「被災者」という言葉は使いたくなかった。
東日本大震災の直後に仙台総局のデスクとして赴任し、現場から送られる同僚記者の原稿に目を通しながら、その表現に違和感を覚えていた。
被災者と被災者ではない人との間に境界線はない。そのことを思い知らされた一本の記事がある。
被災地では、記者として聞かなければならない質問が二つある。「自宅は?」「家族は?」。悲しみの深部をえぐる問いかけに、時折心が砕けそうになる。
渡辺宏美さん(35)に出会った時もそうだった。「申し訳ありません」と渡辺さんは頭を下げた。「家も家族も無事なんです」(中略)
「町を歩いていると、周囲に『あんたはいいちゃね、家も車も無事で』と言われている気がして、時々胸が張り裂けそうになるんです」
先日、少年野球の練習にユニホームを持って行こうとした息子の海くんを叱った。「ほかの子は着てないでしょ。もっと考えなさい」。そう言った後、涙が出そうになって、息子を背中から抱きしめた。「ごめん。何も悪くないのにね」(2011年6月14日付朝日新聞朝刊掲載)
筆者の三浦英之記者は、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町に住み込み、見たこと感じたことを「南三陸日記」として発信した。担当デスクだった私は泣きながら彼の原稿を読み返した。
3月11日。この日は、被災者に寄り添うだけではなく、この日が自分にとってどんな意味を持つのかを考える日にしたい。そう思っている。
朝日新聞北海道支社長 山崎靖