ファッションは時代を映す鏡。かつて、日本で着物が主流だった時代にも、当然「流行」はありました。その一つに「戦争柄」があることを、ご存知でしょうか?
私は、はじめて見た時、とても衝撃を受けました。戦争をモチーフに描いた着物の「戦争柄」。戦車、軍艦、戦闘機。銃を手に戦う兵士や戦闘場面がリアルに描かれた図柄もあるのです。これらはいったい何のために作られ、どんな時に着られたのでしょうか?
戦争柄着物研究の第一人者である元東海大学札幌キャンパス教授・乾淑子さんに会いに行きました。乾さんは、20年かけて700種類もの着物や端切れを集め、戦争柄に現れた事象を読み解く研究を続けてきました。
「戦争柄の着物が大流行したのは、日清戦争から日中戦争の時代です。戦争=勝利だった時代、縁起がよいものとして戦争の柄が好まれたようです。今でいうデパート(呉服店)で大々的に戦争柄を売り出すようになり、ファッションとして戦争柄は人々に受け入れられていったのでしょうね」と乾さんは語ります。
男性用の羽裏や襦袢(じゅばん)、花柳界などの女性用にも人気がありました。
時代によって、戦争柄も変化をしていきます。大正時代に日英同盟が組まれたときはイギリス国旗が描かれ、第二次世界大戦の三国同盟のときには、ナチスの鉤十字が描かれたものも流行しました。
「戦争柄」は大人用の着物だけでなく、子ども用の着物やお宮参りの祝着にも普及しました。そういった柄を子どもに着させるというのは、「健康で強くたくましく育ってほしい」という親の願いでもあったので
す。今でも、戦隊ヒーローのTシャツは子ども達に人気ですが、感覚としては、さほど変わらないものだったのかもしれません。
「こうした着物の柄に政府や軍部の指導はなく、染め元が『売れる』から作った流行の柄でした。人々は積極的に戦争柄を選び、先端ファッションをまとう誇らしさがあったのでしょう」と、乾さんは当時を読み解きます。
戦争柄の着物は、人々の戦争への熱狂を知る手がかり。身近な「衣」を通して、平和を考えることもできるのです。
「誰かが研究しないと残らない」と20年かけて集めた戦争柄着物を乾さんは今、処分することを考えているのだそうです。現在、その一部はドイツでの展覧会のため貸し出されていますが、その後日本の美術館などでの引き取り手がいないということ、ご自身の終活を進める中で処分しか方法がないということを聞き、私は本当に無くしてしまって良いのかと、歯がゆい気持ちでいっぱいになりました。
戦争とは、国からの強制だけではなく、国民の側面からも浸透していった結果でもあるのだと気づきました。今、私たちの生活にも置き換えて考えることができます。政治への参加は選挙だけではありません。生活や暮らしの中で、何を買って、何を使うのか、選択するところから考えていく必要があると思います。
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