5月のある日、北海道庁の北側にある雑居ビルの一室は、多くの人であふれかえった。毎月、開催される生活困窮者に食品を配る「フードバンク」だ。
訪れる人々のなかには若い人もいれば、高齢者もいる。そろって持ってきた袋に、米やインスタントラーメン、飲料を次々と詰め込んでいた。
2度目の訪問という白石区在住の車いすの女性(34)に話を聞いた。20代のときの転落事故の後遺症で障害者になった。車いすが欠かせない生活だ。コロナ禍で、日常生活の手助けをしてくれるヘルパーが来なくなった。生活費がかさむようになり、月7万円の障害者年金と離れて暮らす両親からの金銭支援でやりくりしてきたが、限界を迎えて生活保護を申請した。独り暮らしの彼女が最も不安を感じるのは「地震や災害」という。「誰にも気付かれずに死んでしまう気がするんです」
コロナは医療や介護といったエッセンシャルワーカーの活動に打撃を与え、彼女のような生活困窮者の暮らしに追い打ちをかけた。昨夏からこのフードバンクを始めた「フューチャーフライト」の釜澤 剛璽さんは「縦割り行政の弊害で、セーフティーネットからこぼれ落ちる人が多い」と感じている。フードバンクは全国各地の企業の支援でまかない、行政の助成は受けていない。釜澤さんは「人びとの孤立感が高まっており、虐待や貧困など悩みを抱える人が増えている。行政はもっと『つながり』をつくるべきだ」と語る。
コロナ後の日本社会のありかたが問われた第26回参院選は7月10日に投開票が行われた。自民党が大勝し、「改憲勢力」が躍進した。改憲論議は現実味を帯び、憲法9条への自衛隊明記や緊急事態条項などの項目が俎上にあがっている。しかし今回参院選を取材して、有権者が1票に託したのは、改憲ではなく、社会に広がる「貧困」や「孤立」といった身近な課題の解決だったように思う。当選者や岸田政権の動きをこれからも取材して報じていくことが、メディアに課せられた仕事だと感じている。
朝日新聞北海道報道センター記者 日浦統
豊頃町を昨年12月中旬に初めて訪れた。目的は、町で唯一のスーパーが閉店したのちに、町の要請を受けてセイコーマートが出店したことを取材するためだ。読む
阿寒湖(釧路市)の大きなマリモは自然の神秘が生み出した植物だ。長さ3~4センチの糸状の藻がからまりあい、波の力で回転して直径20センチを超えるまで成長する。読む
新聞記者になって18年経つが、ここまで読者と密にやり取りした経験はなかった。紙面購読者を対象に開催している「朝日新聞デジタル体験会」に11月25日、記者として初めて登壇した時のことだ。読む
野生のヒグマをみたい。とはいえ、「ヒグマと会わないために」と書いてる手前、筋の通らない行動はできない。 読む
発生から9月で5年になった北海道胆振東部地震で、山の大規模表層崩壊があった厚真町吉野地区に通って、農業を営む早坂信一さん(58)を取材した。読む
「え? 飛行機を使うの?」。帯広在住の私。昨冬、網走に流氷観光に行こうと、乗り換え案内サイトで公共交通機関のルート検索をして驚いた。読む
夏の甲子園は慶応(神奈川)の優勝で幕を閉じました。今大会、北北海道の担当を務めました。読む
今年の春に北海道報道センターに着任しました。前任は東京本社のコンテンツ編成本部。読む
ヒグマの目撃情報が相次ぐこの時期、決まって思い出すのが、5年前、本島から20キロ以上を泳ぎ利尻島に渡ったあの若い雄のヒグマのことだ。当時は利尻島を担当する稚内支局長だった。読む
2002年、当時の北海道報道部で取材指揮や紙面編集の責任を負うデスク(次長)5人の末席に連なっていた私は夏の高校野球を担当した。読む
同郷の歌人石川啄木ゆかりの函館に赴任して、真っ先に行ってみたかった場所がある。立待岬にある一家の墓でも、代用教員を務めた小学校でもない。「乞食(こじき)」の供養塔だ。読む
ふとした街の風景を見落としていないか。運転に集中しなければいけない車や、トンネルを走り続ける地下鉄を使っていると、時折、そんなふうに思う。読む
夏の甲子園で、宮城県の仙台育英高校が優勝してから約2カ月。北海道では、春の甲子園出場を目指す20校が戦う、秋季全道大会が終わりました。読む
札幌勤務で単身赴任となって半年になる。たまたま北大に通っていた長男の近くに住もうと、大学からほど近いところに部屋を借りた。読む
5月1日、札幌ドームでラグビー早明戦があった。北海道ラグビーフットボール協会が招待し、北海道では9年ぶりとなった対決にまつわる話を紹介したい。読む
記者の原稿をチェックするデスクという仕事をしているので、どうしても細かな言葉の使い方が気になるものです。読む
やっとだ。札幌市内に残る雪はどんどん少なくなり、街に明るさが戻ってきた。赴任して3月末でちょうど2年。今年こそ、マスクを外して札幌の街中を散策したい。読む