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>HOME >よみもの >「夕張に通い詰めた、亡き会長の思いをつなぐ」(2018/6/18)

VOL4:夕張に通い詰めた、亡き会長の思いをつなぐ

夕張に通い詰めた、亡き会長の思いをつなぐ

「夕張メロンピュアゼリー」 株式会社ホリ


夕張メロンの初競りが行われた札幌中央卸売市場。競りの開始午前7時めがけて、報道陣や関係者が特設の競り会場に続々と集まり始めていた。北海道の初夏の始まりをつげる風物詩となったこのイベントはさながらお祭りのようだ。特設のステージには出品された初物のメロンがずらりと並べられている。

 仲卸の、番号をつけた帽子をかぶった買い手たちががひしめく中に、スーツを身に着け、コートを手に持った男性が壇上を覗きこんでいた。にこやかにいろいろな人と挨拶を交わしている。株式会社ホリの堀昭社長だ。「夕張メロンピュアゼリー」の会社、と言った方がわかりやすいかもしれない。社長だけでなく、経営陣や営業スタッフなど、20名前後が市場にいた。初競りの日、ホリの社長以下社員が市場を訪れるのは、もはや会社の「伝統」となっている。


夕張メロンの初競り会場で、並べられたメロンを見る堀昭社長。毎年、必ず訪れる。メロンと並び、壇上にはピュアゼリーも置かれていた。

 ホリは、戦後、南方から復員してきた堀貞雄氏が昭和22年に砂川で立ち上げた菓子店がルーツだ。終戦後、人々に甘いものを提供することで喜んでもらいたいと貞雄氏の思いで立ち上げた商売だったという。水あめやせんべいを作っていた小さな店だったが、炭坑町に近く、大きくて安くておいしいお菓子はよく売れた。

 3人の息子がいた。「そば屋と薬屋はつぶれない」とよく言っていた父の教えに従い、3人とも薬科大学へ進学。その後長男は公務員になり、次男の均氏と三男の昭氏は製薬会社に務めた。今も砂川などに「ホリ薬局」があるのはそのためだ。

 父は60歳になるにあたり、店をたたむ決心をする。だが、「父の作った会社を終わらせたくない」という思い、「商売をやってみたい」という気持もあり、「菓子屋は大変だからやめておけ」という父のアドバイスは聞かず、次男と三男は家業を継ぐ決心をし、砂川に戻る。


砂川の本社に飾られたていた、創業当時使っていたせんべいの型。

 商売はそこそこ順調だったが、これという決め手の商品がなかった。

 1982年に株式会社ホリを設立し、社長(当時。その後2007年から会長)となった兄には、北海道らしい商品を作りたいという強い思いがあった。「北海道といえば夕張メロンだろう」という発想から、夕張メロンを使ったゼリーを作ろう、と思い立つ。


「プレミアムプレス」(紙版)からの続きはここからです。

 そこから均会長の夕張通いが始まるが、話はそう簡単に進まなかった。

 「夕張メロン」の名を冠するためには、農協の許可がいる。農協の担当者は厳しく、試作を繰り返して持って行ってもダメ出しばかり。均会長は自ら、週に2、3回、多いときは毎日でも夕張に通った。父は昼夜を問わず試作に励んだ。そんなことが1年以上も続いた。



株式会社ホリの大野重定課長。厳しかった堀均会長に話をするときは本当に真剣だった、と語る。

 株式会社ホリ企画部の大野重定課長は、ピュアゼリーの発売後に入社したが、その後、均会長に直接仕えた。

 「とにかく熱く、激しい人でした」と語る。

 烈火のごとき怒りを受け止めることもあり、「会長と話すときは、大げさにいえば『命がけ』。本当に真剣でした。でもほめられるとうれしかった」と、当時を懐かしむ。

 試作に試作を重ねたピュアゼリーが夕張市農協に認められ、デビューしたのは1987年。均会長の夕張通いが始まって約2年が経っていた。

 翌年、日本航空の機内茶菓に採用され評判を呼び、茶菓サービス自体が終了するまで毎年、10年間という異例の長さで採用され続けた。

 当初はメロン果汁で作っていたが、今の特徴である本物のメロンのような食感を追求し、10年経ってからは果肉しか使わない製法に切り替えて今に到る。現在は夕張市農協から夕張メロンの果肉を冷凍した状態で仕入れ、年に約1000万個を出荷する。よりメロンの風味に近づけた高級バージョンの「プレミアム」も作る。

 その後、やはり北海道の素材を前面に打ち出した「とうきびチョコ」やおかきの「じゃがいもコロコロ」でも人気を博す。


機内サービスの茶菓に採用された当時のパッケージ。まだ「ピュアゼリー」の名前はない。

 会社が軌道に乗り、順調に業績を伸ばしていた2010年5月、均会長が急死する。

 燃えるような情熱で会社のかじ取りをしていた兄の死。2007年から社長に就任していた三男の昭氏が会社を引き継いだ。

 均会長の言葉は今も「堀均会長語録」として残り、選ばれたいくつかの言葉が毎年社員に配られるクレドという小さな冊子に載る。2018年の語録の一つに、「挑戦し続ける限り赤字でも失敗ではない。だめなままやめてしまったら失敗と呼ぶ」とあった。

 「断られても断られても、めげずに通い続けた」という、大野課長が会社の先輩からよく聞かされていた言葉が重なる。

 北海道のいい素材を知ってもらう、人を喜ばせる、おもてなしの心を忘れない。これらはホリの社内で共有されるカルチャーとなった。

 今年の初競りは過去最高値を記録し、ご祝儀相場とはいえ2玉が320万円の値段で落札された。壇上に飾られた木箱入りのメロンのそばに、夕張メロンピュアゼリーの一箱も置かれていた。

 「こんなに注目を集める素材を使わせていただいている。それを自分の目で見ることが大事なんです。だから営業部も企画部も販売員も、毎年来ています」と大野課長は言う。競りの後、社長と社員が市場でいっしょに朝飯を食べ、砂川に帰るのも恒例だそうだ。

 「周囲の方々のおかげでここまで来た。感謝しかない。ピュアゼリーなくして今の会社はなかった」とは、昭社長がよく言う言葉だ。


札幌市中央卸売市場で行われた夕張メロンの初競り。ホリの社員が初競りを訪れるのも恒例だ

 おなじみの白くて丸いカップのフタをはがすと、あざやかなオレンジ色のみずみずしいゼリーが現れる。あえて中身が外から見えないのは、保存性を考えて採用された白い容器のためだ。よく冷えたゼリーはグラスにあけると高級メロンデザート感が一気に高まる。「食感がいちばんの特徴」と大野課長も言うように、ゼリーらしくない、熟した果肉が口の中で溶けていくような食べ心地は、これまで食べたどんなゼリーとも似ていない。

 天然のメロンが素材だから、できた年によって微妙に味が違う。だから初出荷のメロンで作った期間限定の「ヌーヴォー」もある。まるでワインのようだ。毎年、さらにおいしくする努力を重ねているという。冷蔵庫の中にいつでも入れておけて、1年中いつでも夕張メロンの風味が楽しめるのはなんともうれしい。

(文・写真:吉村卓也)


夕張メロンの初競りの様子です。動画でご覧下さい


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