朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから(朝日IDの登録ページが開きます)
三岸好太郎の代表作は?と副館長・五十嵐聡美氏に問うと「のんびり貝」と「飛ぶ蝶」だという返事が返ってきた。これは館全体に共有されている認識だという。砂浜に大きな手をどっしり開いているシャコガイ。標本箱にピンで止められた蝶。貝はのんびりと見えないこともないが、蝶は(右上の一頭を除いて)どう見ても飛んではいない。砂の上に広がる貝の灰色の影と、蝶が標本箱に落とす影。この2枚は、好太郎の死の3ヶ月前に描かれたシュールレアリズムの影響を濃く受けた連作である。空と砂浜に白い貝、白い台紙に止まったパステルカラーの蝶々たち。どちらも色調は明るいが、どこか暗さが感じられる。
特段の技巧がある訳でもなく、たった10年の画業しかない。それにもかかわらず名を冠した美術館を持った三岸好太郎はとても運の良い男だと五十嵐氏は語る。
好太郎は1903年生。札幌第一中学校(現在の札幌南高校)を卒業し、專門の美術教育を受けることなく、18歳で上京後たった2年で「檸檬持てる少女」で春陽展に入選し、翌年には春陽賞を受賞する。東京では異父兄・子母沢寛に面倒を見てもらっている。確かに運がよいとしか言いようがない。
31歳で早逝したが、妻・節子が保存しておいた遺作を道に寄贈したことで1967年に北海道立近代美術館三岸好太郎記念室が開室し、10年後には三岸好太郎美術館と改称する。1970年代から80年代にかけて、日本中の都道府県ではそれぞれの県庁所在地に公立美術館を建てた。その動きの中でも北海道立近代美術館は非常に早い方であり、その準備段階で個人美術館が設立されたことは僥倖である。ひとえに妻の功績であろう。
その妻に対して、好太郎は決してよい夫ではなかった。裕福に育った節子の実家の援助があってやっと維持した結婚生活であり、アトリエも建ててもらう。おしゃれで旅行と女の好きな好太郎の収入はほぼ自分だけのために消費され、重ねる浮気に節子は怒り狂った。それでも節子は残された3人の子を育て、彼の遺作を捨てなかった。
三岸好太郎とはどういう男だったのか。愛嬌のある明るい色調の中に、暗い情熱を潜めた貝と蝶は、好太郎その人であるのだろう。
札幌市中央区北2条西15丁目
tel. 011-644-8901月曜、年末年始休館。館内にカフェ「きねずみ」あり。グッズ販売も。地下鉄東西線西18丁目駅4番出口徒歩7分
北一ヴェネツィア美術館は、株式会社北一硝子が建てたヴェネツィア風の建物に本場ヴェネツィアのガラスを招いて作った美術館である。読む
この春に小樽で開館したばかりの西洋美術館にはステンドグラス、アールヌーヴォーのガラス、近代のブロンズ彫刻などの他に家具がある。読む
中札内村にある六花亭アートヴィレッジで、もっともよくそのコンセプトを表すのは相原求一朗美術館ではないかと私は思う。読む
5月15日までウポポイで開催されているテーマ展「白老の衣服文化」はウポポイの収蔵品を中心に各地の館からも貸借しての意欲的な展示である。読む
札幌芸術の森美術館ではこの3月13日まで『きみのみかた みんなのみかた』と題した展覧会を開催していた。これは収蔵品の「みかた」について一つの視点を提示し、鑑賞の幅を広げようという企画である。読む
「ステンドグラス美術館」はニトリが運営する小樽芸術村の中にある。旧高橋倉庫と旧荒田商会の歴史的建造物を再生して、小樽の古い町並みを保存する一助ともなっている。読む
道立近代美術館は、大きな企画を持ってくる所と一般的には思われている。ゴッホ展などにはたった2、3ヶ月の会期中に何十万人も入る。しかし実は5000点以上の収蔵品を持つ大きな美術館でもある。読む
札幌芸術の森野外美術館はとても気持ちの良い美術館だ。野外美術館はどこもそうかもしれない。読む
北海道立函館美術館は、道内では最も早く開けた土地柄からして古くからの文化があり、特に書に関するコレクションが充実している。読む
美術館の存立理由は世界中から借りてくる名品を展示する企画展にではなく、その館が所有する所蔵品にある。読む