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シュトレンは、リッチな配合の発酵生地にドライフルーツなどを入れて焼き、外側をバターと砂糖で覆った甘いパン菓子だ。主材料はバター、砂糖、小麦粉、牛乳、ドライフルーツ、アーモンドと砂糖をすり合わせたマジパンなど。そこにモーン(ケシの実)を入れるとモーンシュトレンなどと、その他の材料で名前が変わる。
発祥はドイツのザクセン州と言われ、オランダ、オーストリア、フランス北部などで食べる。この贅沢なパン菓子が宗教上の暦と結びつき、クリストシュトレンと呼ばれるものはキリスト誕生を待つアドベント(12月24日までのひと月弱の期間)に食されるようになった。日曜日ごとにクランツ(リースを寝かせたような輪飾り)のろうそくに一本ずつ火を灯し、4本灯ると嬉しいクリスマス。そんな食卓にあるのがクリストシュトレンだ。スライスして少しずつ味の変化を楽しむ食べ方も、日持ちのする冬のお菓子らしさがある。
ドイツと似た気候風土の北海道にも、シュトレンを大切に作る人がいる。北海道の人は、冬の厳しさを体感で知っている。いくら便利な時代になっても様々な冬支度をし、夏の恵みを蓄えて冬を豊かに過ごすことが無意識の中にあるように思う。筆者の記憶では1977年創業の札幌「ブルクベーカリー」、1987年創業の七飯町「こなひき小屋」(現在は二代目)などが早く、2000年前後には道内のフランス菓子店で買うことができた。今では北海道でシュトレンを作るパン店、菓子店は数え切れないほどだが、その中にドイツ人マイスターに学んだスイス・ドイツ菓子店「ビーネ・マヤ」(札幌市白石区)がある。
10月下旬、ビーネ・マヤの店先にスパイスの香りが漂い始める。スイスやドイツのお菓子は生地のおいしさが特徴で、生地にほんのり香るスパイスが、また欲しくなると言われる所以だ。店主の岩川芳久さんは札幌の洋菓子店で働いた後、1981年に上京。紹介された先が、かつて吉祥寺にあったスイス・ドイツ菓子の店「ゴッツェ」だった。渡欧から戻った職人たちの開業ラッシュで、フランス菓子の勢いが目立った時期だ。
「並んだケーキを見て、うわぁ、地味だなと…(笑)。でも隣のショーケースに30種類のチョコレートがきれいに並んでいて、これはすごい!と思いました」。
岩川さんはそれから3年間、ベルリン出身のマイスター、ウォルフガング・ポール・ゴッツェ氏(故人)の下で修業した。店は伸び盛りで忙しく、仕事は厳しかった。特にいけないのは食材やお菓子を無駄にすることで、見つかろうものなら雷が落ちる。実際、お店は売り切れ閉店が多く、商品を捨てることはほとんどなかったという。
そして厨房には、材料作りという地味な仕事が膨大にあった。粉砕機でアーモンドやヘーゼルナッツを挽き、飴掛けしたナッツと砂糖をなめらかになるまで機械で練り続けるといった作業だ。「買える材料を、なぜわざわざ作るんだ!と憤っていたけど、後でこれが宝物なんだなってわかりました」と岩川さんは笑う。厳しいばかりではない。師匠は自分が若い頃の失敗談を語り、ドイツパンを焼いて賄いに出して現地の味を教えてくれた。
そして10月のある日、「シュトレンを作ります、私が教えますから一緒にやりなさい」と言われる。最初の年は叱られるばかり。2年目は段取りを覚えた。毎日70本製造し、1500本を売り切っていた。当時まだなじみのないシュトレンの食べ方やおいしさを知ってもらうため、店では試食を出していた。ゴッツェさんは「大きいものほどおいしいから」と、大小あるうちの大きいほうをスライスしていた。
その後、岩川さんは家族の事情で帰郷。88年にはスイスとドイツに念願の研修にも行き、2001年に今の店を開いた。ゴッツェさんは「シュトレンはおいしいのを作ってね」と言い、岩川さんは毎年師匠にシュトレンを送っていた。「食べた感想を頂いて、ゴッツェさんのお店のシュトレンも送ってくれました。それを食べて、やっぱり美味しいなと気持ちを新たにしていましたね」(岩川さん)。砂糖とバターが多いシュトレン生地はイーストが働きにくくデリケートだ。例えば、ラム酒で戻したレーズンは、生地の食感が変わらない程度に水分を調整する。それをオーブンの上で温めておくのは発酵生地を冷やさないためだ。岩川さんはドライイーストを使うが、本来なら他の材料と一緒に直接ミキサーに入れて使うところを、いったん水と小麦粉を少量混ぜてイーストを目覚めさせ、それから生地に加えるのが習慣だ。高価な材料を惜しみなく使う緊張感もあるのだろう。丁寧さが味の一体感と、しっとり、ほろりとした食感を生む。
「ゴッツェさんは2016年に亡くなりましたが、今でも毎年、奥さんにシュトレンをお送りしています」。ビーネ・マヤには、ゴッツェさんから贈られた菓子型を使ったお菓子が今も並んでいる。
クリスマスが古代宗教の冬至に由来すると言われるのは、人間が原始から「太陽の復活を待つ」ことをしていたからではないだろうか。ならばクリスマスのシュトレンは「待つ心」を含んだ食べ物に思える。ほの暗い朝にも小さな楽しみを見つけ、長い冬に春を待つ。北海道のシュトレンを食べてみれば、その心持ちが少し、伝わるかもしれない。
(文:深江園子、写真:吉村卓也)
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