かつては「邪魔な氷」と言われたこともあったこの氷にロマンチックな名前を付けたのが、今号の表紙の写真を撮影した浦島久さんだ。2019年には写真集「ジュエリーアイス」(十勝毎日新聞社)も出版した浦島さんの肩書きには「写真愛好家」とある。プロの写真家ではない。写真を始めて10年のアマチュアなのである。
「天は二物を与えず」という言葉がある。だが、時としてそんな定説を軽々と超えていく人に出会う。「二足のわらじ」を難なく履きこなす、浦島さんは間違いなくそんな人のひとりだ。
浦島さんの本業(という言い方もマルチな活躍をする人にはふさわしくないのかもしれないが)は英語教師であり英語学校の経営者だ。帯広で「ジョイ・イングリッシュ・アカデミー」を44年間経営し、写真は「趣味」だという。もっとも浦島さんに言わせると英語も「趣味」だそうだが、そうは言うものの英語教本の著作は34冊あり、英語教育関係の講演では全国から声がかかるほど、その世界では知られた存在だ。
浦島さんの撮影時間は早朝。テーマは十勝の自然。生まれ故郷の豊頃町のハルニレの木はお気に入りのテーマだ。数年前から冬の題材としてジュエリーアイスが加わった。
夜明け前に起床。目覚めてすぐに写真をSNSにアップするのは6年間1日も欠かさない。だいたい300件近い「いいね」がつくので、楽しみにしている人も多いのだろう。その後、撮影に出かける。ハルニレまでは片道約1時間、ジュエリーアイスまでは1時間15分かかる。撮影を終え、夏は午前7時までに、冬は9時までには家に戻る。そして英語学校に出勤。4歳〜80歳までの生徒がいて、夜も授業があり、社会人と高校生の授業は自ら担当している。いったいいつ寝ているのだろう。「ショートスリーパー(短眠者)だから大丈夫なんだよ」と英語まじりの答えが返ってきて屈託がない。
実は、浦島さんの父、甲一さんは地元を撮る写真家として知られた存在だった。甲一さんはサハリンで生まれ、戦後はシベリアに2年間抑留された。食べ物のない収容所生活で、時計修理の技術を持った収容者が重宝がられて食事に不自由しないのを見て、自分も時計屋になることを決意。その人に教えてもらい技術を身につけた。復員し、帯広に暮らした後、豊頃町に時計と電器の店を開業、26歳のときに商売の傍ら写真を撮り始めた。若いころの白黒写真は大津海岸の風景、砂浜に残された廃船、雪の中の馬、といった風景をコントラストの強い写真で表現した力強いイメージだ。コンテストにも数々入賞し、歳を経てからは写真道展の審査員も務めた。60歳を過ぎるころから、豊頃町のハルニレを題材としてカラー写真を多く撮り、全国レベルで知られるアマチュアだった。
「撮った写真を『どうだこれ?』と見せられて、ほめると機嫌がよかった」と浦島さんは子どもの頃を振り返る。父は2001年に77歳で亡くなるが、生涯ずっと十勝の写真を撮り続けた。
一方の浦島久さんは、大学卒業後に就職したものの、1年半のサラリーマン生活になじめず地元に帰って好きな英語を教えながら生きていく人生を選択した。風景写真には全く興味がなく、父が生きている間に写真撮影での接点は全くなかった。
父の死後4年が経った頃、浦島さんが父の写真と向き合うことになるきっかけが訪れた。中学の英語教科書に関わっている知り合いが、たまたま札幌であった父の遺作写真展を観てくれた。いたく感動し、英語の教科書にこの写真を使いたいという話になった。それは「夢」をテーマにした教材となって中学校3年生用英語の教科書に載った。こんな話だ。あきちゃんという女の子の夢、それは写真家になること。そして「私は浦島甲一さんのような郷土愛あふれる写真家になりたい」と結ばれる。父・甲一さんのハルニレの写真とともに掲載された。父の写真が息子の英語つながりで教科書デビューした訳だが、話はここで終わらない。 2009年、この教科書を採用していた大阪府寝屋川市の教育委員会が主催し、全国から多くの英語教育関係者が集まる公開授業に浦島さんが特別講師として呼ばれた。大きなホールの舞台で中学3年生約30人に授業をするのを関係者が見る、という大きなチャンス。どうやったら面白い授業ができるのかと考えた結果、教科書に載った「夢」の話をテーマにし、生徒たちの「夢」を詩で書かせるのを事前の宿題とすることにした。授業ではスライドも上映したい。そのためにハルニレを自分で撮りに行った。スライドショーには曲もつけたい。親交がある作曲家の神山純一さんがメロディを、歌詞は浦島さん自身が作詞したものと生徒の宿題をアレンジ、それを浦島さんの英語学校の外国人講師でセミプロのシンガーが歌い、スライドショーと共に流す。半年がかりで準備した。それを授業の最後に生徒に聴かせるというサプライズ。そして「授業を面白くするための演出」として、写真を見せる前にこう切り出した。
「父のような写真家になるのが夢です。自分で写真を撮ってきたので見てくださいね」。この夢は嘘である。だが、授業は大いにうけ、写真を見せて人が感動することも初めて実感した。これが後に「嘘から出たまこと」となるとは、全く想像もつかなかった。
授業のために撮った写真を「なかなかよく撮れたな」と思い、何枚か写真道展に送ってみたら、複数枚が入選。初心者としては快挙と言っていいだろう。「おやじの才能がオレに移っているのではないかと、調子に乗って勘違いしましたね。完全なビギナーズラックでした」と笑う。
その後、思うような写真はなかなか撮れず、長年の知り合いだった帯広在住の写真家、戸張良彦さんを師と仰ぎ、わからないことは何でも聞いた。初めてジュエリーアイスの現場に連れて行ってくれたのも戸張さんだ。
父の生前は、写真について一緒に語ったことは無かった。「おやじも同じようなものを撮っていたなと、たまにセンチメンタルになることはありますね」と浦島さん。聞いてみたかったことが今になって出てくる。父が亡くなったあと、カメラに残されたフィルムを現像してみた。最後に映っていたのは防風林だった。場所はわからない。
気がつけば、父と同じように十勝の風景ばかりを撮っている。父のハルニレの写真は1984年に「TREE」(青菁社)という写真集となり、息子の浦島さんも2020年11月に写真集「ハルニレ」(IBCパブリッシング)を出版した。
父の口癖を思い出す。一つのテーマに集中すること。その地域ならではのことで一番になれば、北海道で一番、日本で一番、そして世界で一番になれる可能性がある、と。
「こんな父の考えに影響を受けていると思います。仕事があって遠くに撮影に行けないという制約がありますが、その中でも愛する十勝のために自分が何かできることをやりたいですね」と浦島さん。
「ハルニレの写真ではなかなかおやじを超えられない。でもジュエリーアイスでは超えられたと思います。だっておやじはジュエリーアイスを撮ってなかったからね」
トークではいつもこんなことを言って笑わせる。浦島さんの早朝撮影の日々はこれからも続きそうだ。
(文・吉村卓也)
※浦島久さんの写真展「ハルニレ」が、1月7日〜25日まで札幌市南区の「ぽすとかん」(札幌市南区石山2条3丁目1-26 tel. 070-4087-2975)で開かれています。入場無料。10時〜18時(火水休館※コロナの状況で変更の場合あり)
ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。
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自動アルバム機能便利ですよね!1年前の今頃何をしていたのか、写真を見てあらためて思い出すことも多いと思います。今のこの苦しい状況もいつか想い出に変わると信じましょう(H)
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