昨年夏、一片の小さなニュースが目に留まった。世界のお茶を販売する「ルピシア」が、本社(本店所在地)を東京からニセコに移転する、というのだ。ルピシアといえば、さまざまな種類の紅茶や緑茶、ブレンドティー、ハーブティーや関連商品などを扱うお茶の専門店で、札幌の地下街にもお店がある。日本全国にもショップは多数、ハワイ、フランス、オーストラリアにも店舗があり、世界に展開している。薄くて丸い、かわいらしい缶に入ったパッケージはおなじみだ。
本社移転を知らせる発表文にはこうあった。「この度、株式会社ルピシアは業務拡大に伴い、現在の本店所在地(渋谷区代官山町8-13 代官山ハマダビル)を北海道虻田郡ニセコ町字元町に移転します」。ファッショナブルなお茶屋さん、その会社がなぜ北海道に本社移転?それも代官山という東京の中でも流行の最先端を行くような街から、「郡」や「字」のつく地方、北海道の小さな町へ。北海道民としては、あの洗練されたセンスのルピシアが北海道に腰を据えてくれるならとてもうれしい。でも、本気なの?
ぜひこの目で確かめてみたく、ニセコのルピシア本社を訪ねた。
天気にも恵まれ、羊蹄山も姿を見せた初夏のニセコの清々しさは格別だった。町の中心部から外れた同社の食品加工場の一角が本社の所在地だ。実は同社は4年前にこの加工場を作っていた。本社はその工場の一角にあり、まだ仮のたたずまいという感じだが、新社屋の建設も予定されている。駐車場に止められた車には道外ナンバーが目に付く。お茶の会社だとばかり思っていたのだが、実は食料品製造も手がけていた訳だ。
同社のニセコとのつながりは、スキー好きでもあった創業者で会長兼社長の水口博喜さんが、ニセコに会社の保養所を作ったことから始まる。2009年には同町にレストランも開業し、2017年には食品工場を作った。だんだんとニセコに来る機会も増え、町が「おしゃれ」に変わって行くのを目にする。
「おしゃれ、ってよくないですか?どこに住もうかと考えたときに、やっぱりおしゃれな方がいいでしょう」と水口さん。倶知安町に同社が作ったレストランやショップの複合施設「ヴィラルピシア」も確かに「おしゃれ」だし、ルピシアの商品もどれも「おしゃれ」だ。
当時は本社移転までは考えていなかったというが、背中を押したのは東京の一極集中のリスクと、AIの台頭だという。
「大都市は、過密による災害のリスクも大きい。都会は物事が直線的に進み過ぎる。春夏秋冬を楽しまず、歳をとって病院で死ぬ。果たして人間的なのか。そのうち多くの仕事はAIに取って代わられる時代に、人間でなくてはできない仕事は何なのか、と考えた。東京で社内の朝礼のとき、社員によく聞いたんです。『何か面白いことやってる?』。『やってます』、と答える社員はあまりいなかったね」。
「面白いことをやるのが大好き」と水口さん。自身を「永遠の少年」と言う。本社を移すのに先立ち、自身はすでに4年前にニセコに引っ越した。両親は旭川出身だが、本人は東京生まれの東京育ち。二拠点生活なのかと思いきや、東京の家はきれいさっぱり処分し、完全にニセコの人になっていた。今は東京に行くことはほとんどなく、札幌にすら行きたくないと、ほとんどをニセコで過ごす。
今はニセコ本社、東京本社の二本社体制だが、「いずれ東京は支店の一つくらいの扱いにしたい」と水口さんは言う。東京や工場のある宇都宮市、滋賀県甲賀市にいるスタッフとの打ち合わせは、オンラインで行う。
「面白いこと」の究極は、数年前から研究を重ねている北海道でのお茶の栽培だろう。お茶の北限は茨城から新潟を結んだラインと言われているそうで、それを一気に飛び越して北海道である。データ分析を重んじるAIなら「見込みはないからやめなさい」と提案するのだろう。
だが、水口さんは本気だった。宮崎県から釜炒り茶作りの名人と言われる興梠(こうろぎ)洋一さんを呼び、アドバイスを仰ぐ。日本の緑茶は採れた茶葉に熱を加えて発酵を止めるが、ほとんどが蒸して加熱する。対する釜炒り茶は炒って加熱する圧倒的な少数派だが、独特な香りが特徴で中国の製法に近い。ニセコでは全国から取り寄せた茶の苗木を数十種類試し、越冬できたのはそのうちの3割程度。冬を乗り越えたお茶を試飲してみて、九州でできるお茶より味が濃いと興梠さんは感じた。その中からさらに選んだのが静岡から取り寄せた「サヤマカオリ」という品種。「北海道でお茶?」「まさか」、と誰もが驚く。だが、明治初期、「北海道で米?」「まさか」と誰もが言ったはずだ。
北海道にお茶が根付くとすれば、それは一般的な日本茶とはちょっと違った、「北海道のお茶」という新しいものになるだろう、と興梠さんは言う。6月22日には植樹会を行い、同社の借りた約1ヘクタールの畑に、数々のハーブと並んで600本のお茶の苗木が植えられた。ここは同社が持つ初めての自社試験農園。「新雪谷(ニセコ)茶園」と名付けた。十数名の社員たちが自ら植えた。半数近くが道外出身者だという。
茶園の責任者は同社の執行役員でもある中村文聡(ふみとし)さんだ。静岡県浜松市出身。東京大学法学部で弁護士を目指していたが違和感を感じ、一斉に行われる就職活動にも馴染めず、卒業後はしばらくフリーターに。ある日求人雑誌を見てピンと来て、これは「人の心を豊かにする仕事」だとひらめく。ルピシア店舗でのアルバイトから始め、お客さんに「この間あなたが勧めてくれたお茶が、育児でノイローゼになりそうだった自分を救ってくれたの」と言われ、「これこそがこれからの社会に必要なことだ」と感動し、社員となった。今はニセコと東京との半々の生活。お茶を求めて全国や世界を巡り、自分の拠点がどこになるかはまだわからないという。
もうひとつ、ルピシアが新しくニセコで手がける事業がクラフトビールだ。すでに工場も建ち、昨年11月から5種のビールの出荷を開始した。ビール工場とは思えないような赤い木の壁。建物の周りには宿根草が植えられ、2〜3年後にはたくさんの花に囲まれた工場になるだろう。ここでビール作りを担当するのは、神奈川県出身の良知(らち)博昭さんだ。北海道大学と同大学院で酵母を学び、東京で大手食品会社に就職したが、ビールがやりたくて転職した。ニセコに引っ越し、今はルピシアの社宅に家族と住む。社宅と言っても、庭付き、車庫付きの一戸建て住宅だ。
「仕事をしているときは忘れていますが、一歩外に出るとこの大自然。やっぱりニセコなんだ〜といい気分になりますね」と良知さん。
ニセコは海外からの投資ブームで不動産価格も高くなったので、同社は社宅、社員用のシェアハウス、お客さん用のゲストハウスを自前で建てることにし、今も増やしている。
地元での雇用も生んだ。地元採用の約60人は女性が多く、世代も若い。今は東京からの出張者も多いが、だんだんと社員もニセコに移していきたい、と水口さんは考えている。
コロナ禍でリモートワークも当り前となり、過密都市のオフィスで働くというスタイルも徐々に変化している。「コロナで本社移転が多少早まったかもしれないが、移転はその前から決めていた」と水口さんは語る。本人が移住して4年、季節の変化を日々楽しみながら仕事する毎日。「移住を後悔したことは一度もありません。むしろもっと早く来ればよかった」と言う。
地域との関係も徐々に深まり、近隣農家から仕入れるトウモロコシ、キクイモ、ゴボウの各ティーバッグを商品化した。今後は自社農園から採れるハーブやお茶も、ラインアップに加わることだろう。若いスタッフたちが出入りし、オンライン会議が当り前に行われ、社内に満ちるエネルギーを感じ、ふと、ここは本当に北海道の地方なのか、と思う。限界集落化に悩む自治体がある一方で、一つの企業や「よそもの」のパワーが地域を変える可能性の大きさを改めて感じる。
ルピシアの元の社名は「レピシエ」。
フランス語で「食料品店」の意味だ。その原点に戻り、北海道で広く食料品を扱うことを視野に入れているようだ。冒頭の移転案内にあった「業務拡大」とはこういうことだったのかと納得が行く。
AIでは取って代わることができない分野。それは人間の創造力、クリエイティビティだ、と水口さんは強調する。それには都会の刺激が必要だという人もいるだろうが、豊かな自然環境の中でこそ人間の創造力は高まるという考えもある。ルピシアは後者を選んだ。
働き方が変わろうとしている。10年後にはどんなライフスタイルが主流となっているのだろう。そのころには、ニセコの地に緑のお茶畑が広がっている風景が見られるかもしれない。
(文・写真 :吉村卓也)
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