札幌軟石は北海道の古い建物や倉庫の壁などに多く使われている石だ。歴史的建造物には多く使われているが、その優しく軟らかな風合いは再び脚光を浴び、新しいカフェやレストラン、アパレルショップの装飾などに使われるようになってきた。
そんな札幌軟石を手元に置きたい、と生まれたのが「かおるいえ」だ。軟石でできた小さな家、そこにアロマオイルをしみ込ませ、好きなところにちょこっと置く。家からは、ほんのりといい香りが漂う。適度に空気を含み、水分がしみ込みやすい軟石の性質をうまく利用している。
「かおるいえ」は2012年、札幌軟石を切り出して販売している札幌市南区の辻石材工業株式会社の社員だった小原恵さんのアイデアから産まれた。
なぜか子供のころから石の建物が好きだった。札幌に住んでいた小原さんは、小学生のころ、月一回小樽の祖父のところに家族3人で遊びに行くのが楽しみだった。小樽には石造りの建物がたくさんある。石蔵の並ぶ町を歩き、かまぼこを買って、市場を覗いて魚を買い、帰ってから父がさばいてみんなで食べた。後に両親は離婚。家族3人で出かけることはできなくなったが、あのとき見た小樽の石の建物は記憶に深く残っているという。
「軟石で何かを作ろうと思ったとき、最初に浮かんだのは小樽の石蔵をミニチュアにすることでした」と話す。
18歳でバスガイドになる。2年半で辞めて道外へ。関東で10年暮らす。そのまま留まることも考えたが、結局生まれ故郷の札幌に戻る。いとこの紹介で石材会社の経理担当の職を得た。もともと好きだった石との再会である。
会社の石切り場に行き、大きな石も最後は人の手によって仕上げられているのを初めて知った。今も残っている石の建物が貴重なものに思えてきた。あるものは残していきたい、と思った。
当時の石材会社の稼ぎ頭は墓石だった。古いものを残したら新しい石が売れなくなる、という考えが支配的だった。小原さんは、古いものの価値に気づく人が増えれば、新たに欲しいと思う人も増えるはず、と思った。加工して残った端材は、使われるあてもなく捨てられていた。これで何か作りたい、漠然とそう思った。だが、身近に置ける軟石グッズを作りたいという小原さんの思いは、女子事務職員の夢物語として、なかなか現実には近づかなかった。
2012年5月、それでも会社の理解を得て、近くのアートマーケットで試験的に軟石グッズを売ってみるところまではこぎつけた。そのときの客の反応の多くは、「なんで石なんか並べて売ってるの?」というものだった。
アンケートを取ってみると、50代以上の地元南区の人しか軟石を知らない。若い人はほとんど知らないことがわかった。
「このまま10年、20年たったら誰も軟石を知らなくなる」と思った。
軟石を使った小物を作るワークショップも、子供から大人向けまで積極的に行った。これまでは思いもつかなかった石の使い方だったが、石切り場で働く職人さんたちも協力してくれた。
軟石のグッズ製作に専念するため、小原さんは2014年石材会社を退社する。
障がい者の就労支援施設に転職し、事業として軟石加工を始めるが、半年足らずでその施設自体が閉鎖。新たな制作場所を探していたところ、ちょうど札幌軟石で作った民家が借り手を探していて、念願の石の建物に移転。2015年8月に工房とショップをオープンし、「軟石や」として今に至っている。
中に入ると、かおるいえや軟石の小物がきれいにディスプレーされたショップの隣の部屋から、機械のうなる声が聞こえる。防塵マスクとゴーグルで完全装備したスタッフが、軟石を削っている。
「軟石や」は札幌市南区石山にある。かつて札幌軟石が多く切り出された場所だ。近くにある石山緑地は採石場の跡地、国道230号、通称「石山通り」も馬車鉄道で石を運んだ名残だ。かつて多くの石工たちが住み、にぎわった地域も今は高齢化が進む。
「石山地区を観光客が来る場所にしたい」と小原さんは言う。
「雪まつりだって、最初は数人が始めたもの。きっと楽しいからやったんだと思う。私たちも同じなんです」。
「北海道を離れる人に記念になるものを贈りたくて」と、軟石やを訪れたお客さんが言った。
4万年前の火山の噴火が作った賜物。開拓時代の北海道で多くの人の生活を支えてきた。今、軟石の採石場は北海道で一つだけになった。(文・写真:吉村卓也)
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