやろう、と移住を決断した。
「大切なものの優先順位が変わりました。今までは仕事中心だったのが、家族との生活が最初に来るようになりました」と知夏さん。
春から小学校に入る息子さんがいる。「東京での暮らし方を変えたい、というのもあった。家族3人でどのように暮らしていくか、ということを考えるようになりました」と佳祐さんは言う。
町の中心部にある「ながぬまホワイトベース」という施設はシェアオフィスだ。ここに会社を構えるのは、Regional Design株式会社の滝川徹也さん。約20年間、航空業界で勤務し、営業や販売促進、地域連携事業を東京と札幌で担当していたが、2021年に退社して独立した。札幌で勤めていたときも長沼から通っていたこともあり、仕事の拠点は北海道を選んだ。
地域産品の商品企画や流通を扱う「地域商社」的仕事の他、仕事の分野は多岐に渡る。
「アクセスがいい、きれいな田舎」と長沼町を評する。
「長沼でしか見られない風景」と滝川さんが言うのが、マオイの丘から見下ろす土地の広がりだ。丘の斜面にあるワイナリー「馬追蒸溜所」のブドウ畑のてっぺんに作られたテラス「maoi salud」(saludはスペイン語で「乾杯」の意)をプロデュースした。時間貸しで、テラスの椅子に座り、この風景とこの土地で採れたものをただただ楽しむための場所だ。有名な観光地に行くのではなく、きれいな景色や農の風景がある地域のふだんの暮らしのスタイルを、訪れる人も感じ、楽しむ。そんな旅のスタイルを「ライフスタイルツーリズム」と呼ぶらしい。新しい観光のスタイルが形づくられようとしている。
新しい人たちが、新しい動きを作る。行政はそれをどう見ているのだろう。長沼町役場政策推進課の髙田和孝さんに話を聞いた。自身も釧路市からの移住者だ。
「これまでは農業を産業の中心としてきた町でしたが、観光入込客数が右肩上がりで伸びてきていることでその分野も盛り上がってきました」と語る。道内自治体の多くが使っている、都市部から過疎地へ人材を派遣する総務省の事業「地域おこし協力隊」の受け入れも今年度から始め、新しい分野に力を入れようとしている。点在するカフェは訪れる人の人気も高いので、町内のデジタルマップの制作も計画中だ。
移住者の呼び込みに熱心な市町村の中には、新規出店に積極的に助成金を出したり、優遇施策を行っているところも多いが、長沼町にそれはほとんどない。にもかかわらず、ここで店を出したいという人が多いのは、「札幌という大きな都市と空港への近さは大きな要素ではあるが、事業者の人柄、店づくり、事業者のコミュニティーがあることが他地域と比べアドバンテージになっている」と分析しつつ、「お店が集中することで訪れる人も増える。人がやってくる地域にさらに出店希望が増えるという相乗効果がありそう」と語る。
雪どけも近い。出かけるのも楽しい季節。一日では回れない数の店が点在する長沼町。お気に入りの店を見つけに通ってみるのも楽しそうだ。
(文・写真:吉村卓也)
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