高校野球の季節がやってきた。北北海道大会が開催されている旭川市のスタルヒン球場は、球場の名前にもなった大投手スタルヒンの像が出迎えてくれる。
帝政時代のロシアに生まれた。父親が王朝の将校だった一家は革命軍に追われ、日本に亡命する。旭川にたどりついたとき、スタルヒンは9歳だった。
当時の姿が、スタルヒンの長女ナターシャ・スタルヒンの著書『ロシアから来たエース』に描かれている。小学校では、日露戦争で負けた国から逃げてきたとからかわれたこともあった。そんなときは一瞬だけ悲しそうな顔になっても、すぐに白い歯を見せた。人なつっこく、いつも笑いおどけていた。ただ、夕方になると親友宅の土間に来てポロポロ涙をこぼしていたという。子どもながらに道化役を演じることで、見知らぬ土地で生きるすべを見いだしていたのかも知れない。
そんなスタルヒンに力を与えたのが野球だった。旧制旭川中学(現・旭川東高)で野球部に入り、才能を発揮。社会人チームの選手もスタルヒンの球には歯が立たなかった。道化役が旭川のヒーローに、そして日本球界のスターになった。
スタルヒン像は、旧制旭川中野球部の仲間が中心となり、寄付金を募って実現した。いまも地域の人たちの間に、母親が作ったロシアパンを売り歩いていた親孝行ぶりが語られる。国籍もない異国の家族を支えたのが旭川の人たちだった。その愛情に応えようと努力を重ねたことが数々の記録に結実している。
スタルヒンが旭川に来てから97年。出入国在留管理庁によると、日本にはウクライナから1420人が避難し、うち326人が18歳未満という(6月26日現在)。遠く離れた地で懸命に生きようとしているこの子たちが地域に愛され、その中から未来のスタルヒンが育ってくれたら。そう願っている。
朝日新聞 北海道支社長 山崎靖