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被害状況は目下調査中なるも極めて軽微の見込みなり
1945(昭和20)年7月15日の朝日新聞東京本社版の1面にこう記されている。
見出しは「艦上三百、B29二十機 函館、室蘭、帯広、釧路へ」。記事の冒頭には【北部軍管区司令部発表】とある。1945年7月14日から15日にかけて北海道各地が米軍による襲撃を受けた北海道空襲を伝える、いわゆる〝大本営発表〟だ。
北海道空襲の被害の全体像は、市民による草の根の調査で明らかになった。菊地慶一さん(91)は13歳のときに釧路市で空襲を体験した。防空壕に逃げ込んで助かったが、その後、身元が分からない犠牲者が多くいることを知り、愕然とした。
「一人ひとりの名前をすべて明らかにしたい。それが生き残ったものの責務ですから」
小学校や高校の教諭として働きながら道内各地を歩き回り、資料を集め、聞き取りを続けた。その結果、北海道空襲の犠牲者は2900人以上と判明した。決して、「極めて軽微」ではない。
1年前、私は札幌市手稲区のサービス付き高齢者向け住宅に住む菊地さんを訪ねた。新刊の出版に向けて資料が山積みになっていた机をはさみ、菊地さんの一言一句をノートに刻んだ。
「いまだに北海道空襲にこだわっているのはピント外れかも知れない。でも、いま空襲を思い起こすのは、ウクライナの戦争に私なりに対決すること。殺し殺される戦争の罪悪をなんとしても断ち切りたい」
戦後78年の夏、走り書きした文字を読み返している。
朝日新聞 前北海道支社長 山崎靖
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