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>HOME >新聞の片隅に >「国に帰れない日本人たちがいた時代」(2022/6/20)

VOL3:国に帰れない日本人たちがいた時代

 ウクライナから隣国のハンガリーに避難した人たちの支援活動をした日本人医師の記事が地域面に載っていた。帰国した医師の報告によると、避難者の多くは祖国に夫を残した母親とその子どもだった。子どもの前で気丈に振る舞う母親の姿が「いたたまれなかった」と医師は振り返っている。

 同じような母子の姿が77年前の日本にもあった。満州に出征した夫の帰りを待ちながら、疎開先で3人の子どもを育てた母親・セツの日記に描かれている。

 昭和19年8月2日、セツの夫・米吉(よねきち)に召集令状がきた。4日、米吉は6歳の長男・巖(いわお)を新潟のセツの実家にあずけるため、巖を連れて東京の家を出た。

 セツはこのときの心境を「(巖に)しばらくは逢えないと思うと可愛さが増す。いくじなき母はとめどなく涙が出てくる」と綴っている。

 8月9日、東京に戻っていた米吉が出征した。セツは幼い次男と三男を抱えて生活する。

 昭和20年3月10日、東京大空襲。セツと子どもたちは防空壕に避難した。「まるで生きた心地はなかった。子供は寒さにふるえる」3月28日、セツは2人の子を連れて新潟の実家に疎開した。巖との再会は8カ月ぶりだった。

 「しっかりだきしめてやりたい、ほおずりしてやりたい気持だったが、甘やかしちゃいけないように気をつける」

 巖はセツの前でうつむき、黙って涙をこぼしていた。

 セツは私の祖母、巖は父である。祖父の米吉は満州からシベリアに抑留され、戦病死した。7年前に他界した父は、祖母と一緒に新潟の墓に眠っている。

 いまウクライナで起こっていることは、遠い国の出来事とは思えない。

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