札幌から車で約90分、小樽からさらに西へ進むと仁木町に着く。隣の余市町と共に果樹栽培が盛んなところだ。トマトやサクランボが有名だが、とあるブドウ園で北海道らしからぬ風景に出会った。ブドウ棚からいっせいに垂れ下がっているのは、青色の袋がかかった見るからに大きそうなブドウ。生産者に袋を外してもらうと、現れたのは輝くような黄緑色、はちきれんばかりの実がついたシャインマスカットだ。これまで北海道ではできないと言われた大粒ブドウ。ついに北海道にも大粒ブドウの時代がやって来るのか。
最近のブドウといえば大粒で皮ごと食べられるものが大人気だ。色も、黒系、赤系、緑系とさまざまで種類も豊富だが、北海道の気候では栽培が難しく、シャインマスカット、巨峰、ピオーネといった人気の大粒ブドウは道外からやってくるものだった。
北海道のブドウといえば、ナイアガラ、キャンベル、ポートランド、スチューベンといった小粒のもので、皮は硬く、種もある。これを一度に1〜2粒指でつまんで口元に持っていき、指で押してつるりと皮を外して口の中に押し出し、チューチューと皮を吸う。種は気にせずそのまま飲み込むか、吐きだすかは人それぞれ。止まらなくなる美味しさで一房などあっ
という間、というのがかつてのブドウの普通の食べ方だった。生食ではなく加工に回るものも多かった。
巨峰という大粒黒ブドウの傑作が静岡県で生まれたのが1937年。さらに種無しをつくる技術も進み、種無しのピオーネや、種無しの巨峰も現れ、世の中はすっかり大粒種無し中心の時代に。そして、1988年、大粒ブドウのスーパースターが産声をあげる。18年の歳月を経て、2006年に「シャインマスカット」として品種登録された緑色のブドウだ。皮ごと食べられる手軽さ、ぱんぱんに張った輝くような特大の実は、もはや芸術品といってもいいほどだ。デパートの贈答品フルーツの常連で、箱入りの高級品では一房1万円前後となるものもある。
北海道では、大粒ブドウ栽培に個別に挑戦する農家はあったものの、地域としての取り組みとはならなかった。全国のブドウ農家の多くが大粒品種の栽培を始め、北海道にも道外から食べやすく見栄えもよい大粒種がどんどん入ってくるようになり、それに押される形で道内ブドウの販売価格は低迷が続いていた。
この状況を打開しようと、大粒ブドウに挑戦した地域があった。それが仁木町だ。
最初に挑戦を始めたのは、「仁木ハウスぶどう生産組合」に所属する地元のブドウ農家だった。2〜3件の農家が道外で栽培されている大粒品種の苗木を何種類か取り寄せ、試験的に栽培し始めたのが約10年前。実際に栽培してみて越冬できない品種も出る中、総合的に判断していちばんうまくいったのがシャインマスカットだったという。全国的なシャインマスカット需要の高まりも理由のひとつだ。実は2〜30年前にも大粒品種を試したこともあったが、全くうまくいかなかった。今回は2度目の挑戦だった。
仁木町を担当するJA新おたるの営農経済部販売第一課長の川端正人さんも、生産者に寄り添い、大粒ブドウの生産を後押ししてきた。
「仁木を代表するサクランボは半分以上を道外出荷していますが、ブドウはほぼ道内消費。高値のつく大粒ブドウは魅力的でしたが、最初は『本当に北海道でできるのか』と思っていた人は多かったと思います」と当時を振り返る。
大粒ブドウは、北海道で作られているような小粒種と比べて格段に手間がかかる。房の形をきれいに整え、粒を大きくするために若いうちに粒を間引きする「摘粒」というおそろしく時間のかかる職人技的な作業があるのに加え、「ジベレリン処理」という若い房を溶液に浸してブドウを種無しにする作業、色づきをよくするための一房ずつの袋掛けや、日焼け防止のための傘かけ、など、道内のブドウ作りではあまり馴染みのない作業が加わる。
十年程前、シャインマスカットの苗木を手に入れるのも難しかった時代、まずなんとか苗木を手に入れ、植え始めた。ブドウは植えてから実がなるまでに3〜5年かかる。やっと実が実るようになったころ、何件かの農家が道外のシャインマスカット産地に勉強に行き、育て方を勉強したという。そして、ブドウの樹が本来の力を発揮して本当に美味しいブドウがなるためには約10年の時間がかかると言われている。
仁木町のシャインマスカットが出荷を開始したのは、2020年秋。植え始めてからほぼ10年が経っていた。仁木ハウスぶどう生産組合で出荷基準を決め、糖度17度以上のもの、グレードが上級なものには「ラ・ラ・シャイン(La・La・shine)」という独自の名前を冠することにした。この名前は地元の公募で選ばれた。
当初は少数の生産者からスタートしたが、現在は同生産組合の中にシャインマスカット部会ができ、参加農家は19件に増えた。
同生産組合が、本格的にシャインマスカットの栽培に着目したのは、二代前の組合長だった森敬承さんの時代。次の組合長だった山田徹さんがそれをブランド化し、現組合長としてそれを引き継ぐのは坂東弘一さんだ。
坂東さんは10年程前から、個人的な興味もありいろいろな大粒ブドウの苗を取り寄せて育てていた。シャインマスカットも当初はうまくできなかったが、現在、10年目となった樹が見事な房をつける。
「自分で作りたくてやってましたけど、最初はうまくいかなくて。部会で勉強したりしてここまで来ました」と語る。一番手間のかかる作業、「摘粒」に使うハサミを見せてもらった。ブドウの房の奥まで刃が届くように、細いくちばしのようなハサミの先端。そして反対側には大きなピンセットのようなものがついている。ハサミを差し込んで切り、ピンセットでつまみ出す。
「摘粒は本当にたいへんな作業。きれいな房を作るために神経を使います。マニュアルもありますが、どんな形の房を作るか、最後は作り手のセンスですね」と言う。
作り手によって、微妙にブドウの房の面構えが違うようだ。今も新しい樹を育てているので、今後は生産量を増やす予定という。
昨年の仁木町のシャインマスカットの扱いは約2,300Kg。本州の大産地に比べればまだ微々たるものだ。後発産地として、組合の農家の何軒かは保存用の大型冷蔵庫を導入することによって出荷時期を調整し、年末年始の需要にターゲットを合わせる戦略を取った。道外物のシャインマスカットがピークを迎える秋にはあまり勝負をかけない。冷涼な気候で出荷時期が道外物より少し遅くなる事、さらにそれを冬まで引っ張る事により全国で品薄となる時期に出荷する作戦だ。去年は道外には出荷しなかったが、今年あたりからは道外にも出していきたい、とJA新おたるの川端課長は語る。
仁木町での挑戦が嚆矢となり、北海道産の大粒ブドウが市場を賑わす日も近い気がする。こつこつと植えられたシャインマスカットの樹は順調に育ち、これからはどんどん実る房も増えるだろう。数年後、仁木町のシャインマスカット畑の風景は大きく変わっているはずだ。
(文・写真 :吉村卓也)
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