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白老町の「地域おこし協力隊」隊員で、町内で民泊施設「東町ハウス」を営む林啓介さんとオルガさん夫妻。同町では「多文化共生」をテーマにしたパッチワークづくりが盛んだ。アイヌ文様の刺繍を中心に、いろいろな刺繍がつながっていく。右側にあるのはオルガさんの出身地、ロシアのサンクトペテルブルグの刺繍サークルのもの。壁にかけられたイナウ(木幣)はアイヌの儀式に使われるもの。アイヌのルーツを持ち、アイヌ文化を発信している友人が作ってくれて、取り付けてくれた。
日本のイチゴの旬が冬になって久しい。本来の実りは春から初夏。だが今は、プランターと温室で季節をずらして育てる方法が主流だ。例えば、東京・大田市場のイチゴ取扱量が増えるのは12月~5月で、これは札幌市中央卸売市場も同様だ。ではなぜ、冬がピークなのか。
函館山から見下ろすと、足下から渡島半島に向かって扇型に陸地が広がる。トンボロ(陸繋島)という珍しい地形だ。扇の手元から要(かなめ)のあたり、函館山の西の裾地が「西部地区」。ここが江戸末期から開港時代に栄えた旧市街地で、今も歴史的街並みで知られる。一見、過去のものに見えるこの地区には、地元っ子の暮らしや価値観が息づいている。それらを体現してきた、2人の市民の話を聞いた。
明治半ばから昭和初期にかけて、小樽の町は繁栄を極めた。外国貿易港として経済も人口も札幌の先を行っていたこの町には、全国から職人達が集まった。家具、建具、仏壇、服飾、金具、菓子…。今も「職人坂」という地名が市内に残る。時代とともに職人達の数は減り、自分の代限りという職人達も多い。そんな中、1992年には「「小樽職人の存在を知らしめ、職人芸と地場産業の発展を目指す」ことを目的に「小樽職人の会」が結成された。そして今、職人という生き方に、若い世代が注目している。小樽に2軒を訪ねた。
秋も深まった恵庭市の田んぼの一角、歓声をあげながら稲刈りをする子どもたちの姿があった。刈っているのは「赤毛」。寒すぎて米はとれないと言われていた道南以北の北海道で、最初に実った米だ。 この「赤毛」の栽培を明治初期に成功させたのが、中山久蔵。カマを手に稲を刈っていた子どもたちは、この中山久蔵を題材に、歌、語り、ダンスで地域の歴史を伝える「現代版組踊(くみおどり)・中山久蔵翁物語」を上演するグループ「チーム絆花(はんか)」のメンバーだ。
北海道の産業の歴史を語るとき、炭鉱は外せない。戦後日本のエネルギー政策を支え、たくさんの人が働いた。その多くが集中していたのが空知地方だ。 1961年には、空知地域だけで最大112の炭鉱があった。1960年代には石狩炭田の産炭量は九州の筑豊を越え、日本一の生産量を誇った。その後、国内のエネルギーは石油中心に転換され、炭鉱は次々に閉山。1995年、歌志内にあった空知炭鉱の閉山で、この地区の炭鉱は歴史の幕を閉じた。
札幌の隣町、当別町の道の駅には「北欧の風」というサブタイトルがついている。町内には丘ひとつがまるごと北欧デザインの住宅地「スウェーデンヒルズ」があるし、姉妹都市はスウェーデンのレクサンド市という林業の町。とはいえ、なぜ道の駅まで北欧?とちょっぴり疑問を抱きつつ、まず当別町役場に行ってみた。
白石区栄通にあるイタリア料理店「グロリア」。定休日だというのに、店の前は子どもの自転車であふれている。今日は月二回、ここが「にじ色こども食堂」になる日なのだ。夕方5時半、ボランティアがから揚げやサラダを盛り付けてテーブルへ運ぶと、店内はおいしい匂いとおしゃべりで、にぎやかになった。
朝6時、パン職人の石田誠次さんは「ベーカリーイシダ」で仕事を始める。生地を仕込みながら、8時の開店時間までひとりでパンを焼く。食パンやバゲットが窯に入るのは昼11時。20分弱で焼き上げて売場に並べると、お客さんが焼きたてを喜んで買っていく。キャンバス布にフランスパン生地を並べ、クープ(切れ目)を入れるしぐさは静かで正確だ。工学部卒業で神戸発祥の有名ベーカリーチェーンで働き、2015年に生まれ故郷の名寄にUターンして開業した。
5月初旬、午前3時。まだ暗い寿都(すっつ)港に、まばゆい集魚灯をつけた漁船が一隻二隻と戻ってくる。陸に揚げられた発泡スチロール箱の中に、爪の先くらいから人差し指ほどまでの小魚がサイズごとに収まっている。寿都で“しらす”と呼ばれるイカナゴの稚魚だ。