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炭坑町として栄えた夕張市。急激な人口減や財政破綻と、ネガティブな話題ばかりで注目されることも多い。町は大きくその姿を変えたが、変わらないものもある。豊かな自然、冷水山、町を流れる夕張川、そして、北沢食品の豆の缶詰だ。 北沢食品の創業は大正10(1921)年。夕張メロンの誕生が昭和36(1961)年だから、それよりずっと前から地元産の農産物加工を担ってきた会社だ。 社名を株式会社北沢食品工場といい、工場は創業時から今と同じ、夕張の南清水沢地区にある。コンパクトシティーを目指す夕張で、将来中心となる地域として計画されている場所の一つだ。訪れたとき、木造の工場は冬の一休みの時期に入っており、きれいに掃除された内部はひっそりとしていた。 案内してくれたのは社長の谷全(たにまた)悦夫さんだ。 近代的なハイテク工場のイメージとは対極にあるような、歴史を感じる建物。白く塗られた木の柱、年期の入った缶詰の機械、豆を煮る大きな釜が並ぶ。ほとんどが手作業だが、1日約7000缶くらいは生産できるという。
このベーコンは軟らかくやさしい味だ。脂身部分も少なめで、よくある塩辛いベーコンとは一味違う。小樽の静かな住宅街の一角に、このベーコンづくりの現場がある。薫製室は加工場のコンクリートの階段下のスペースを手作りで改装したもの。壁は長年煙にさらされ、タールが玉のようになってはり付いている。木製の扉の隙間から、白い煙にのって薫製特有の香りが漂ってくる。この小さな部屋に入った豚肉はベーコンに、サーモンはスモークサーモンとなる。
かつて北海道ではニシンが大量に獲れた。日本海に面する留萌も、もちろん例外ではない。 留萌にある田中青果は、今はニシン漬けを始めとする漬物類が主力商品となっているが、元々八百屋と花屋だった。現社長は二代目の田中欽也さん。妻の美智子さんも「統括本部長」として、営業や商品の開発を担当する。
札幌駅地下街の、ちょっとこじゃれた生活雑貨の店の入口に、かわいいミルク缶が並んでいた。部屋のインテリアによさそうな、酪農王国北海道を象徴する小さなミルク缶。でもその中に入っているものは洗濯洗剤なのである。 「北海道だからミルク缶に洗剤かぁ」とそのアイデアに感心しつつ、商品ラベルに小さな字で書かれた1行に目が止まった。販売者「とみおかクリーニング」、その所在地「中標津」。
10月7日、札幌の中心部に「さっぽろ創世スクエア」(北1条西1丁目)が全面オープンした。26階建ての「高層棟」と、9階建ての「低層棟」がある。高層棟はオフィス棟で1〜7階はテレビ局のHTB(北海道テレビ放送)が豊平区南平岸から本社を移転し、入居した。 低層棟の「札幌市民交流プラザ」には、愛称hitaruと呼ばれる「札幌文化芸術劇場」とSCARTS(スカーツ)と呼ばれる「札幌文化芸術交流センター」、「札幌市図書・情報館」が入る。
札幌の中心部から約30キロ。定山渓温泉は言わずと知れた「札幌の奥座敷」だ。豊平川の川岸からわき出るお湯が、建ち並ぶホテルや旅館にふんだんに供給される。ナトリウム塩化物泉。透明で、なめるとしょっぱい。
帯広から南へ、えりも岬方面へ車を走らせ約1時間、広尾町に入るとまもなく、大森ガーデンの看板が国道の右側に見えてくる。 入口のカフェ建物横にあるゲートからガーデンへ。芝生の小道沿いに植えられた草花はどれも落ち着いた色合いだ。歩く道沿いには背の低いもの、そこから離れるに従ってだんだんと背の高いものへと、しっかり計算されて植えられている。ほとんどが冬を越す宿根草だ。
札幌の円山球場、旭川のスタルヒン球場に愛着を持つ北海道人は多い。札幌ドームに主役の座を譲ったとはいえ、道内の野球ファンや関係者にとって、ここが数多くの思い出をはぐくんだ特別な場所であることは変わらない。
夕張は山深いところだ。石勝線の新夕張駅からの支線が北に延び、夕張駅に至る。この支線に沿うように町や農地が広がる。少し開けた場所には、ずらりと並んだビニールハウスが見える。この中で、北海道のメロンのトップブランド、夕張メロンが育っている。
札幌軟石は北海道の古い建物や倉庫の壁などに多く使われている石だ。歴史的建造物には多く使われているが、その優しく軟らかな風合いは再び脚光を浴び、新しいカフェやレストラン、アパレルショップの装飾などに使われるようになってきた。