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北海道の産業の歴史を語るとき、炭鉱は外せない。戦後日本のエネルギー政策を支え、たくさんの人が働いた。その多くが集中していたのが空知地方だ。 1961年には、空知地域だけで最大112の炭鉱があった。1960年代には石狩炭田の産炭量は九州の筑豊を越え、日本一の生産量を誇った。その後、国内のエネルギーは石油中心に転換され、炭鉱は次々に閉山。1995年、歌志内にあった空知炭鉱の閉山で、この地区の炭鉱は歴史の幕を閉じた。
札幌の隣町、当別町の道の駅には「北欧の風」というサブタイトルがついている。町内には丘ひとつがまるごと北欧デザインの住宅地「スウェーデンヒルズ」があるし、姉妹都市はスウェーデンのレクサンド市という林業の町。とはいえ、なぜ道の駅まで北欧?とちょっぴり疑問を抱きつつ、まず当別町役場に行ってみた。
白石区栄通にあるイタリア料理店「グロリア」。定休日だというのに、店の前は子どもの自転車であふれている。今日は月二回、ここが「にじ色こども食堂」になる日なのだ。夕方5時半、ボランティアがから揚げやサラダを盛り付けてテーブルへ運ぶと、店内はおいしい匂いとおしゃべりで、にぎやかになった。
朝6時、パン職人の石田誠次さんは「ベーカリーイシダ」で仕事を始める。生地を仕込みながら、8時の開店時間までひとりでパンを焼く。食パンやバゲットが窯に入るのは昼11時。20分弱で焼き上げて売場に並べると、お客さんが焼きたてを喜んで買っていく。キャンバス布にフランスパン生地を並べ、クープ(切れ目)を入れるしぐさは静かで正確だ。工学部卒業で神戸発祥の有名ベーカリーチェーンで働き、2015年に生まれ故郷の名寄にUターンして開業した。
5月初旬、午前3時。まだ暗い寿都(すっつ)港に、まばゆい集魚灯をつけた漁船が一隻二隻と戻ってくる。陸に揚げられた発泡スチロール箱の中に、爪の先くらいから人差し指ほどまでの小魚がサイズごとに収まっている。寿都で“しらす”と呼ばれるイカナゴの稚魚だ。
パッと目立ってわかりやすいのが人気者。これは卵の世界も同じらしい。店の卵売場で聞くと、赤玉で味の濃い卵がよく売れるそうだ。そんな中に「あっさりうまい」卵があると聞いて、道北の下川町へ会いに行った。 札幌から約220km、車で3時間と少し。山を遠く見渡す平原に田んぼや小麦畑が広がり、空気が冷たく澄んできた頃、下川町に入った。資源循環を厳しく評価する「森林認証」を取得した、森の町。人口約3300人のこの町にあべ養鶏場が創業したのは1962年だ。半世紀以上前、夏と冬の寒暖差60度にもなる気候に合う鶏種探しから始めたという。天然原料を発酵させる餌で飼うことから、卵は酵素卵と呼ばれていた。2016年にこの養鶏場を事業継承し、「下川六○(ロクマル)酵素卵」として販売しているのが現営業部長の村上範英さん。前職は飲食会社のバイヤーで、この卵に惚れ込んだ張本人だ。
“老舗”が「時代をまたぐような長命な産業」という意味ならば、北海道に老舗が少なくても無理はない。けれど、江差の街はちょっと訳が違う。現在、いにしえ街道と名付けられた街並みの問屋蔵や商家に足を止めると、200年、300年という来歴が記されていて、気分はつい、遥かな時代に向いていく。本州向けの魚油や魚粕の原料であるニシンが集まり、それらの漁を取りしきる家々と廻船問屋が儲けに儲け、様々な人々がぶつかりあいながら活躍した日々がこの場所にあったのだ。今回紹介する五勝手屋本舗は、江差隆盛の歴史の一部でもあり、今なお活躍する老舗菓子店だ。
私たちが食べているチーズは、大きく2種類ある。一度熱を加えて溶かし固めたプロセスチーズと、菌の働きで熟成していくナチュラルチーズだ。北海道は国産チーズの9割以上を作っていて、大手メーカーの工場のほか、ナチュラルチーズ工房も100以上あるという。工房製のナチュラルチーズには個人の考えや個性がはっきりと表れる。つまり「チーズは人なり」だ。ならば、私の大好きなチーズを作る人に会いに行ってみよう。
炭坑町として栄えた夕張市。急激な人口減や財政破綻と、ネガティブな話題ばかりで注目されることも多い。町は大きくその姿を変えたが、変わらないものもある。豊かな自然、冷水山、町を流れる夕張川、そして、北沢食品の豆の缶詰だ。 北沢食品の創業は大正10(1921)年。夕張メロンの誕生が昭和36(1961)年だから、それよりずっと前から地元産の農産物加工を担ってきた会社だ。 社名を株式会社北沢食品工場といい、工場は創業時から今と同じ、夕張の南清水沢地区にある。コンパクトシティーを目指す夕張で、将来中心となる地域として計画されている場所の一つだ。訪れたとき、木造の工場は冬の一休みの時期に入っており、きれいに掃除された内部はひっそりとしていた。 案内してくれたのは社長の谷全(たにまた)悦夫さんだ。 近代的なハイテク工場のイメージとは対極にあるような、歴史を感じる建物。白く塗られた木の柱、年期の入った缶詰の機械、豆を煮る大きな釜が並ぶ。ほとんどが手作業だが、1日約7000缶くらいは生産できるという。
このベーコンは軟らかくやさしい味だ。脂身部分も少なめで、よくある塩辛いベーコンとは一味違う。小樽の静かな住宅街の一角に、このベーコンづくりの現場がある。薫製室は加工場のコンクリートの階段下のスペースを手作りで改装したもの。壁は長年煙にさらされ、タールが玉のようになってはり付いている。木製の扉の隙間から、白い煙にのって薫製特有の香りが漂ってくる。この小さな部屋に入った豚肉はベーコンに、サーモンはスモークサーモンとなる。