朝日IDをお持ちの方はこちらから
AFCのログインIDをお持ちの方(2024年7月31日までにAFCに入会された方)はこちらから
新規入会はこちらから(朝日IDの登録ページが開きます)
高校野球の季節がやってきた。北北海道大会が開催されている旭川市のスタルヒン球場は、球場の名前にもなった大投手スタルヒンの像が出迎えてくれる。
帝政時代のロシアに生まれた。父親が王朝の将校だった一家は革命軍に追われ、日本に亡命する。旭川にたどりついたとき、スタルヒンは9歳だった。
当時の姿が、スタルヒンの長女ナターシャ・スタルヒンの著書『ロシアから来たエース』に描かれている。小学校では、日露戦争で負けた国から逃げてきたとからかわれたこともあった。そんなときは一瞬だけ悲しそうな顔になっても、すぐに白い歯を見せた。人なつっこく、いつも笑いおどけていた。ただ、夕方になると親友宅の土間に来てポロポロ涙をこぼしていたという。子どもながらに道化役を演じることで、見知らぬ土地で生きるすべを見いだしていたのかも知れない。
そんなスタルヒンに力を与えたのが野球だった。旧制旭川中学(現・旭川東高)で野球部に入り、才能を発揮。社会人チームの選手もスタルヒンの球には歯が立たなかった。道化役が旭川のヒーローに、そして日本球界のスターになった。
スタルヒン像は、旧制旭川中野球部の仲間が中心となり、寄付金を募って実現した。いまも地域の人たちの間に、母親が作ったロシアパンを売り歩いていた親孝行ぶりが語られる。国籍もない異国の家族を支えたのが旭川の人たちだった。その愛情に応えようと努力を重ねたことが数々の記録に結実している。
スタルヒンが旭川に来てから97年。出入国在留管理庁によると、日本にはウクライナから1420人が避難し、うち326人が18歳未満という(6月26日現在)。遠く離れた地で懸命に生きようとしているこの子たちが地域に愛され、その中から未来のスタルヒンが育ってくれたら。そう願っている。
朝日新聞 北海道支社長 山崎靖
「原発用地取得ゼネコン介在/関電の依頼を受け/発覚避け偽装契約」1999年10月11日の朝日新聞朝刊1面に大きな見出しの記事が載った読む
阪神・淡路大震災から29年が過ぎた。1月17日、大阪社会部の記者だった私は、ライフラインが止まった兵庫県西宮市のマンションに妻と1歳の長男を残し、ひとり自転車で飛び出した。読む
ジョニー・ディップ主演の映画「MINAMATA」で、真田広之演じる男が自らの体をチッソ水俣工場の鉄門扉に鎖で結びつけるシーンがある。読む
大惨事は澄み渡った青空の下で起きた。2005年4月25日、神戸総局のデスクだった私は、ひっきりなしにかかってくる電話を受けながら大量の原稿と格闘していた。読む
「被災者」という言葉は使いたくなかった。 東日本大震災の直後に仙台総局のデスクとして赴任し、現場から送られる同僚記者の原稿に目を通しながら、その表現に違和感を覚えていた。読む
北緯40度11分、東経147度50分。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から発射されたミサイルが日本の頭上を越えて着弾したと思われる地点は、雲でかすんだ水平線しか見えない太平洋のまっただ中だった読む
高校野球の季節がやってきた。北北海道大会が開催されている旭川市のスタルヒン球場は、球場の名前にもなった大投手スタルヒンの像が出迎えてくれる。読む
災害級の大雪に見舞われた札幌にもようやく春が訪れた。その厳しかった冬のまっただ中に、私たち新聞製作に携わる者にとって忘れることのできない出来事があった。読む