2022年4月23日、知床の海で、信じられないような観光船の事故が起きてから1年以上が過ぎました。事故発生当初から知床に何度も通い、多くの記事を書いたのが佐野楓記者です。知床観光船事故に向き合った1年間はどんなものだったのか。佐野記者に聞きました。
− 事故の第一報はいつだったのでしょうか。
佐野(以下「佐」):4月23日は土曜日でした。私は休みで、町で用事を済ませたあとに家に帰る途中で、ちょうど札幌のサクラの開花日で大通でサクラを見たりのんびりと過ごしていました。帰宅途中に午後4時20分過ぎのデスクからの一斉メールで知りました。まさか自分が行くことになるとは思っていませんでした。
− どうやって現地に入ったのですか。佐:社の車を手配して私と記者3名、運転手さん1名の計5人で午後10時に札幌の会社を出発して知床観光船の事務所を目指しました。途中、どんどんメールが入って来て状況は予断を許さなくなってきていました。これからの取材を考えると不安と緊張で一睡もできなかったです。内陸を走っているときは実感が
わきませんでした。夜が明けるくらいのとき斜里に着いて、ようやく海が見えました。暗い海でした。打ちつける波しぶきだけが白く見えました。それまでは、どこかに漂着しているのではないか、泳いで助かっている人もいるのではないかと思っていましたが、あの海を見て絶望的な気持ちになったのを覚えています。現地着は朝の4時過ぎでした。
− 現地の様子はどんなでしたか
佐:現地に着いたら報道関係の車が40台くらいが長蛇の列です。上空には海上へ向かうヘリコプターが飛び交い、騒然としていました。知床観光船の事務所の前で待機しましたが、動きがありません。本社からの応援記者も来るので、ホテルの会議室を借りて取材拠点の立ち上げ作業をしました。数時間後に国土交通大臣の視察があり、それが私の第一稿となりました。
− どのくらい知床にいたのですか。
佐:結局5月10日に一旦荷物を取りに札幌の自宅に帰りましたが、1泊で知床に戻りました。6月3日に斜里町の現地対策本部が閉じられたのを見届けて、翌日札幌への帰路につきました。その後も事故半年となる10月まで、毎月複数回知床に通いました。
− 主にどんな取材をしていたのですか。
佐:海から始まっている事故なので、海に関わる方、漁師の人や観光船の会社の元従業員というように取材の輪を広げていきました。
小さな町でよそ者が騒いで全国に悪いイメージを広めている、というような見方もされました。「いつまで来るんだ。もう何もないべや」と言われることもありました。取材相手と関係を作ることが大切だと考えて、丁寧に話を聞いて回りました。現地に顔を出し続けると、「亡くなったことは残念だが本当は知床はいい場所なんだ」という地元の方の思いが分かってきました。
− きつい取材もあったでしょうね
佐:正直、きついことだらけでした。事故を機に、人生が変わってしまった人がたくさんいます。観光船の会社の人、最初に通報した人、最後の無線を聞いた人、受付した人、案内した人、たくさんの人の思いがあります。言葉にならない思いもたくさん聞きました。その思いを『記事化して良い』というGOサインをいただくまでが本当に大変でした。伝える必要がある、どうか記事にさせて欲しい、と説明しました。聞いて終わりではなく、話を聞きながら、どうしたらいいんでしょうね、と一緒に考えるような取材をしていました。
− 知床が好きになったと聞きました。
佐:事故をきっかけに知床を知るのは残念という思いがありましたが、取材をしながら知床の自然の美しさに胸が震える瞬間が何度もありました。夏の休暇でも両親を誘って知床を訪れ、小形観光船にも乗りました。私が、絶対に乗った方がいいと勧めたのです。船から見るからこその景色があります。両親もこんなに素晴らしいところでたくさんの人が亡くなったのか、と感じたようです。
− 異動で今は東京ですね。
佐:何度も知床に通い、この1年で延べ3カ月くらいいたでしょうか。いろいろな報道関係者が入れ替わり立ち替わり出入りしましたが、最後まで残ったのは私くらいかもしれません。私の北海道の最後の1年は結果的に知床一色になりました。異動で北海道を離れましたが、毎月23日が来ると思い出します。取材を通じて、事故を取り巻く様々な立場の方とのつながりができました。ここで終わらせずに、その方々の思いをこれからも伝え続けたいと思います。
仙台市出身。2019年朝日新聞社入社。水戸総局を経て、2021年4月に札幌報道センターへ。5月10日より北海道を離れ、東京のネットワーク報道本部へ異動。
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