AFC アサヒファミリークラブ

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旧市街の住人が見渡す、函館。

函館“旧市街”で暮らし、働き、楽しむ。
歴史の街を生かす、人々の営み。

ラ・コンチャ
「函館西部地区バル街」に賑わう深谷さんのバル、「ラ・コンチャ」。
バル街はこれまで32回開催している。(写真提供:函館西部地区バル街 実行委員会)

 函館山から見下ろすと、足下から渡島半島に向かって扇型に陸地が広がる。トンボロ(陸繋島)という珍しい地形だ。扇の手元から要(かなめ)のあたり、函館山の西の裾地が「西部地区」。ここが江戸末期から開港時代に栄えた旧市街地で、今も歴史的街並みで知られる。一見、過去のものに見えるこの地区には、地元っ子の暮らしや価値観が息づいている。それらを体現してきた、2人の市民の話を聞いた。

深谷宏治さん
レストランバスクの深谷宏治さん。客席で、自家製の生ハムを自ら説明しながら切り分ける。

自家製生ハム
自家製生ハムは輸入物などない時代から毎年仕込み、翌年出す。切りたてがおいしい。

渡島半島の料理
「渡島半島の料理」、コースの始まりはピンチョス(楊枝でつまむ一口料理)盛り合わせ。甘海老のクリームコロッケ、北限のひじきと生ハムの煮物、豚肉のシシトラ(自家製ソーセージ)など、主に地元消費される食材や、一手間かけることでおいしくなる食材を小さな料理にする。

食卓で渡島半島を見渡すレストラン

 旧市街地で生まれ育ち、スペイン・バスク地方で料理修業をした深谷宏治さんの店「レストランバスク」は、日本のバスク料理店の草分けだ。それだけではない。市民が旧市街を飲み食べ歩く「函館西部地区バル街」や、国内外の料理人が集う「世界料理学会 in HAKODATE」も、深谷さんと仲間たちの“たくらみ”だ。街の魅力を伝えながら経済も回す2つの名案は、全国の手本になった。アイデアと実践の根っこにあるのは、旧市街育ちの料理人の視点だ。

 「半島の料理」というコースを味わってみた。もちろん函館のある渡島半島のことだ。バスクの伝統料理を丁寧に洗練した、でも余計な飾りのない清々しい料理だ。食べるうちに気持ちが落ち着いていく。

 深谷さんは80年代から、産地や生産者のはっきりした食材を探し、当時手に入らなかった生ハムをつくり始めた。現地にいた人から種をもらったスペイン野菜やラズベリーも無農薬で育てた。「当時からほぼ半島の食材だったけれど、それが当たり前だと思っていた」。だが2年前に名を付けたことでコースの意味が伝わりやすくなり、名物として定着した。

 心にあったのは、現代スペイン料理の父と呼ばれる恩師、ルイス・イリサールさんの激励だ。70年代、港町サン・セバスチャンは不景気で、師匠のイリサールさんは美食の力で人を呼び戻そうと燃えていた。実際、90年代にサン・セバスチャンは世界屈指の美食の街に変貌し、ミシュランの星の数が人口比世界一と称されるようになった。

 一方、自分はゼロからのスタートだ。不安は大きく重かったが、方針に迷いはなかった。

 「故郷の食材で、まっとうなバスク料理をやれよ」。スペインを離れるとき、イリサールさんはそう言った。「まっとう」の意味は、バスク人が食べても納得のいく料理という意味だ。深谷さんは修業時代を心に留め、肉や魚を余さず使い、常に工夫し、新奇な仕掛けより味の満足感を大切にすると決めた。時代がエコロジーを叫ぶ前から、地方の料理人は名のない、でも大切な価値観を淡々と保っていた。

 港のそばで育った深谷さんは、子どもの頃から函館の自然が大好きだ。今も2時間もあれば海で泳ぎ、あるいは函館山をひと登りしてくる。

 「父は勤め人で、夏の夕方になると水着を取りに家へ寄り、仲間とひと泳ぎしてから帰ってきました。それから家族と夕食がとれる、ここはそんな街なんです」。

◆レストランバスク 函館市松陰町1−4
 TEL 0138-56-1570

◆ラ・コンチャ 函館市末広町14−6
 TEL 0138-27-2181

※函館市街は路面電車での移動が便利。レストランバスクは「杉並町」、ギャラリー村岡は「十字街」電停が最寄りで、乗車時間は40分ほど。

変わらない、意志を持つ街

 旧市街のフォトスポット、石畳の大三坂。3つの教会と1つの寺が集まるそのすぐ上に、工芸ギャラリー「ギャラリー村岡」がある。店主の村岡武司さんは十勝の音更町から東京へ進学。帰省の途中で函館の親類の家へ滞在を重ねるうちに街に魅せられ、旧市街に住んで40年近くになる。消費経済が加速する東京と、馬の力を借りて農業を営んでいた故郷の間を旅していた青年の眼に、函館は「変わらない意志を持った街」に見えた。歩くほどに建物一つ一つが面白く、興味を引いた。ロープウェイで函館山から降りてきた辺りに、今の店舗がある。

 「この界隈に住みたいと知人に相談して、幸運にも見つかったのがこの場所でした」。故郷に帰らなかったのは、田舎もまた変化の中にあったからだ。成長=善という価値観で日本中が走り出した時代に、ここは「変えないし、変えようとしない意志を持った街だ」。そう思って移住した村岡さんは、工芸家や建築設計家の仲間たちと、長い間放置されていたレンガ造りの郵便局舎(明治44年築、現「はこだて明治館」)を再生利用する「ユニオンスクエア」の活動に参加することになった。

 「この大きな郵便局は、当時の函館の情報と物流の中心だったはず。その記憶が残る建築に、仕事や商売やアートなど、人の集う物事があってあたりまえだと思いました」。

 この他にも、村岡さんを含めさまざまな立場の市民が、函館山山麓の高層マンション建設への意見表明をはじめ、旧市街の景観が「変わらない」ために何度も行動してきた。それらは時に経済の理屈に抗いながら、じわじわと「建物を生かしながら守る」函館の流れになった。

 この街へ来る人に、村岡さんはこう伝えている。「湯の川方面からうちへは、市電でのんびり来ませんか」と。

 「今の旧市街地ができた時代、物流は風力で動く船だった。次に石炭と鉄道の時代になって、街は函館駅前へ広がった。そして石油と車の時代に、五稜郭から湯の川や内陸へつながっていった。エネルギーの変遷とともに街の重心が移っていった様を、車窓の景色でさかのぼることができますよ」。空港からなら、始発の停留所「湯の川」から「函館どつく前」と「谷地頭」ゆき、どちらに乗っても西部地区の「十字街」まで約35分の道のりだ。

誇り高き旧市街の“あたりまえ”

大三坂から港の方向を見下ろす
大三坂から港の方向を見下ろす。突き当たりに見えるのがバル・レストラン「ラ・コンチャ」で、かつての深谷米穀店。大正時代の建物は今も現役だ。

ギャラリー村岡
函館聖ヨハネ教会下にある「ギャラリー村岡」は、この界隈を大人の散策路にした一軒。絵はがきから古材の家具まで、作家の技と時間がこめられたあらゆる作品を眺め、手に入れる楽しみが詰まっている。

カトリック函館元町教会
ギャラリーの窓から見えるカトリック函館元町教会。季節ごとに窓を飾るステンドグラスは江別市の作家、石戸谷準さん作。ご町内の作家から、店を訪れる道外の作家まで、村岡さんから興味深いエピソードを聞くのも楽しい。

 「ヨーロッパでは旧市街地は憧れの場所で住むのも高い。その点、函館の旧市街ならまだ手が届く。今使われていない古い建物の価値に誰かが気付けば、ガラリと状況が変わるかもしれない。実際に移住した人もいるし、僕らの仲間で古民家を扱う不動産会社も現れた。使いたい人に譲ろうという持ち主も、だんだん増えるような気がする」と深谷さんは言う。

 深谷さんや村岡さんがしてきたことは、いわゆる「建物保存」とは違う。実際に人の営みがない建物は、生きているとは言えないからだ。

 深谷さんは、大正10年に祖父が建てた和洋折衷形式の建物(旧深谷米穀店)の二階に住み、一階ではレストランの姉妹店、バル「ラ・コンチャ」を営んでいる。

 そこから港沿いに歩いて7分の「港の庵」は、明治35年築の商店建築(旧松橋商店)。深谷さんと仲間たちが借り受けた上、意匠を復元して美しく蘇えらせた。今は紳士クラブ「臥牛快食倶楽部」のクラブハウスとして、会員主催の食事会や音楽ライブなどに使いながら維持する。

 旧市街の人々が“あたりまえ”と呼んで実践してきた、街と暮らしを持続させる営み。それこそが、函館の街をたまらなく魅力的にしている。

(文・深江園子/写真・吉村卓也)

◆ギャラリー村岡 函館市元町2−7
 TEL 0138-27-2961

函館の”旧市街”を食べ歩くイベント「バル街」、今年も開催!

次回:2020年4月18日(土曜日)・8月30日(日曜日)

函館西部地区バル街は、春と秋の一日限りの催しです。

5枚綴り(前売3,500円、当日4,000円)のチケットを事前に買い求め、参加店約70店を自由に巡ります。チケット販売は開催の1ヶ月前。参加店ほかでの前売り券販売のほか、インターネット予約(当日現金引換・数量限定)も受付。詳しくは、公式ウェブサイトへ。

https://www.bar-gai.com/