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 高野連(日本高校野球連盟)が夏の高校野球の中止を発表したのは5月20日だった。その前から高体連(全国高等学校体育連盟)はインターハイといわれる高校総体の中止を決めていたが、国民的人気の高い高校野球の中止は大きなニュースとなった。そのころ、道内の高校は緊急事態宣言を受けてほとんどの学校が休校中だった。
東海大学付属札幌高校の野球部員、3年生でレギュラーだった小坂凌平君はテレビで高野連の記者会見を見ていた。同校は2015年に選抜大会準優勝の実績もある道内の野球強豪校だ。
「ああやっぱり……」、というのが小坂君のその時の気持ちだった。
「選抜が無くなったあたりから全体的にモチベーションが下っていました。予感はありましたが、寂しかったです」。
同じく3年生の控え選手だった高橋東悟君。部活ができなかった時期は「休んでいる最中が差を広げるチャンス」と自主練習に励んでいた。「大きな目標がなくなったけど、新たな目標を見つけてがんばろうと気持ちを切り替えた」と話す。2人とも進学し、さらに野球を続ける予定だという。
同校教諭で野球部の大脇英徳監督は、中止が決まった日、野球部の3年生全員36名に電話を入れた。「何もやる気が起きない」という生徒も何名かいたが、「あきらめないで、野球を続けよう、野球を通して学ぼうよ」と語りかけた。
大脇監督は1993(平成5)年の夏、自らが高校生のときに甲子園に出場。高校野球部員にとって「甲子園」の意味するものは身を持って知っている。
結局、夏の高校野球は、地方の独自大会が開かれることになった。一般観客は入れず、観戦できるのは野球部員と選手の親族のみ、声を出しての応援も禁止、という異例な雰囲気となった。同校は全道大会に勝ち進みベスト16。南北海道大会の優勝は札幌第一高校、北北海道はクラーク記念国際高校が優勝。だが、その先に甲子園はなかった。
「最初は独自大会も決まっていなかった。このまま何もなしで終わるのかと思ったけれど、いろいろな人が準備してくれて独自大会が開催された。すべて中止の競技が多い中、野球って特別なんだ、と改めて思いました」と大脇監督は振り返る。
このコロナ禍の中で「学校での部活動の役割を改めて考えた」と語る。授業もなく、練習もできず、それでも毎日が過ぎていった。
「春休みの遠征、大会、3年生引退のご苦労さん会。そんな風物詩が自分のモチベーションの一つだったことがよくわかった」と語る。監督になって18年。「最初は勝つことしか頭になかった」というが、指導者は生徒と関わらないといけない、放っておいたらだめ、ということを今年ほど痛感したことはなかったという。
十勝の鹿追町にある鹿追高校は、生徒数140人の小さな高校だ。3年生が引退し野球部員は5名になった。夏の独自大会にも他の部活から「助っ人」を入れて出場し、2回戦で敗退した。
訪れた8月上旬、農地や牧場に囲まれたグラウンドで、野球部の練習が行われていた。数少ない2年生の練習の手伝いに、引退した3年生や卒業生も気軽に参加する。
3年生で元キャプテンの香川翔君、元副キャプテンの草野廉君にグラウンドで話を聞いた。2人とも地元の中学で野球をやっていた同士で、部員のほとんどが子どものころから知り合いで、気心が知れているという。
「地元で、同じメンバーで野球を続けたいという部員が多いです」と草野君。
そんな仲間たちで戦える最後の夏は、コロナに翻弄された。
「でも、僕らはまだ独自大会があっただけ恵まれてました」と香川君は言う。実際、身体的接触が多いとされるスポーツでは、全く試合ができなくなったものも多い。
同校はコロナの影響が言われ出したころから、小さな町の小規模校ならではの動きの早さで、オンラインでの学習支援にいち早く取り組んだ。俵谷俊彦校長の「生徒の学習権を保証するための緊急事態」との判断から、2月には校内にネットのWi-Fi環境を町の予算で整備、グーグル社が提供する「グーグルクラスルーム」というオンライン学習の仕組みに3月中から取り組み、全高生徒が利用できるようにするなど、道内でも素早い対策を行った高校の一つだ。
野球部顧問の熊谷綾真教諭は、「そんな中でも生徒たちは状況を受け入れて、たんたんとやっていました。特にひどく落ち込んだ部員もいなかったのは何よりでした」と語る。
俵谷校長は、「休校中にも先生たちがオンラインでがんばってチャレンジしてくれたことに対して生徒からの感謝の気持ちが感じられました。やっぱり学校がいい、と勉強する姿勢が前のめりになった気がします」と、6月に学校が再開されてからの生徒たちの変化に目を見張った。
大会がなかったのは運動部だけではない。「総文祭」と言われる文化部の全国大会「全国高等学校総合文化祭」は8月に高知で行われる予定だったが、オンライン開催となった。演劇、美術、音楽、文芸、科学などの分野で全国から高校生が集まり、活動の成果を発表し、交流するはずだったが、かなわなかった。
帯広柏葉高校新聞局は、1998年に総文祭の新聞部門が始まってから、毎年出場している常連校だ。(※2018年に会場となった宮崎県で発生したウシの口蹄疫のため、十勝管内の高校が出場を見合わせた年を除く)。今年も最優秀賞を獲得し、例年通り2年生2人が高知に行き、成果発表と全国の高校生新聞局員と交流するはずだった。
中止の知らせに、「覚悟はしてました」と同校新聞局長の古館唯地君。「あ、やっぱりなと思った」編集長の五十嵐悠乃さん。2人とも「すごく楽しみにしていた」という高知行きだった。五十嵐さんはハワイの姉妹校の訪問メンバーにもなっていたが、これも中止。
くさん見て過ごし、五十嵐さんは買いだめした小説を読んで「けっこう充実した毎日」を送っていたという。
新聞局の部室を訪れたのは、17日間の短い夏休みが終わり、2学期が再開された8月17日。新学期初日の放課後も、部室内はマスクをつけた高校生たちが編集会議中だった。
コロナでの休校期間で取材活動が思うようにできなかったというものの、7月下旬には減ページで特集号を発行。紙面には、大学入試の共通テストの日程に変更がないこと、換気のため教室内に大型扇風機が設置されること、コロナで文化祭が中止となった各実行委員へのインタビュー、休校後の授業に対する生徒へのアンケート等、意欲的な記事が並ぶ。
新聞局の顧問、田口耕平教諭は、「どうしようもないこと。誰が悪いわけでもなく、悩むことでもなく、諦めるしかない。マスクをつけながらも、学校が再開された高校の日常は徐々に戻ってきています」と語る。
一方、田口先生が心配するのは今年大学に進学した卒業生たちだ。多くの大学が今だにオンライン授業が中心で、入学した学校に行くことさえできず、同級生の顔も見れない状況が続いている。
高校最後の夏を特別な形で終えた3年生の卒業式は、どんな形で行われるか、それも未知数だ。
だが、鹿追高校の俵谷校長はこんな言葉をかけてあげたいと考えている。 「君たちは特別な瞬間を経験した。これから大きく激動する世界のひとつの予兆かもしれない。この経験を通して考えたこと、もがいたことを大事にして欲しい。これからの社会の変化や災害があっても、それを乗り越える力に変えて欲しい」
誰もが決して忘れることのないだろう、2020年の夏だった。
(文・写真:吉村卓也)
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