びよよーん、と響く独特の音色。アイヌ民族の特徴的な楽器として真っ先に思い浮かぶのが、竹製の楽器「ムックリ」だ。弁の振動を口腔で響かせる「口琴」と言われる楽器だ。全長約15センチ、幅は太いところで約2センチ、途中から1センチほどに細くなる。真ん中に切れ目が入っていて、これが動いて弁となる。
滑らかな表面側を口につけ、細い方を左にしてヒモを小指にかけてしっかり押さえる。右手人さし指と中指で持ち手をひっかけ、素早く引っ張る。運がよければ弁が振動して音が出る。コツをつかむには練習が必要だ。
うまく音が出るようになったら口に当ててみよう。さっきの音が口の中で増幅され、ぐっと大きくなる。よく聞くおなじみの音だ。
ムックリの作り手が釧路にいると聞いて訪ねた。ムックリの製作工房を営む鈴木紀美代さんだ。道内の土産物店や、白老の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の売店で売っているムックリは、ほぼ鈴木さんの工房のものだ。手伝いの人を入れて5〜6人でムックリを作り、月に約3000本を出荷しているが、最近はなかなか注文に追いつかないこともあるという。この規模で作れるところは他になく、北海道でのムックリ作りを一手に担っているといっても過言ではない。
鈴木さんは標茶町に生まれ、千島アイヌをルーツを持つ。父、秋辺福太郎さんや祖父が作っていたムックリに子どものころに触れた。父や祖父はアイヌの舞踏の名手とも言われていた。
「昔、父や祖父が、マキリ(小刀)一本で竹を削って、何かを作っていたんですよね。そのころはただ自分たちで音を出して楽しむだけのためにやっていましたね。それが何とも不思議で、楽しそうで」と言う。
ムックリの材料になる竹はモウソウ竹や真竹だ。北海道にこれらの竹はない。
「昔は竹ぼうきの柄から竹を取って作っていたようですよ」と鈴木さん。
ムックリがどのように広まっていったのかは定かでない。「ムックリ」「ムックル」「ムック」などと表記されることもある。樺太では「ムフクン」などと呼ばれるが素材は金属に変わる。口琴は世界各地に様々な種類がある楽器だ。金属製のものが多く、竹や木のものはアジアに多いという。
鈴木さんはムックリを作って55年になる。かつては介護の現場で働きながら、仕事が終わってから作っていたが、1988年に製作者として独立した。2019年12月には、「長年にわたりムックリの製作や演奏に関わりアイヌ文化の普及や発展に貢献した」として、文化庁長官表彰を受けた。
世界から口琴の演奏者や製作者が集まる「国際口琴大会」も定期的に開かれている。2011年にロシアのサハで開かれた大会に参加した鈴木さんは、製作部門の最優秀賞を受賞した。ノルウェー、オランダ、ドイツの大会にも参加した。
世界から集まる口琴の名手たちの演奏にも感銘を受けたが、「いろいろな国の人たちの前で表彰されて拍手をもらって、本当に涙が出るほどうれしかったです」とそのときを振り返る。
竹は道外から仕入れたり、正月の門松の残りを入手したりしている。乾燥させた青竹をナタで割り、ムックリの形を書いてヒモを通す穴を空け、切り抜く。さらにしっかりと乾燥させるため、竹を油で揚げる手法は鈴木さんが編み出した。新聞紙で油抜きをし、荒削りをして紙やすりをかける。ヒモは、切れにくい物を探してたどり着いた漁業用の綿糸を函館から取り寄せている。最後に音の調整をして完成だ。
マキリを扱う鈴木さんの動作は手早い。「これだけ長い間やってきて、刃物で手を切ったことは一度もないんですよ。先祖に守られてるのかなぁ、って感じますね」という。
本当は昨年引退する予定だったが、他に作れる人がいないので困るという声に応えて、今も製作を続けている。だが、今度こそ本当に引退を考えているという。今は技術の伝承のため、阿寒や「ウポポイ」などで指導も行っている。
アイヌ民族を代表するもう1つの楽器はトンコリだろう。ギターを細長くしたような弦楽器で5本の弦が張られている。人間の形を模したものと言われており、縦に抱くようにして抱え、指で弦をはじく。すべて開放弦なので指押さえはなく、つまり音階は5つしかない。このコンビネーションで音楽を奏でる。
トンコリはもともと樺太アイヌの楽器だ。そのトンコリに魅せられてしまった人がいる。長沼町に住む二宮規一さんだ。アイヌのルーツは持たない和人である。トンコリ製作を本業とし、「トンコリ工房inonno」を営む。この楽器との出会いは突然だった。
約20年前、サラリーマンを辞めて家具を作る工房を営んでいた。そこにふらりとやってきたのが、トンコリ奏者でありミュージシャンのOKIさんだった。
「こんな田舎で何やってるの?」
OKIさんのそんな質問から、「家具作ってます」「へぇ、オレはミュージシャンなんだ」「どんな音楽やってるんですか」「聴いてみる?」という流れになった。
夏の日のテラスでOKIさんが奏でるトンコリの音に初めて触れた。アイヌのことも、トンコリのことも、OKIさんのことも全く知らなかった。
風にのって届くトンコリの音が体の内側にどんどん入ってきて、何ともいえずかっこよく、興奮のあまりその日と次の日の夜は眠れなかったのを強烈に覚えている。
それからOKIさんは何度か訪ねてくれ、「木工やってるならトンコリ作ってみたら?」と言われたのが製作を始めるきっかけとなる。「アイヌの楽器」という遠慮もあり、「自分が作るわけにはいかない」とも思っていたが、作らずにはいられない気持ちになってきた。
OKIさんからもらったトンコリのCDのジャケットにあった写真を真似ながら、まずは作ってみた。伝統的なトンコリとはちょっと違った形にした。「当時の自分の遠慮の表れでした」と二宮さんは言う。
ある日、阿寒に住むアイヌの木彫家として有名な故・藤戸竹喜氏に紹介された。彼の前で演奏する機会をもらい、自作の「遠慮型」のトンコリを弾いた。藤戸さんに気に入られ「いい音出ているから、自信を持ってやればいい」との言葉をもらった。
「遠慮していたのは、まだ覚悟ができていなかったから。トンコリで生きていくという覚悟ができた今、もう遠慮するのはやめようと思った。とても大きな後押しをしてもらいました」と語る。
素材となる木は、カツラ、エゾマツ、トドマツ、ホオ、イチイなど様々。くりぬいて、彫刻や装飾を施して仕上げる。楽器の中には「魂」として石やガラス玉を閉じ込めるのがトンコリの習いだ。アイヌ語も独学し、現在は自分で作ったアイヌ語の祝詞を読み、トンコリの音楽を全国の神社仏閣に奉納する旅も始めた。
「トンコリを奏でていると、精神的に安定するというか、トランス状態のような気分になることもあります。彫刻も独学ですが、彫っていると勝手に手が動いていくような感覚になるんです」と二宮さん。
最新のトンコリは168本目だ。全国から注文があり、手に入るには1年待ちの状態が続く。
そんな二宮さんのトンコリを愛用するのが、楢木貴美子さんだ。樺太アイヌをルーツに持つ。樺太アイヌの母は、樺太で和人と結婚した。戦争が終わって、夫の実家がある青森に引き揚げた後、北海道に渡った。50歳を超えるまで「アイヌのアの字も知らなかった。母も教えてくれなかった」という楢木さん。親戚に勧められてて、職業機動訓練を受けときにアイヌ文化に初めて触れた。しばらくそのままになっていたが、60歳を過ぎてから、今度は独学で自身のルーツについて勉強を始めた。トンコリが樺太アイヌの楽器だと知ったのもその頃。もちろん弾いたこともなかった。
「自分のルーツの樺太の楽器。覚えたい、と思いました」と楢木さん。
現在は、樺太アイヌの文化を伝えるために、刺繍、料理、食用植物採集などの講師も務める。
樺太アイヌは自分たちのことを「エンチュウ」と呼ぶ。「エンチュウのことを少しでも知ってもらいたい」との思いから、求めがあれば体験を披露する。二宮さんと知り合い、自分のトンコリの製作は彼に頼んだ。
ムックリもトンコリもシンプルな楽器だ。楽譜があるわけでもない。単純ながらも、ムックリの名手は息の強弱を使って多様な音色を作り出す。トンコリの5弦が奏でる音も単純だが、繰り返される柔らかい音を聞いていると、気持ちが落ち着いてくる。北海道に住んでいると、この二つの楽器に触れる機会も多い。ぜひ、出会ったらゆっくりと耳を傾けてみたい。
(文・写真:吉村卓也)
AFCは朝日ID(登録無料)でご利用いただくことができます。
AFCは朝日ID(登録無料)でご利用いただくことができます。
※朝日IDとは・・・ 「朝日ID」は、朝日新聞社が提供するサービスを便利に使うことができるオンライン共通IDです。ご登録は無料です。
2024年3月までにAFCに入会された方は、こちらからログインできます。
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
21ページ中1ページ目
音楽は演奏者だけで成り立つものではないのですね(H)
21ページ中1ページ目(628コメント中の30コメント)